[ しかも、吉元玉(キル・ウォノク)は、『(11歳の時)工場に就職させてあげるということを
聞いて、「それなら技術も身に付けられるし、工場に行っていいな」と思って、本当に物心
もつかない幼い軽はずみさで、家族の誰にも言わず、信用してついて行った』と証言して
いる。(上記の「5月19日付当ブログ」記事より引用、橋下がんばれブログの筆者。以下同)
これも多分作り話なんでしょう。11歳の少女が家族にも話さずについてゆくなんて、当時としても考えられない。
しかも、吉元玉(キル・ウォノク)は、「1940年に11歳から慰安婦を始めた」という場所は、満州国の「ハルピ
ンの慰安所」だと言っている!
1940年当時はまだ対米英蘭戦が始まっていなかったから支那事変の段階ではあった
が、満州国は既に支那から独立しており、戦争などしていなかったから満州国の慰安所に
はそれ程需要はなかったはずだ。(上記の「5月19日付当ブログ」記事より引用。)
これも多分作り話なんでしょう。それほど需要のなかったバルビンに行ったということが真実ならば、強制的に
連行されたのではなく、朝鮮人の女衒(ぜげん、遊女の周旋屋)に売り飛ばされたのでしょう。 ]
嘘2
吉元玉は、「(1945年)終戦後に解放されたが、南北分断で北朝鮮になった故郷には戻れ
ないまま、韓国で暮らしている。」と証言している。
しかし、南北が分断されたのは1945年でも、1950年~1953年の朝鮮戦争までは、南北
の往来ができていただから、「北の故郷に戻れなかった」というのは嘘。
画像は、1947年10月、38度線を越えて南朝鮮に来る北朝鮮の一家族。
次に、金福童(キム・ボクトン)(87)だが、これまた嘘ばればれの大嘘吐きだ!
元売春婦の嘘吐き朝鮮人、金福童(キム・ボクトン)(87)
金福童は、昨年(2012年)8月に橋下徹が「慰安婦強制連行の証拠があるなら韓国の皆さん
に出してもらいたい」などと発言した際にも来日していた。
昨年9月23日に大阪で開かれた反対集会で、金福童は「ここにいる私が証人だ」と訴え
たが、そんなモノが証拠になるわけがない。
9月25日に橋下徹は金福童と「お会いしたい」と発言したが、金福童は「謝罪したいという
ならともかく、話を聞こうというだけなら面会する必要はない」と拒否して帰国した。
嘘1
金福童は、「14歳のころ、旧日本軍に『軍服を作るために日本へ行く』と日本統治下の韓
国から連行された。アジア各地の前線を転々とし、8年間、慰安婦を強いられた。」と証言し
ている。
しかし、慰安婦は17歳とか18歳以上しか募集されておらず、14歳の慰安婦が発覚すれ
ば関係者は厳しく処罰されたので有り得ない。
嘘2
現在87歳の金福童は「14歳のころから8年間慰安婦を強いられた」すなわち1939年から
1947年まで慰安婦を強いられた証言している。
しかし、大東亜戦争は1945年に終わっており、1947年まで慰安婦を強いられたなどとい
うことは絶対に有り得ない。
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http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5073.html
金学順と言い、吉元玉(キル・ウォンオク)と言い、金福童(キム・ボクトン)と言い、こいつら
ありもしないことを平気で言っている(福島瑞穂も同罪)。上記で見たようにこいつらの話は
嘘だらけだ。朝鮮韓国政府自体が嘘だらけの国の嘘だらけの政府なのだから、そこの人民
も嘘つきだと言うことはわかってはいるが、こんな嘘は日本(政府)も厳しく糾弾しなくてはい
けないのだ。それに河野談話も。
本日2013.5.27の橋下市長の日本外国特派員協会での「物言い」はすこぶる慎重であっ
た。と言うよりも慎重すぎた。「河野談話」なんぞは明確に破棄と言ってもよかったのである。
その「河野談話」については、小生のブログ
「くたばれ韓国、失せろ李明博(21~23)」(2012.3.20~3.22)なども是非参照願ってこの項を
終えたいが、橋下市長には今後とも頑張ってもらいたいものだ。巷に言われているように
「日本維新の会」は凋落して行く、と言うことはないと思うよ、参院選もがんばってほしいも
のだ。
下記のURLにアクセスしていただき、3/20までさかのぼって「河野談話」についてはみてい
ただきたい。