小沢資金問題(14)

1993年(昭和5年)6月18日宮沢改造内閣に、羽田や小沢らが内閣不信

任案に賛成を投じた為、衆議院は解散。そして小沢ら(一応名称は羽田派)は、

自民党を離党して新生党を結成した。この時も小沢は党首にはならず羽田を党

首とし、小沢は代表幹事に収まる(渡辺恒三は代表幹事代行)。同年6月21日

には同じく自民党を離党した武村正義鳩山由紀夫も)らが「新党さきがけ」を結

成している。第40回衆院選1993年7月18日に投開票が行われ、新生党

は55議席
を獲得している(更に追加+1、自民から移籍+4)。


この前年の1992年5月22日には、熊本県知事だった細川護熙が「日本新党

を結成している。そして同年7月26日投票の第16回参院選で4議席を獲得し、

新党ブームに火をつけた。更にその余勢を駆って1993年1月の新潟県白根市

長戦では、日本新党の単独推薦候補者が、自民・社会両党の推薦候補を破って

いる。同年6月の都議選でも、22人の公認を立てて20人が当選すると言う一種

のブームをおこしている。極め付けは、1993年7月18日第40回衆院選

で57人を擁立して、35人(更に追加公認+3)が当選したと言う事。そして新党

さきがけ
(13人当選、追加公認+1)との衆院統一会派を組み、52人と言う大

勢力となった。


議席数は511で、この選挙では自民党(223議席)は単独過半数を獲得する

事は出来なかった。日本社会党も新党ブームの中で、半減している(136→70

議席)。新生党(55)は、社会党(70)、公明党(51)、民社党(15)、社会民主連

合(4)
との連立協議を進めていたが、これまた195議席で過半数には遠く及ば

なかった。そのため日本新党(35)と新党さきがけ(13)(48+4)がキャスティン

グボード
を握ることとなり、これら7党に民主改革連合(参院会派)を加えた8党

派による連立政権が樹立され、細川護熙が首相に選出されるととなったのである。


当初70年代から80年代にかけて滋賀県の知事だった武村正義は、熊本県

事だった細川を巻き込み自民党との連立を模索していたが、新生党代表幹事の

小沢一郎に邪魔をされ、小沢の「細川を首相にする」との提案に乗っ取られてし

まったと言う経緯がある。これをもって55年体制が消滅したわけであるが、この

細川連立政権時代に、小沢が中心となって政党助成法」を成立させている。


この政党助成法では、国民一人当たり250円に相当する額を、各政党の人員割

と得票数割でその政党に支給するもので、全くの無税のものである。また解党し

た時には、原則国へ返還するべきものであるが「必ず返還する事」などと言う

規定はない。総務大臣がそのように命ずる事が出来る事になっているが、従わ

なくても罰則はないと言う全くの「ザル法」なのである。このことを小沢は良く知っ

ている。なんと言っても、小沢がそのように作った法律なのであるから、小沢がよ

く言う「法律に違反する事などは一つもやっていない」と言うことになる。しかし、

国民を欺いている事には違いない。このようにして小沢は、態と新党を作っては

潰し、潰しては作り、金を小沢の言う「合法的に」自分の懐に溜め込んでいったも

のと推測される。


だから小沢の自宅の「深沢銀行」には、数十億円の金があることになる。「十億

円はあるんじゃないか」などと石川が言っているが、そんなもんではないであろ

う。この記事にもあるように、これだけでも約23億円もの金が(2回に分けてだ

が)「深沢銀行」に入ったものと考えられるので、その上にゼネコンなどからの違

献金が上乗せされて、40億円近い金となっているのではないかなあ。これは

末恐ろしい事だ。


だから小沢は今度の7月の参院選では、どこにどれだけ金を使えばよいか

見極めるために、全国行脚をしたいと言っているのである。さしずめ、福田依里

子などへは相当の金が使われていた事であろう。「選挙の達人」などと民主党

内では小沢の事を囃し立てているが、その実、金をばら撒いていただけの事で

あろう。小沢から金を取り上げれば、単なる「ただの人」に成り下がるのが本当

ではないか。その事がわからない民主党民主党だと思うよ。それに、小沢に

は中国や朝鮮なんぞからも、それなりに金が入り込んでいると思わなければなら

ない。今までの小沢の言動を見れば、そのように推定されても致し方ないであろ

う。(昨年の大訪問団での胡錦濤詣でや'07.11.26~小沢一郎、悪魔の密

約、'08.1.15小沢一郎土下座外交などのブログも参照の事。)


ちなみに、政党助成法は1994年(H6)3月に制定されて、1995年(H7)1月

に施行されている。そして、新生党は1994年(H6)12月に解党されている。そ

のため小沢は、多分、「念には念を入れて」、新生党の9億円余の資金は1994

年(H6)12月中に、年の明けないうちに、自身の関連団体の改革フォーラム21

に送金しているのではないか、と勘繰ってもみるのである。そしてこんな事をして

も何もなかったので、次の自由党の解党の時は、正々堂々と「改革国民会議」に

14億円近い金を移した事であろう。それに、もしイチャモンが付いても、勝手知っ

たるザル法である、何としてでも説き伏せてやる、と意気込んでいたのであろう。

(続く)