8/18、小村・ウィッテの秘密合意、「日本は樺太南部を領有し、北半分を12億
円で還付する。」
8/21、大統領は金子に、賠償金(樺太半分の還付金)は12億円に対して7.5億
円でどうか、と投げかける。
8/22、7:00pm金子は小村にこのことを打電する。そして11:00pm大統領の秘密
書簡(賠償金は放棄せよ)を受領する、大統領の変心。
8/23、夜この7.5億円の電報を小村は受領する。そしてすぐに金子に返電す
る、「報酬金の額について大統領の腹積もりを探れ」と。そして最終回を
8/26,3:00pm開催とした。
8/24、朝、金子は大統領の再度の書簡を受領する、「賠償金は諦めよ」。そし
て小村からの「大統領の腹積もりを探れ」との電報を11:00amに受け取る。正午
過ぎ駐露米国大使マイヤー電が大統領に届く、「露は賠償金は払わないが、
代わりに樺太南部を渡す」と言うもの。そしてウィッテへの書簡を国務次官補パ
ースに託す、「樺太南部の割譲とロシア兵捕虜費用の負担」を勧告、ウィッ
テ1:00pm受領。
8/24、7:00pmに金子は大統領の再度の書簡を、小村に打電する。(最初の書
簡は8/22,11:00pm受領していたが、この大統領の変心を小村には知らせず。)
8/24、深夜、小村はこの金子電「大統領の変心」を受領し、すぐさま「ロシア兵捕
虜の費用の額の大統領の考え」と「駐露米国大使マイヤーとニコライ皇帝との話
し合いの内容」を知りたいと返電する。明らかに不審感を抱いている。
8/25、4:30am金子はこの小村電を受領する。そして11:00am大統領と面会す
る。大統領は、まだわからないのか(?多分)と言った様子で、「日本は満州な
どに土地や権利を得たのであるからそれでよいではないか。賠償金は放棄
せよ。」と繰り返す。そしてマイヤーの報告内容は、「ニコライ二世は陣頭に立っ
て戦う」と言っている、と言うもので、樺太南部と償金との「相殺案」は洩らさな
かった。
そして、8/19に露国委員ローゼンをオイスター・ベイに呼んで伝えた英仏両国に
委託して賠償金のついては検討してもらったらどうか、と言った物語をまた金子
に向かって語りだした。要は、ルーズベルト大統領の騙しの一種、日本を煙に
巻く策略なのであろう。当事国同士でまとまらない物を他国に任せてまとまる筈
がない。遅れて列強の仲間入りをしてきた異人種で成り上がりの日本人に対し
ての、一種のごまかし作戦と言うものであろう。こんなことで煙に巻かれる日本
ではない。そして同じ内容の電文をニコライ皇帝への親電としてマイヤー大使に
言付ける。
このとき日本政府では、まだ大統領の変心は知らされていない。そのため「報償
金は減額してでも講和せよ」と訓令している。減額幅は小村委員への一任で
あった。
8/26、早朝マイヤーは、ルーズベルトの第2親電を外相ラムスドルフを通じてニ
コライ2世に伝達した。皇帝の回答は「樺太南部の割譲とロシア兵捕虜費用
は支払う」がそれ以上は、一切譲歩しないと言うものであった。これが最終回答
である。
午後3時秘密会談開催。ロシア「賠償金に類するものは支払わず。樺太につい
ては自分なりに何か解決方法があるかもしれないと思う。」とだけ回答する。そし
て日露双方とも「これ以上最早解決の道無し。」と認め合い決裂間際になる。そ
こで小村が「今1回会合したい」と提案し、8/28(月)午後3時開催を約し、秘密
会談は終了する。ホテルに帰着すると小村は日本に「第105電」を急信した。
「ロシアは樺太割譲と軍費償還の二問題については、ごうも譲歩の意を示さな
い。日本は譲歩したがロシア側の拒絶によって談判は決裂した。従って戦争
継続の責任は一に露国にある。と宣言してポーツマスを引上げる。」と言うもの
であった。
日本では、外務省通商局長石井菊次郎が、英公使C・マクドナルドの話として、
ニコライ皇帝は「樺太南部は譲ってもよい」と述べた、と急遽通報してきた。そ
のため樺太南部だけでも獲得して講和すべきだと、日本側が結論した。それに
は元老会議、閣議、御前会議などの手続きが必要なので、「最終会議を8/27火
曜日に延期せよ」と、小村に電報が打たれた。
(続く)