日韓併合100年(112)

記念写真も、期せずして、大統領の両横に両国の全権団が並ぶ形となった。

そして日本全権団は日章旗の降下と礼砲に送られて汽艇に移乗し、ポーツマ

への乗艦である巡洋艦ドルフィン」向かった。しかしながらロシア全権団は、

そのまま「メイフラワー」号でポーツマスへ向かうこととなる。

船酔いに気分を悪くし、更には米国側の処遇を心配していたウィッテは、上座を

得られなかったが上客の待遇を受けたことに面目を保ったのであった。


同日17時、両全権団を乗せた2隻と護衛の巡洋艦ポーツマスへと出港して

いった。


8/6
、前日と打って変わって霧が濃く立ち込め、船はのろのろと進んでは停止し

た。そのためウィッテはすっかり不機嫌となっていた。船に弱いウィッテはニュー

ポートで上陸し陸路でポーツマスに行く手筈になっていたが、そのためニューポ

ート
入港が半日遅れて16時となってしまったことも不機嫌の理由であった。オイ

スターベイからポーツマスに航行するには、ロングアイランド海峡を抜け、更に

ナンタケット海峡を抜けて大西洋に出てから、直角に北上してポーツマスに向か

う(ことになろう)。ニューポートは、両海峡の途切れたところ、中間地点にあるナ

ラガンセット湾に浮かぶロード・アイランドの先端にある。


8/7
、3艦は早朝出港するが、陸上ではT.ルーズベルト大統領と金子堅太郎元

法相がロシアの強攻策に対して話し合っていたが、なんら良策は見出しえな

かった。

ウィッテの一行は、同日午後11:15に、汽車でニューキャッスル駅に到着した。

ニューキャッスルは、ボストンから70~80kmほど北のポーツマスの北側を流れる

ビスカタカ川の河口、丁度大西洋に面しているニューキャッスル島(New Castle

Island)の最北端にある都市である。

このニューキャッスル島のすぐ西北にあるジャマイカ島(Jamaica Island)の西端

に日露交渉が行われた海軍工廠や海軍造船所がある。いわゆるポーツマス

ジャマイカ島の南西の対岸に当る。両国全権団はこのポーツマス市のホテル

に宿泊したのではなく、ニューキャッスル島と大陸と結ぶウェントワースロード

(Wentworth Road)の付け根のある現在はマリオットホテルとなっている当時

は、ホテル「ウェントワース」の本館に日本全権団が、別館にロシア全権団が

宿泊した。


相変わらずウィッテの外面だけは愛想を良くしていた。

8/8、全権団を乗せた3艦はポーツマス沖に到着し午前10時にポーツマス港に

錨を下ろす。そしてその一時間後に海軍工廠に向かった。海軍工廠第86号棟

の3階に会議室はあった。両国とも米国側の配慮に満足していた。そして昼食

の後ニューキャッスル市の州裁判所で歓迎式に臨み、ウェントワースのホテル

に着いたのは4時を回っていた。ロビーでは、百人の女性コーラスが歌声で日

本全権団を迎えてくれた。

日本人よ 日本人よ

ロシアとウィッテをやっつけろ

旅順を捨てたら あんたはバカよ


ロシア人よ ロシア人よ

日本人をいびるのは もうこれっきり


と言った当時の流行歌のメロディに載せた替え歌であったが、明らかに親日

であった

(続く)