支那事変の真相(10)

(10)

中国の歴史・蒋介石の統一から柳条湖事件まで


1928.12.29

張作霖爆殺後、後を継いだ息子の張学良蒋介石の国民政府に降伏し、満州

も含めて蒋介石が中国を統一する。これを易幟(えきし)と言い張作霖の北 洋政府の五色

旗から蒋介石の晴天白日満地紅旗(旗)に変えて降伏すること
を言う。そして満鉄包囲線

を敷設し更にはそれと結ぶ港湾施設まで建設して 満鉄枯渇政策を実行した。更には間

島(豆満江沿いの中国領で朝鮮人が多数
入植)での朝鮮人(当時は日本人であった)弾

圧が激化し政治問題となる
間島問題)。


1929.5.27

張学良ハルビンソ連領事館を強制捜索して共産党員を逮捕する。押収さ れた書類

からいくつかのソ連の陰謀が明らかとなる。東清鉄道(中東路)へ
共産党工作員の配属

などが明らかとなる。そのため張学良は、ソ連の電信
電話施設を回収し、多くのソ連人従

業員の強制送還や拘束者が発生した。当
ソ連は処分の取り消しを要求し国境地帯に

軍隊を集結させた。


1929.7~12

ソ連軍の本格的な侵攻が始まり、満州里、松花江方面で戦闘が開始されるが 陸川空に渡

ソ連軍が圧倒して中国軍の惨敗に終わる。これと同時に中国各
地で中国共産党が暴動

を起こし混乱させる。この
中ソ紛争は、結局は12.22 ハバロフスク議定書を結び終結

する。東清鉄道は全線に渡りソ連軍に占領
され、その経営と地域一帯の行政権ソ連

手に落ちる。


1930.5.1

党内対立の中原大戦が起こるが、軍事力に勝る蒋介石が勝利し危機を乗り越 える。以

中国共産党と敵対関係が本格化する。

1930.5.30

朝鮮民族に対する虐殺・暴行・略奪が行われた間島暴動が発生する。


1931.6.27

大興安嶺の立ち入り禁止区域を密偵していた陸軍参謀中村大尉一行4人が張 学良配下

の軍に拘束され銃殺される(
中村大尉殺害事件)。そして遺体は証
拠隠滅のため焼却・

遺棄される事件が発生する。中村大尉一行は「蒙古地方
旅行許可」のある通行証を発行

されていたが、張学良配下の軍はそれを無視
して多額の所持金などを略奪して、一行を

殺害してしまった。これを調査し
関東軍は、中国正規軍により日本軍人が不法に虐殺さ

れたことに対して、
激高し中国に対して厳重調査を要求した。しかし中国側は、日本人の

捏造、
宣伝であるなどと回答し、更に突っ込まれると中村大尉らが逃亡せんとした ため

に背後から射殺せざるを得ず、虐殺などではないなどと
虚偽の説明に終 始した。このた

め日中間の緊張は極度高まり、
ことの重大性を中国側が認識 したのは柳条湖事件の起

こる当日であった。

2008.1.30中国毒餃子事件が報道された。この時も中国は公安省と国家品質監督検査検疫総局のNO.2が、2008.2.28に会見して、「餃子へのメタミドホスの混入は、中国では起こりえないこと」だと、中国国営中央テレビが生放送している中で、言い放っている。あたかも「メタミドホスは日本で混入した」と思わせていた。後ほどこの発言は全くの虚言であることが判明しているのだが、あたかも日本に非があるように宣伝戦を展開していた。

今回(2013.2.5夜小野寺防衛相発表)の日本海上自衛隊護衛艦「ゆうだち」に、中国海軍フリゲート艦が2013.1.30火器管制レーダーを照射した事件も、日本の捏造だと虚言を弄して、日本を反対に非難している。ただどうにもならないと見て、監視用のレーダーでないか、などと言い訳している。レーダーを照射したことは認めているようだが、これなども中国の常套手段の嘘っぱちを言い触らしているのである。

だから中村大尉虐殺事件に対する中国の対応に、日本の関東軍は怒りが極大化して、怒髪天を衝いたのである。そのため柳条湖事件を起こさざるを得なかったのであり、非は100%中国側にあったのである。


1931.7.2

長春満鉄の終点地)の北、万宝山に荒地に長春県承認の10年間貸借契約

入植していた朝鮮人入植者たちが作成した水路を、中国官憲と武装した中
国農民らによ

り破壊され、暴行を受けた朝鮮人ら百名単位の死亡者が発生す
る。(万宝山事件、死傷

者無しとの資料もある。)このため朝鮮各地では
中国人排斥運動が起こり、多数の中国

人が犠牲となっている。(朝鮮排華事
件)


1931.9.18

奉天(藩陽)郊外の柳条湖付近で、1931.9.1810:20頃、南満州鉄道の線路 が爆破される

事件が発生する。今まで述べてきたように中国側の数々の日本
人に対する妨害、暴行、

虐殺などのために、関東軍
張学良の東北軍の排除 を計画せざるを得なかった。その

口実作りが、この
柳条湖事件である。

(続く)