そして巡洋艦、駆逐艦を含むバルチック艦隊の全57隻中、ウラジオストクを目
指すことが出来たのは(まともに動ける船は)、たったの15隻になっていた。
即ち上記の主力と言われた5隻と4隻の巡洋艦、6隻の駆逐艦の15隻だけと
なっていた。しかしこれらの艦船は、浦塩には辿り着くことは出来なかった。
即ち、戦艦「アリョール」、戦艦「ニコライ一世」、装甲海防艦「アブラクシン」「セ
ニャービィン」「ウシャーコフ」、(巡洋艦戦隊に編入された装甲巡洋艦「モノマ
ーフ」は、5/28,14:30沈没している。)
それに、一等巡洋艦1隻、二等巡洋艦3隻、駆逐艦6隻 だけであった。
またロシア駆逐艦2隻は対馬南方に向かい、巡洋艦隊主力の3隻は五島列島
沖をマニラに向かって逃走してしまっている。
しかしこの状態は、鬱陵島に向かっている我が連合艦隊にも、また、当のバル
チック艦隊自身にもわかっていなかった。連合艦隊の第1、第2戦隊は鬱陵島の
南南西約55km地点を航行していた。5/28の朝は「天気晴朗にして、前日来
の蒙気払うが如く、清澄望遠に適す」状況であった。しかしお互いに、あたり一
面見渡す限り波立つ海原が続いていた。そしてお互いに「不安」に駆られていた。
しかし、5/28、05:04、巡洋艦「厳島」が、数条の煤煙を認める。そして、05:25敵
艦隊を視認する。ネボガトフ少将率いる「第3艦隊」と「アリョール」の5隻である。
敵は戦艦2隻と戦艦クラスの装甲海防艦3隻である。'11/6/15,NO.93で説明し
ているように巡洋艦隊が、戦艦と対戦するには誠に不利である。09:35先行した
第2戦隊も第1戦隊が到着するまで、監視を続ける、と言っても距離1万m。しか
もネボガトフ隊の5隻は全て手キズを負っている。09:45には日本の主力艦隊
12隻のほか、巡洋艦隊、駆逐艦隊にも囲まれている。10:36「春日」の試射に
伴って第2戦隊が一斉に砲撃を開始する。
しかし10:37、ネボガトフ少将は降伏を決断し、旗艦「ニコライ一世」は「降伏」の
万国信号旗を掲げて降伏の意思表示をするも、機関停止をしなかったために砲
撃が続けられた。「三笠」からの「停船せよ」の信号で、10:53ようやく機関停止
させ、10:55ネボガトフ隊は降伏した。
これより前、
07:20、戦艦「シソイ・ウェリーキー」を捕獲する。しかし後刻、浸水により沈没す
る。
07:50、巡洋艦「ナヒーモフ」捕獲。
09:00、巡洋艦「ナヒーモフ」沈没。
そして
11:02、戦艦「シソイ・ウェリーキー」沈没。
11:06、巡洋艦「スウェトラーナ」沈没。
11:06頃、駆逐艦「ブイストルイ」かく座。
12:43、駆逐艦「グロムキー」沈没。
14:50、ネボガトフ隊の捕獲作業を開始する。すると、装甲海防艦「ウシャコフ」
が北上してくるのを発見し、捕獲作業を中断した巡洋艦「磐手」と「八雲」が追跡
する。
17:30、降伏勧告するも従わず、「ウシャコフ」との砲撃戦が開始される。後刻
沈没。
16:00過ぎ、駆逐艦「ブルヌイ」自沈。
17:15、駆逐艦「ベドウィ」降伏。この駆逐艦には「ブルヌイ」から移された重傷
の司令長官ロジェストヴェンスキー中将が乗っていることを知り、「ベドウィ」の
捕獲を担当した駆逐艦「漣サザナミ」艦長相羽恒三少佐は驚いた。先のネボガト
フ少将と共に、ここにロシアの2人の提督が日本の捕虜となったのであった。
18:10、装甲海防艦「ウシャコフ」沈没。
21:10、巡洋艦「ドンスコイ」大破。
5/29,早朝、巡洋艦「ドンスコイ」自沈。
(続く)