2018.11.6のNO.61が抜けとていたので、追加しておく。(12/24)
オオナムチノカミ (大穴牟遅神・大己貴)
名前の意味や由来について
大穴牟遅神/オオナムチノカミ
オオ⇒大いなる
ナ⇒己・汝。あなた。土地。
ムチ⇒神様や人の尊称。「~様」
高貴な人という意味もある。
オオナムチは『大いなる土地の神様』という意味です。
オオナムチはスクナヒコナと共に、国内の平定や国土を経営し、修理をしました。
また、全国を巡り歩いたり、農業や国土の保護、さらに禁厭(まじない)の法も定めました。他にも医薬や温泉の神様ともされ、なんやかんやと沢山の事業を神話の上で残しています。
http://kojiki.co/gods/oonamuchi.html
自己流に解釈すれば、このことは大己貴神(おおなむちのかみ)と 大穴牟遅神とは同一神であり、国津神の最高神との位置づけとなるのであろう。だから大国主神 とも同一神なる。
それがいつの間にか(?)と言うよりも、大己貴神の子孫の鉄の神様の大物主が三輪山に祀られていったのではないのかな。
伊邪那岐命(伊弉諾尊)--天照大御神(の勾玉から)--天之忍穂耳命↓下段へ続く
天之忍穂耳命----天火明命(あめのほあかりのみこと) = 饒速日命(ニギハヤヒノミコト)-→
→-(or=)大己貴大神(大穴牟遅神・大国主神) = (or→)大物主神
--邇邇芸命(ニニギノミコト)
そのため国津神の大己貴大神(大穴牟遅神・大国主神)が、天津神に葦原中国をお返しすることになったのである。
まあ天照大御神などの天津神のおられる高天原は、いったいどこにあったのか、という問題もある。一般的には天上世界にあったような感じもするが、きっと日本のどこかであったのであろう。
天孫邇邇芸命は日向の高千穂の峰に天降ったと言われているので、高天原はきっと日向の地のどこかではないのかな。そうでなければ、日向と大和の間にそれほど深い絆は存在しなかった筈である。
先の書の261頁にもそのように記されているからには、そう理解してもそれほど間違いはないのではないのかな。
さて、神武天皇は姫蹈鞴五十鈴との間に三人の皇子を授かっているので、その末子 神沼河耳命
(かんぬなかわみみのみこと)を皇太子とされた。日向で生まれた手研耳命(タギシミミ命)を日嗣とはしなかった。日本書紀では、神渟名川耳尊(かんぬなかよみのみこと)と書く。
このことは神武天皇に、優れて政治的なセンスがあったことをうかがわせる、と先の書231頁には記されている。何と言ってもに日向で生まれた手研耳命(タギシミミ命)は神武天皇と共に苦労して大和にまで来たのではあるが、大物主の神の血が流れていなかったからだ、と先の書の232頁には述べられている。
そのため手研耳命(タギシミミ命)は謀反を起こして、神沼河耳命に殺されてしまう。
このことは大物主の孫となる皇子を、次の天皇とすることを世に知らしめたこととなり、よそ者であった神武一行が大和一円に溶け込むことを全面的に意思表示したことと、理解されることになったのである。
大和の守護神である三輪山の神の子が、天皇の位につくことになる訳で、地元としては大歓迎となったのではないのかな。
しかも神沼河耳命の正妃は、神武天皇の后、則ち自身の母の妹の五十鈴依媛であった。おそらくは年上の后であったことであろう。
(続く)