毛沢東の発言
【典拠3】1961年6月22日――毛沢東が沖縄県を日本の領土と認める
1961年6月13日から22日にかけて、日本共産党の国会議員訪中代表団(団長:志賀義
雄)が訪中し、毛沢東らに会ったことが、中国政府あるいは中国共産党などの複数のウェ
ブサイトに載っている。この会談では「沖縄が日本の県である」ということが声明文で明記
されている。
しかも声明文は、最も近い日付では2010年5月28日の「中華人民共和国国史網」に載っ
ているので、これらの詳細をご紹介する。
1:まず「中華人民共和国国史網」(The Histry of the People’s Republic of China、HPRC
、リンクはこちら)から。
→http://www.hprc.org.cn/wxzl/bksl/rmrbsl/rmrbsl61/201005/t20100528_51567.html 中国語です。
タイトル:中日両国人民はアメリカ帝国主義に反対する共同闘争を強化しよう
中国側出席者:毛沢東(中共中央委員会主席)、劉少奇(国家主席)、周恩来(国務院副
総理)
この記事の中ほどに、毛沢東が言ったとする次の言葉が載っている。
軍事上、アメリカは日本をアジアに対する不沈航空母艦とみなして、5万人の在日米軍を保
持し、2百個以上の軍事基地を保有して、日本の領土である沖縄と小笠原群島を覇権的に
占領し、かつ日本の“自衛隊”を扶植拡大して、アメリカの極東における作戦軍事力と位置
付けている。
ここでもやはり憎き「アメリカ帝国主義」と戦うために日本人民の闘いを応援するあまり、
「沖縄を日本の領土」と認めているのである。
「尖閣諸島が明記されていないのでは」と考える方もいるだろうが、前述の【典拠1】にあ
る通り、1953年1月8日の「人民日報」は尖閣諸島を琉球群島(沖縄県)の所属と定義づけ
ており、これは1971年10月に国連に加盟するまで正式には覆したことがない。また2010
年の反日デモでは、「琉球は中国のもの。琉球を返せ」と叫ぶ若者さえ現れている。今後も
そういうことがあるといけないので、その領有権は明白ながらも、この記事は注目に値
する。
この同じ記事の終わりの方には、次のような記述もある。
中国人民は日本人民が米軍の日本からの撤去を要求していることを支持し、米国が日本
の軍事基地を撤去させ、沖縄と小笠原群島を日本が取り戻し、日本の独立と民主と和平
と中立を闘い取る正義の闘争を支持する。
ここでも沖縄が日本の領土であることを明確に認め、しかも琉球ではなく沖縄という言葉
を用いて日本の主権を明示していることは注目に値する。
2:中国政府の「網(サイト)」の一つである「中国人大網」(人大は全人代のこと)から。
「中国人大網」自身のURLは http://www.npc.gov.cn で、この記事が載っているURLは
http://www.npc.gov.cn/wxzl/gongbao/2000-12/25/cntent_5000768.htm だが、このペー
ジは不安定で、うまくアクセスできる時とできない時がある。
URLの中にある「gongbao」というスペリングは「公報」の中国語読み。つまり「全人代公
報」として出されたものと思われる。このページには記事を公開した日時が書かれていな
い。おそらくURLの中にある「2000-12/25」が、それに相当するのではないかと思う。という
ことは、2000年になってもなお、中国政府が「沖縄は日本の領土」ということに関していか
なる疑義も挟んでいないことの証左となる。
「沖縄県は日本の領土」になんら注釈なし
その沖縄には、日本の法規により当然ながら尖閣諸島が入っているので、注釈付きでな
く中国政府網が「沖縄は日本の領土」として認めていることは、すなわち「尖閣は日本の
領土」として認めていることになる。
タイトル:中華人民共和国全国人民代表大会と日本共産党議員訪中代表の聯合声明
声明発布日時:1961年6月22日
署名者:彭真(中華人民共和国 全国人民代表大会代表団団長)
志賀義雄(日本共産党 国会議員訪華代表団団長)
署名場所:北京
出席者:毛沢東、劉少奇、朱徳、周恩来、彭真等(中国側)
志賀義雄等の訪中代表団(日本側)
書かれている声明文の内容はほぼ1と同じなので、ここでは省略する。
なお、2と完全に同一の形での記事は、たとえば杭州市浜江区司法局のウェブサイトにも
ある(こちら)。比較的アクセスが安定しているので、確かめたい方はこちらを試していただ
きたい。
→http://law.hhtz.gov.cn/news_det.asp?info_kind=002001&ID=4015 「法律法規」
【典拠4】1972年5月15日――沖縄は日本の県
2009年5月14日付の「中央政府門戸網站」という中国中央政府のウェブサイトに、1972年
5月15日に沖縄が日本に返還された記事を載せている。→http://www.gov.cn/
これは「5月15日は何の日か」というシリーズの記事で、ページの頭には真っ赤な下地に
黄色い大きな文字で「中華人民共和国中央人民政府」とある。完全な政府網だ(リンクはこ
ちら)。
このページには次のような記事がある。→http://www.gov.cn/lssdjt/content_1315132.htm
1972年5月15日、アメリカは沖縄を日本に返還することを決めた。但し(アメリカは)沖縄に
はなお(米)軍を駐留させることにしている。沖縄は古くは琉球と呼ばれていた、日本の一
つの県だ。日本列島の最南端に位置し、60以上の多くの島嶼から成り立っている。沖縄
はその中の最も大きな島嶼だ。1945年6月、第二次世界大戦が終わろうとしていたときに、
米軍は沖縄を占領し、極東の重要な米軍軍事基地の一つにした。
このように、2010年9月、民主党政権において中国漁船衝突事件に関し船長らを逮捕送
検するまで、中国政府自身が沖縄を日本の県として明確に認めているので、反日デモで沖
縄(琉球)まで「本来は台湾のものだから、したがって中国のもの」と叫ぶ若者に対して
は、「論争以前の問題」と言ってあげるしかない。
中国の自己矛盾を見逃すな
この「沖縄県」を定義するときに、中国政府とて「釣魚島を除く」とは書いてないことは注
目に値する。
「釣魚島は中国の領土」と言い始めるのは1970年1月~2月に在米台湾留学生が「琉球
は台湾の領土」というデモを米国で始めてからである。これは69年11月の日米首脳によ
る沖縄返還共同声明がきっかけだった。それはやがて、68年10月~11月のECAFE(国連
アジア極東経済委員会)が尖閣のある東シナ海海底に石油資源が埋蔵しているという報告
と結び付いて「釣魚島(台湾では釣魚台)は台湾のもの」という主張に変わっていく。
中華人民共和国が「釣魚島は中国のもの」と公式の場で言い始めるのは国連に加盟して
から2カ月後の71年12月のことである(『チャイナ・ギャップ』p.104時系列参照)。しかも主
張の根拠は「台湾は中国のものだから、台湾が釣魚島は台湾のものと言うのならば、それ
は中国のものである」という論理展開なのである。
つまり1895年に明治政府が尖閣諸島を沖縄県に編入すると閣議決定してから1971年
まで、中国は釣魚島(尖閣)を琉球(沖縄)から切り離して論じたことはない。「中華民国」の
蒋介石は「(尖閣を切り離さずに)沖縄は要らない」と言っただけだが、中華人民共和国は
自ら積極的に「尖閣は沖縄に所属し、沖縄は日本の県である」と明言していたことを、私た
ちは見逃してはならない。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130219/243926/?mlp&rt=nocnt
なお、
遠藤 誉(えんどう・ほまれ) 中国国盗り物語 の2つの欄は先のものと同じのため省略
した。
また「一部は外務省のホームページにも出ている」としたものは、次のURLであるのでそち
らも参照願う。
外務省「日中関係(尖閣諸島をめぐる情勢)」 平成25年5月
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/ (1953年1月8日付け人民日報記事もあり)
(続く)