第2次上海事変(1)

上海南停車場で泣く赤子

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https://ja.wikipedia.org/wiki/上海南駅の赤ん坊

・・・・・より。

After 16 Japanese bombing planes had flown home,Aug.28,H.S.( "Newsreel")Wong,famous Hearst cameraman,was first to reach the dreadful scene at the Shanghai South Station.He got this picture-of-the-week-a Chinese baby amid the wreckage.・・・(『LIFE』1937.10.4)

『1937(S12)年8月28日、16機の日本軍の爆撃機が見えなくなると、有名なハースト系のカメラマンのH.S.ウォン(ニュースリールのウォン、ニュース映画のウォン)は、上海南駅に最初に到着して恐ろしい光景を目の当たりにした。そして彼は、今週の最もインパクトのある写真となった”瓦礫の中で泣く中国ベイビー”を撮影した。(拙約)』

【撮影者】         Wong,H.S.
【撮影場所】     上海南停車場
【撮影時期】     1937(S12)年8月28日 
(日本軍の爆撃は午後3時から始まっている。)
【正確な出典】  『LIFE』1937年10月4日号他

以上は、
「Files  No.01  The  child」(http://sky.geocities.jp/pac_remix/honron/child.html) より。

 
 
この写真を見てまず感ずることは、どこかおかしい、と言うことです。


なぜこんなところに赤ん坊が一人ぽつんといるのか。見れば、爆撃の後で周囲は相当壊れ

ている。しかし赤ん坊の周りには何もなく、きれいなものだ。この赤ん坊の置かれたプラット

フォームがきれいなら、親は傷ついていないはずだ。親は何処に行ったのか。それとも赤

ん坊だけが、うまく爆撃された現場からここまで飛んできたのか。そんな、馬鹿な。

と、まあこんな風に感じなければ、その人の頭はおかしくなっている、と言うよりもかなり偏

向している。

この事件は、 『第2次上海事変』中の出来事である。


1937(S12)年8月9日夕刻
、日本軍・上海海軍特別陸戦隊中隊長の大山勇夫海軍中尉

とお付の運転手の斉藤與蔵一等水兵が、上海共同租界国際的自由通行路である

記念通り(モニュメントロード)を走行中において、国保安隊多数に囲まれて機銃掃射を

受けて殺された。この事件を契機に、8月12日未明中国(国民党)正規軍が上海共同

租界の日本人区域を包囲し更に上海各地区に増派してきた。このため日本領事は国際

委員会
を再招集して中国軍の撤退を要求したが、中国側は聞き入れなかった。日本側は

自重を重ねていたが、中国側の好戦的な態度を受けて同日8/12夕刻5時50分に初めて東

京の軍令部へ陸軍の派兵を要請する電報を打った。しかし動員には時間が掛かるため、

戦闘を拡大しない方針を堅持した。


しかしながら8月13日午前10時半頃には、中国軍は日本軍陣地に機銃掃射を開始し

た。日本は戦闘が上海の国際区域に拡大しないように防衛的戦術に限定し、中国軍機

飛来し艦船に爆弾を投下しても対空砲火は撃たなかった。


しかし8月13日午後9時頃からは、国保安隊が海軍上海特別陸戦隊を包囲し、攻撃

を開始し戦闘状態に突入した。蒋介石中国軍は3万1千名で日本人区域を包囲しているの

に対し、日本軍は上海陸戦隊の2,200を中心に、各地区からの寄せ集めの海軍特別陸戦

4,000名あまりであった。このため日本海軍は劣勢を補うために渡洋爆撃を発令

し、8/14,15,16と台湾や九州から合計延べ74機の96式陸攻を飛ばし中国各地の飛行場

を攻撃したが、9機が未帰還、3機が不時着・大破、65名の搭乗員が犠牲となった。それな

りの爆撃の効果は挙げたが予想以上の損害を蒙っている。


1933年当時航空本部技術部長であった山本五十六提督の遠距離の海軍の作戦を支援

する長距離陸上攻撃機(敵空母を攻撃、水平爆撃が主を攻撃機、急降下する機を爆撃機

と呼んだ。)が必要となる意見で開発され、1935(S10)年6月に試作機が、三菱内燃機

式会社名古屋三菱製作所で完成し、1936年6月2日に九六式陸上攻撃機として正式採用

された。沈頭鋲や電波航法の採用など意欲的であったが、防弾装備も皆無で機首銃座もな

く未だ発展途上の機体であった。

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96式陸上攻撃機


しかしながら8月14日には、日本艦艇を狙い再度中国軍機の空襲が開始された。しかし

この爆撃により、中国軍機の落とした爆弾がフランス租界に着弾し、民間人3,000人の死

傷者を出すに至った。同時に上海租界日本海軍陸戦隊も攻撃されたが、激戦の末撃退

している。


(続く)