ここで一寸小休止して、6/18に掲載した一号作戦(大陸打通作戦、1944.4.17~12.10)につ
いて、一言追加する。
この一号作戦の主目的は、日本を空襲するB29
の航空基地の破壊と敵通商網の破壊で
あった。そのため前半は北京と漢口(現武漢)間の京漢鉄道沿いに進められ、各航空基地
などを占領して行った。日本の北支那軍方面軍司令官は規律を重視し、「焼くな、殺すな、
犯すな」と厳命を出して規律を守ったために、占領地は夜間でも安心して外出が可能
だった。
また後半の漢口と衝陽間(更には柳州、広州)でも、各都市を占領していったが、日本軍は
略奪などをさせないために将兵の市街への入場を禁じている。だから中国戦線での日本
軍の略奪や虐殺があったなどの話は、中国人のプロパガンダ以外の何ものでもないので
あり、今もって「南京大虐殺」などのプロパガンダが横行しており、それを信じている日本人
少なからずいることは、誠に嘆かわしいことである。
この結果一応北支から中支、南支、更には仏印までの支那大陸を打通する作戦は成功裏
に終了したのであるが、サイパン島の陥落などで太平洋からB29の空襲にさらされることと
なり、戦略的な効果は少なかった。
この件に関しては、下記のyoutubeも参照されるとよい。
http://www.youtube.com/watch?v=llGeJykaDTY
閑話休題(さて、話を元に戻そう)。
1943年11月23日夜、蒋介石は王寵惠(おうちょうけい=蒋介石の部下:筆者注)を伴っ
てルーズベルトと単独会談を行い、日本が収奪した中国の土地は中国に返還されるべきで
あるという四項目の要求を提出した。
蒋介石の要求に対して、ルーズベルトはすべて同意した。ルーズベルトはさらに「日本が
発動した侵略戦争は中国人の生命財産に大きな損害を与えている。中国の要求は合理的
である」と言った。
日本が太平洋で占拠した島嶼(とうしょ)の剥奪に関して話が及んだ時に、ルーズベルト
は琉球群島を思い出した。彼は蒋介石に「琉球群島は多くの島嶼によって出来上がってい
る弧形の群島である。日本はかつて不当な手段でこの群島を争奪した。したがって(日本
から)剥奪すべきだ。私は、琉球は地理的に貴国に大変近いこと、歴史上貴国と緊密な関
係があったことを考慮し、もし貴国が琉球を欲しいと思うなら、貴国の管理に委ねようと思
っている」と語った。
ルーズベルトの提案があまりに唐突だったので、蒋介石にとっては予測がつかなかった
し、またどう答えていいか分からなかった。しばらくして、蒋介石はようやくルーズベルトに
次のように答えた。
「私はこの群島は中米両国で占領し、その後、国際社会が中米両国に管理を委託すると
いうのがいいかと思います」
蒋介石のこの言葉を聞いて、ルーズベルトは「蒋介石は琉球群島を欲しくないと思ってい
るのだ」と解釈し、そのあとは何も言わなかった。
ところが、43年11月25日、蒋介石とルーズベルトが再び機密会談をした時に、またもや
琉球群島のことに話が及んだ。
ルーズベルトは言った。
「何度も考えてみたのだが、琉球群島は台湾の東北側にあり、太平洋に面している。言う
ならばあなた方の東側の防壁に当たる。戦略的位置としては非常に重要だ。あなた方が台
湾を得たとして、もし琉球を得ることができなかったとしたら、安全上好ましくない。もっと重
要なのは、この島は侵略性が身についている日本に長期的に占領させておくわけにはい
かない、ということだ。台湾や澎湖列島とともに、すべてあなたたちが管轄したらどうかね?」
ルーズベルトが再びこの問題を提起したのを見て、蒋介石は「琉球は日本によってこんな
に長きにわたって領有されているため、もともとカイロ会談で制定された提案には、琉球を
含んでいない(筆者注:カイロ宣言のために提案した文書の中では、「中華民国」に返還さ
れるべき領土の中に琉球群島は含まれていない。なぜなら琉球は長いこと日本が領有して
いるので日本固有の領土だと思っていたから、という意味)」と思っていたので、何と答えて
いいか分からなかった。
ルーズベルトは蒋介石が何も答えないのを見て、もしかしたら聞こえてないのかと思って、
さらに一言付け足した。
「貴国はいったい琉球を欲しいのかね、それとも欲しくないのかね。もし欲しいのなら、戦
争が終わったら、琉球を貴国にあげようと思うのだがね」
蒋介石はようやくその前の質問のときと同じように「琉球の問題は複雑です。私はやは
り、あの考え、つまり米中が共同で管理するのがいいのではないかと……」とあいまいに
答えた。
ルーズベルトはここで「そうか、蒋介石は本当に琉球群島が欲しくないんだ」と思った。と
同時に、蒋介石のこの反応を不思議だとも思った。
最後にルーズベルトは「米中両国で共同出兵し、占領してはどうか」と持ちかけたのだが、
蒋介石はそれでもやんわりと断っている。
――といった内容だ。
東シナ海の地図が決まった瞬間
東シナ海を巡る世界地図はこうして、この瞬間に決まった、と言ってもいい。
1943年12月1日に出された「カイロ宣言」には以下のような文言がある。なお、文中にあ
る「同盟国」というのは第二次世界大戦で日本・ドイツ・イタリアと戦った連合国側を指す。
●同盟国の目的は日本国が1914年の第一次世界戦争開始以降に奪取または占領した太
平洋における一切の島嶼を剥奪すること、および満洲,台湾および膨湖島の如き、日本国
が清国人(中国)より盗取したる一切の地域(ブログ注1)を中華民国に返還することにある。
●日本国はまた、暴力および貪欲により日本国が略取した他の一切の地域から駆逐され
なければならない。
●(カイロ会談に参加した)三大国が朝鮮の人民の奴隷状態に留意して朝鮮を自由かつ独
立国家(ブログ注2)とさせることを決意する。
●日本国と交戦している諸国と協調して日本国の無条件降伏を目指すこと。
(ブログ注1)この「盗取したる」と言う表現は間違いで当時の世界常識であった規則にしたがって得た領土で
ある。もしそのように表現するのであれば、米国はハワイ王国をだまくらかして盗み取ったのである。この件
に関しては、小生のブログ「日韓併合100年(67,2011.1.31)(68,2011.5.6)」などを参照のこと。
(ブログ注2)朝鮮では人々は奴隷状態でもなく、植民地でもなかった。朝鮮では日本国内と同じ待遇で遇せ
られていたのである。日本は、欧米流の略奪式の植民地政策をしたのではなく、正しい土地政策と農業政策
で米の増産が行われ、驚くことに李氏朝鮮時代から2.5倍もの人口増加があり、近代化への道を進んでいた
のである。日本が韓国を併合しなければ、今頃朝鮮はロシアか中国の属国となっており、朝鮮としてはこの世
から消えてなくなっていたことであろう。(小生のブログ「日韓併合100年」を参照のこと。)
この宣言はあくまでもコミュニケに過ぎないが、しかしここで宣言された内容自体は1945年
7月26日に出された「ポツダム宣言」に受け継がれている。日本との終戦協定であるサンフ
ランシスコ平和条約にも、このポツダム宣言が盛り込まれているので、カイロ宣言はサンフ
ランシスコ平和条約の中で生きていることになる。
重要なのは、ここに書かれた「一切の島嶼」「一切の領域」の中に、「琉球群島」(ブログ注3)
は含まれてないことが、「カイロ密談」で明確になったということだ。琉球群島とは言うまで
もなく沖縄県のこと。1895年の時点で、尖閣諸島は沖縄県に編入されていた。その沖縄県
を「中国にあげるよ」とルーズベルト大統領が蒋介石に言ったのに、蒋介石は再三にわたっ
て断っているのである。
なぜか――。
(ブログ注3)琉球諸島とは沖縄諸島と先島諸島で成り立ち、先島諸島に尖閣諸島
・宮古列島・
八重山列島
が含まれていることは、先に紹介している。明らかに中華民国に返還された中には琉球諸島は含まれていな
いし、尖閣諸島も含まれてはいない。
(続く)