「すべての米軍は出てゆけ」と言う声を大きくさせて、日米同盟の悪者論を高めてゆくことで
あろう。だから「日米同盟の危機」である。民主党は福島瑞穂の社会党を連立政権から
切っている。だから社会党の主張に振り回されているわけではない。これは社会党と同じ
論理であるが、これこそが民主党独自の路線なのである。
すなわち「日米同盟を少しずつ弱体化させる」と言う路線が、実際の民主党内の主流な
のである。だから怖いのである。民主党の路線は、実質的には社会党の路線と同じなので
ある。民主党は、確信犯的左翼政党なのである。民主党は今まで左翼的な思想を秘めな
がら、厚化粧をして古い自民党とは異なる新保守的な振る舞いで偽装してきた政党なの
である。これこそが小沢の描いている構図なのである。2003年に小沢氏率いる自由党
が、旧民主党に合併する。これが現在の民主党である。それ以前の旧民主党については
引き続き説明するが、一般には、現民主党には「左派もいるが、保守もいる」「自民党出身
の人間もいる」として、現実主義で、自民党とそれほど大差がない政党であるかのように思
い込ませている。
これこそが民主党の「化粧」であり、偽装なのである。しかるに民主党の中枢は、先に述べ
た「旧民主党」の社会党左派勢力なのである。
1996年1月11日、村山内閣の後を継いで橋本内閣となる。第1次橋本内閣である。ここ
までが、自社さ連立内閣であった。この4月には、橋本は、沖縄に何度も足を運び、普天
間の返還を決め名護市に代替地を決定している。そして1996年10月20日の第41回
衆議院議員総選挙にて、自民党が大勝しそれまでの自社さ連立から自民単独の第2次
橋本政権が誕生する。(1996/11/7~1998/7/30の第2次橋本改造内閣)
この自民党単独政権に危機感を覚えた鳩山由紀夫は'96/1に日本社会党から社会民主党
に党名変更した社民党との連携を模索するが、社民党の左翼色では国民の支持が得られ
ないと考え、両党の合流ではなく個人参加方式で社民党からの人集めをして、鳩山邦夫、
菅直人、横路孝弘、簗瀬進と共に「旧民主党」を立ち上げたのである。1996年9月26
日、「旧・民主党」が結成されたのである。この時の費用は25億円は、邦夫の元秘書上杉
隆によると、10億円は連合から調達している。残りは鳩山家が用立てたとしている。合流
した旧社会党系の人々は、特にマルクス主義色の強い「社会主義協会」系の人たちで占
められていた。そのためこの「旧・民主党」は、事務局も含め、マルクス主義色の強い政党
だったのである。
そして小沢一郎の新進党は、公明党の離脱を機に、1997年12月27日、分党を決定し
6党に分党し消滅する。そして翌年の1998年4月27日、旧・民主党はその分党した党を
吸収して「新・民主党」が結成されたのである。この時もともと自民党出身の岡田克也など
が合流している。小沢一郎は、1998年1月6日に自由党を結成している。そして翌年
1999年1月14日には、自民党と自由党の自自連立政権を成立させている。同年10月
5日には、公明党が加わり自自公連立政権となる。そのうちに例によって小沢は連立離
脱を画策したため、連立継続を望む26名が小沢から離脱して保守党を結成する。2000
年4月1日に自公保連立政権となる。2000年4月5日には、脳梗塞の小渕恵三に代わり
第1次森内閣となる。2001年4月26日に第1次小泉内閣(自公保連立)が誕生する。
2003年11月21日には保守党は自民党へ吸収され、自公政権となる。小沢一郎の自由
党は小泉旋風のあおりを受け低迷し、2003年9月26日に正式に民主党と合併し小沢
は無役となる。この合併直前に小沢は約13.7億円の政治資金を自身の政治資金管理
団体の「改革国民会議」に寄付している。その半分が政党助成金であったため、政党助
成金法に違反するとして問題視されたが、小沢一郎は握りつぶしている。
民主党と合併し無役となった小沢は、まず旧社会党系の 横路孝弘に近づき安全保障面
での政策をすり合わせて、横路孝弘と旧社会党系と小沢Gを組むことになる。そして小沢
と鳩山は、菅直人と共に真正の左翼人として民主党を牛耳ることとなる。そして日米同盟
の解体を目指すこととなる。これは末恐ろしいことである。簡単に言うと日本を中国の新
彊大和族自治区になさしめめようとすることであるからである。
ここら辺の事情は、当ブログの'07.11.26~「小沢一郎、悪魔の密約」や、'08.1.15~「小沢一
郎の土下座外交」、また'08.2.8~「中国・虚妄のプロパガンダ」などを参照願う。
(続く)