番外編・プリウス急加速問題(35)

「内なる国際化」が遅れた


「これだけ急速にグローバル化が進むと、世界のどこで、何が起こっているのか

わからない。まるで、塀の上を歩いているようなものです……」


2000年初頭、トヨタのある役員が、こう不安げに述懐するのを聞いた。


現代の企業は、つねにリスクにさらされている。そのリスクも、多様化している。

しかも、トラブルが発生すると、被害は瞬時に世界を駆け巡る。挙げ句に、塀か

ら転げ落ちかねないというのだ。


とりわけ、グローバルに広がった企業活動におけるリスクは予測しがたい。わか

りやすい話でいえば、国や地域によって、車の運転の仕方が違っている。道路

状況が違うのだから当然で、まさに、世界の「どこで何が起こっているかわから

ない」のだ。


「告発」についても、同様のことがいえよう。今回激しくトヨタの批判報道をしてき

ABCテレビの映像に作為があったことや、「プリウス」のブレーキをめぐって急

加速を捏造した運転者が、じつは自己破産者で、車のローンが残っていた事実

が、その後、明らかになった。「集団ヒステリー」現象の一種である。


事業拡大のペースが速すぎた」と、豊田章男氏が、2月24日(現地時間)に開か

れた米議会下院の公聴会で反省したように、「集団ヒステリー」現象の背景には、

トヨタの度を越した急成長に対するやっかみがあるのは間違いないだろう。


トヨタグローバル化を加速させたのは、1990年代後半である。1980年のトヨタ

の海外生産拠点は、わずか9カ国・11拠点だった。10年後の1990年も14カ国・

20拠点にすぎなかった。それが、2004年には、26カ国・51の海外生産拠点を数

え、2007年には、世界の生産台数は853万台に達した。


2000年代に入ってからのトヨタは、毎年、海外において生産能力を30万台から

50万台ずつ増やしていった。それだけトヨタ車が世界各地で売れたからだが、

それが結果として、豊田氏のいうように「事業拡大ペースが速すぎ」、すなわち

成長のスピードが速すぎたことが品質問題を引き起こしたのは確かだ。なかで

も、破竹の勢いだった北米市場は、拡大路線を突っ走った。


トヨタ社内には、当時、「GMを抜いてはいかん」「虎の尾を踏むな」などと、世界

一の自動車メーカーになることへの警戒感があった。2004年11月1日の「経営

説明会」の席上、当時、会長だった奥田碩氏は、自社の死角について記者から

問われると、「社員の驕り」と「延びきった兵站」を挙げた。


だが、トヨタグローバル化の勢いはその後も止まらず、拡大の一途をたどっ

た。“マーケット至上主義”の暴走である。挙げ句に、リーマン・ショックで深刻な

打撃を受ける。拡大路線にストップをかけられなかったかどうかは、今後、経営

論の視点から検証されてしかるべきだろう。


じつは拡大路線のウラで、品質に対する不安が進行する。急激なグローバル化

によって、品質の問題にほころびが出始めるのだ。トヨタの国内におけるリコー

ル届け出件数は、2001年度に4件5万台、02年度に8件50万台、03年度に5件

93万台、04年度に9件189万台と急増していった。さらに、05年度に14件193万

台、06年度に8件130万台となった。


その一方でトヨタは、海外事業体の自立化を進めた。生産の現場を支える人材

を育成するために、2003年7月、元町工場にグローバル生産推進センター

(GPC)を設立し、標準化された技能訓練を行なった。その後、北米、英国、タイ

にもGPCを設立し、グローバルに人材育成を実施した。


しかしながら、グローバル展開するうえで求められる品質保証に関する人材育

成は行なわれなかった。


マネジメントの側面でも、急激なグローバル化に後れを取った。09年6月のGM

の破綻後、トヨタは生産台数で世界一の自動車メーカーの座についたが、しか

し、マネジメントに関しては、必ずしもグローバル化が進んでいるとはいえなかっ

た。


論より証拠、トヨタの取締役は現在、29人全員が日本人である。青い目の取締

役は1人もいない。トヨタの経営が「内向き」なのではないかという批判の声が内

外から上がるのは、当然、予測できたはずだ。だとするならば、ボードのグロー

バル化を図るべきではなかったのか。「内なる国際化」が遅れたところに、トヨタ

の油断があったといわざるをえない。

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高級車1台でソフトは約1億行


それから、現代の企業が直面しているもう一つのリスクは、電子化されたシステ

ムだ。しかも、システムの巨大化、高度化、複雑化によって、これまたトラブルが

発生すると、現場では対処できないほど影響が拡大する。


これまで安全の確保や危機管理は、多くが現場に任されてきた。現場は、リスク

を感知した段階で手を打ち、トラブルを回避してきた。それこそが、現場の強み

を生かした日本企業の危機管理の要諦だった。


ところが、電子化による変化がシステムを複雑にし、技術のブラックボックス化に

拍車が掛かり、現場の手に負えなくなってしまった。ましてや、「プリウス」などの

環境対応車は、非常に複雑かつ高度に電子制御されている。


米国の調査会社によると、車載組み込みソフトのコードは、高級車1台当たり約

1億行という。カメラを用いた運転補助装置や安全運転サポート機能の充実にと

もない、その行数は、今後2、3年で1.5倍になると予想されている。


こうしたプログラムの複雑化は、自動車に限った話ではない。せんだって、ソニー

の業務執行役員SVPの島田啓一郎氏にインタビューする機会があった。自動車

と同じく、家電製品もソフトウェアのプログラムは複雑化し、商品に入っている組

み込みソフトの規模は、5年で約10倍になっている。10年で100倍、15年で1000

倍、20年で1万倍と増えつづけ、30年でほぼ100万倍になったという。


島田氏によると、20年前には、VTRやビデオカメラのソフトウェアを自分たちでプ

ログラミングし、印刷して持ち運ぶことができたというが、いまや、そのたぐいの

プログラムは、プリントアウトすると「リヤカーを使っても運びきれない」というのだ。


トヨタは、「電子制御スロットル・システム(ETCS)」には「いまのところ、暴走につ

ながる問題は見つかっていない」と発表している。電子制御問題は、トヨタ1社で

はなく、業界全体で取り組まなければいけないだろう。あえていえば、複雑化し

つづけるプログラム問題は、自動車業界のみならず、製造業全体がぶつかって

いるのが現状だろう。


(続く)