日韓併合100年(129)

それにも増して、この「一文無しの妥協」を日本が知れば、日本は逆上してこの

談判を無にするであろう。だから日本には知らせずに、反対にまさかの時の

り札
に使えると思い、ルーズベルトは秘匿したものであろう。もともとアメリカは

狡賢い国である。


しかもルーズベルト大統領は賠償金には嫌悪感を持っていた。日本の賠償金願

望に応えながらも、その実、「無償平和」の実現を基本としているのである。ロシ

アの「償金不払いの伝統」があることも承知していた。少なくともロシア皇帝は

「割地」に妥協を示したことで最終案をまとめるべく、まず、ロシアに働きかけ様と

した。まず国務次官補H・パースにウィッテ宛の書簡を伝達させた。


「日本は勝利により代償を求める資格がある。だからロシアは日本の要求がさ

らに過大にならないように、その要求に応ずべきと思う。」、ゆえに「自分は、ロシ

ア側が日本の要求を戦費賠償とは考えず、樺太南部の割譲とロシア兵捕虜

の費用支払い
を勧告するものである」

この書簡を受け取ったウィッテは、国務次官補パースに即答した。「大統領勧告

は受諾出来ぬ。ただし、本国政府には報告する」と。しかしよく見れば、ルーズ

ベルトは樺太の半分だけで報酬金はなし、とケチっているのである。しかしウィッ

テは、明言しないものの、樺太北部の買取についても賠償金とは認めずに払

え、と勧めているようにも思えたかもしれない。

 
委員ウィッテは皇帝の「相殺案」についてはまだ知らされていない。さらに英国

「ロイター」通信のペテルスブルグ電は、「ロシアは、直接間接を問わず、日本に

対しては一切償金を支払わず、如何なる領土割譲も行わない」との、外相V・ラ

ムスドルフ伯爵の公式かつ正式に許可された内容を報道した。この外国通信

員に委託する声明
は、まことに異常であると(ウィッテには)感じられたが、これ

も今まで受けていた訓令と同じものであった。そのため即座に拒否反応を示した

ものであったが、これなどまさにロシア側が上げたアドバルーンの一種であろ

う。ロシアは何も渡さない、と言わせておいて、日本側とは樺太南部だけとロシ

ア兵捕虜費用の支払い
でまとめたい一心ではなかったか、と今にすれば思え

るのである。


しかしロシアと同盟関係のあるフランスの新聞「ル・タン」は、「賠償金を払えば

敗北と言う国家的損失から脱却できるのに、なぜ躊躇するのか」と言った解説も

報道していた。


日露講和談判は、1905/8/10に第1回会議が開始され、今は8/24で2週間が過

ぎている。談判の対立点は、樺太の割譲と賠償金問題に絞られてきた。ロシア

樺太南部だけは割譲するが、賠償金は(捕虜費用以外は)支払わない、との

ニコライ2世の言質までとる事が出来た。しかしこれは、小村もウィッテもまだ知

らされてはいない。


しかし大統領はウィッテに、「樺太南部の割譲とロシア兵捕虜の費用支払い

を勧告し、日本(金子堅太郎)には、「変心」して「賠償金の放棄」を説得し始め

たのであった。


今までのやり取りを整理してみると、大体こんな形となろう。

(続く)