国慶節に思う。(15)

イデアの格闘技

何か欧州が提案をする場合には,それと同じだけの労力をもって互角の提案をし,説得をしないと,論破されてしまう.

米国は ときどきそれを試みる.京都議定書排出権取引は 抜け穴であって制限すべし,という欧州の主張に対しては,欧州内で 無制限に排出量の取引を認めている 欧州バブルに同様な制限を課さないのはおかしい と主張した.これが奏功して,マラケシュ合意では 排出権取引への制限は付かなかった.罰則に関する交渉では,欧州は 不遵守の場合の罰金などを提案したが,米国はこれに対抗して,米国なみの法システムを作るべしといったことを主張した.これは 結局 最後には双方とも降りて,不遵守の場合は 1.3 倍の排出量を 後で返すことに決着した.

このあたりまでは,まだまともな議論という気がするが,そればかりではない.欧州は,無理難題も 沢山言ってくる.京都議定書の基準年も,再生可能エネルギー提案もそうである.

自分だけに都合のいいことを主張すると,相手には受け入れられない.これは当然だが,この当然のことは,遠く隔たった国の事柄となると,当事者が懇切丁寧に反論しない限り,なかなかよくわからないのである.

懇切丁寧に言ったとて,それでは足らず,相手から無理難題を なお言われる場合もある.そのような場合は,あべこべに無理難題を言って,交渉するというやり方もある.そうしてはじめて,無理難題であるということを 相手に分からせることができる.

例えば,欧州が 再生可能エネルギーの導入目標を主張しているが,これには どう対抗すればよいか.国ごとに エネルギー賦存状況が違うので,一律の目標など無理だ,というのが正論である.しかし,これを言うだけでは日本のイメージは下がり,欧州が環境に優しい というイメージを上げることに 加担するだけになる.目標をオープンに提示されて,それを はねつけるだけでは,相手の思うつぼに はまる.

交渉の技術としては,もっと進んでよい.欧州式に,自分の都合よいことを挙げて 相手に押付けるような議論は いくらでも展開できる.例えば,議論の種として,「自動車の制限速度は 100 キロを上限とする」という 議定書を提案してみればよい.日本は 当然それを達成できる.そして,これはどう見ても環境に良い.そして,これは欧州にとっては 絶対に受け入れられない.ドイツ人は車で飛ばすのが好きで,高速道路では時速無制限,おっきなベンツが 時速 200 キロで走っているからだ.相手の議論が乱暴なら,このくらい乱暴な議論で対抗しないといけない.

自動車のスピード制限だけではない.このようなものは,いくらでも思いつく.例えば 肉の消費量を 一人当たり一日平均 100 グラムに 制限する というような議定書はどうだろうか.肉食が 地球環境に対して大きなプレッシャーを与えていることは間違いない.あるいは,国土に占める森林面積を 60% にするべしという議定書でもよい.要は,かかる議定書ならば,日本はまったく努力しなくて達成できるし,環境によいことも明白である 一方で,欧州には 絶対受け入れられない.ナンセンスなようでいて,実は,京都議定書再生可能エネルギー目標も,似たようなことを 逆の立場で聞いているだけである.

このような 手前勝手な議定書を提案する日本人がいないというのは,個人的には好感が持てる.しかし,世界レベルでは,合意しようがないことがあるということを,欧州に分からせるためには,これくらいの喩えも有益だろう.

日本人の習性として,「欧州では」といわれると弱い.しかし,「欧州では」という議論で 引き合いに出てくる欧州なるものは,それを引用している人の 幻想の中の欧州に過ぎない場合も多い.京都議定書の数値目標も,再生可能エネルギー導入目標も,その内実は,ここで述べたようなことなのだ.

複線交渉のすすめ

以上,やや品が無いながら,手前勝手な議論には 反駁しなければならないことを 述べたつもりである.これは国益を守るためのみではない.むしろ,まともな制度作りに寄与することが大きい.以下では,これを「複線交渉」を通じて行う必要を 述べる.

欧州内部の議論であれば,勝手に内部でやってくれればよいが,国際的な議定書をつくるときまで 同じでは 困る.必要なことは,彼らが内部だけで議論せず,本当に 国際的に通用するような議論をするように,交渉の早い段階で 関与してあげることである.これは日本の国益を守るということにも有益だが,のみならず,世界規模での合意を図るという,世界のための利益を図ることでもある.また 欧州の人々にとっても有益である.せっかくの議論が,空論になってしまうことを回避し,本当に 世界にとって有益な合意にするためである.

欧州は 全体で陰謀をつくり出すというようなものではないが,まず 欧州内で徹底して議論して,欧州のポジションを決めてから 外部と話しをするから,どうしても 彼らにとって 全体として都合のいい話しか 出てこない.また,大勢で決めたことであるから,事後的なポジションの変更が効きにくく,強硬な印象を受ける.

面白い話がある.COP 6 で会った欧州連合の友人に,どうして欧州連合の交渉ポジションは そうも頑ななのかと聞くと,答えたことは,「欧州は すでに内部で調整を終えた.欧州は すでに決定した事項を交渉をしている. COP で交渉していることは,これから交渉すべきことではなく,われわれにとっては 交渉が終わったことなのだ」と言っていた.言いえて妙である.

京都議定書が 米国,オーストラリア,カナダなどの離脱という事態を迎えた今,欧州以外の国々が参加できるために,早い段階から それらの国々を交渉に参加させたほうがよい という考え方は,欧州の人々にとっても 説得力があることだろう.

ひとくちに「交渉」といってきたが,このような交渉は,国レベルの交渉だけを指すのではなく,もっと広い概念をイメージしている.もちろん正式な外交交渉は 国が窓口となって行うのだが,実は 正式な外交交渉以上に,それに先立つ研究活動が 重要になる.なぜならば,正式な外交交渉においては,交渉にあたるスタッフも限られているし,期間も短く,国益の調整が 主な作業になるからである.それに,交渉は 徒手空拳でするものではない.議定書の骨格となるような 主要なアイデアは,正式の交渉プロセス そのものから出てくるものではなく,それに先立つ 研究活動 から出てくる.

欧米の研究所は,正式な国際交渉に先立つ形で,議定書や条約のあり方を模索するために 研究活動を行う.そこでは,識者や利害関係者を集めたワークショップが多用される.かかる活動に 日本も おおいに参加せねばならない.そこには企業,NGO,研究者など あらゆる人たちが参加して,討論を重ね,共著で論文を書く といったことをしなければならない.頻繁に情報交換をするというだけでも,もちろん無いよりは良いのだが,やはり,共同作業をして ひとつの文章を作り込んでいくということが,考え方を整理し,共有するには 非常に重要な作業になる.バックグラウンドの異なる人々が 一堂に会して,それぞれの国の状況,利害得失,特徴などを 相手に分からせることは 大変に難しい.そのために,じっくり腰を据えて そのような共同作業をする必要がある.

これまで日本においては そのような活動は あまり行われてこなかった.このような作業は MIT のサスカインドによって パラレル・ネゴシエーション(複線交渉)と呼ばれている.こういうとやや大袈裟だが,要は 複数のチャンネルで,政府のみならず,当事者になる民間の人々も含めて,どのような国際的な枠組みが望ましいかを,一緒になって考えていこう ということである.
(続く)