領土問題解決の基本的な資料として
ルーズベルトの「日本の戦後処理に対する領土分割」は実に恣意に満ちた「世界国盗り
物語」だとは思う。
内容が頷くに足るかはともかくとして、少なくとも、このようにアメリカ公文書館にも「カイロ
密談」の片鱗が残っているので、前々回の本連載でご紹介した中国側資料にある密談内
容は信用に値すると判断する。
以上、ここまで連載3回でお伝えしてきたことを総括しよう。
尖閣諸島領有権に関する中国に不利な情報を、中国の党と政府側が載せた以上、中国
共産党と中国政府が「カイロ宣言」の舞台裏を認めたことを意味する。
であるならば、中国は領土主権を主張することはできないはずだ。
そのことを中国が認識して威嚇行動をやめ、安倍内閣はこの事実を十分に生かして
尖閣問題の平和的解決に全力を注いでほしい。中国の愛国主義教育がやむことはなく、
その結果、反日感情が軽減するとは思えない。それでもなお、一触即発の状況を継続する
ことだけは避けるべきだろう。そのことのためにこの記事が少しでも役立てば、これに勝る
喜びはない。
遠藤 誉(えんどう・ほまれ) と 中国国盗り物語 の紹介文はは先の論考と同じのため省
略する。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130301/244389/?mlt
【13】支那の日本殲滅作戦
さて中国はどのようにして尖閣諸島を盗みの来るであろうか。
それは、南シナ海での中国の西沙諸島、南沙諸島への侵略状況を見ればよく判る。やが
ては尖閣諸島への中国人民解放軍の侵攻は、早晩行われる可能性がすこぶる高い、と見
ておかなければならないのである。
第1段階は、1956年。対1次インドシナ戦争が1954年に終結し、フランス軍がインドシナか
ら去ると、それまでフランス軍が常駐(ベトナム領だった)していた西沙(パラセル)諸島の
東半分を占領してしまった。西半分だけをベトナムが支配することになってしまった。このと
きのベトナムは脆弱であった。丁度アヘン戦争以降の中国に西欧列強か進出したことを、
中国は脆弱なベトナムに対して実施したのである。
第2段階は、1971以降。ベトナム戦争で南ベトナムが劣勢になると、西沙諸島に多数の軍
事施設を建設し、1974年1月に中国は海空で侵攻して南ベトナム軍を撃破して、残りの西
沙諸島の西半分もー占領してしまう。1974年と言えばベトナム戦争終結のドサクサの時で
あり、アメリカ軍の存在感も相当低下している時であった。このことをみすこして、中国は西
沙諸島の全域を軍事占領してしまったのである。
南北の統一がなったベトナムが中国に対して、西沙諸島を返せと言っても中国は頑として
応じていない。言うことが小憎らしい。西沙諸島は古来から中国領である、との一点張りだ。
1988年には西沙諸島の永興島に2,600m級の本格的な滑走路を持つ航空基地まで作り上
げている。
1973.1.27には、パリで協定が結ばれベトナム和平協定が調印されている。アメリカ軍は
当然撤退が進んでいて、激減している。1975.4.30にはサイゴンが陥落している。この間を
見計らっての中国軍の侵攻であった。
西沙諸島を手にした中国は、それをよいことに今度は南沙諸島に手を出す。
そして手薄になった事をよいことに西沙諸島を固めた1988年には、中国は南沙(スプラト
リ)諸島にも進出してきた。
そしてその理論的基盤を固めるために1985年には「戦略的国境」概念を導入し、1986年
には「海軍発展戦略」を作成し、アメリカ並みの戦略的機動部隊の構築を発表している。
戦略的国境概念とは、「地理的国境」は軍事力や政治力で拡大できる、と言うものである。
いわゆる侵略を国是とした理念である。そのために中国は毎年軍事費を2桁%で増大させ
ている。
1988.3.14には、ベトナムが支配している南沙(スプラトリ)諸島に侵攻して、ベトナム軍を
攻撃して6つの珊瑚礁を占領する。そして1990年にはそれらに鉄筋コンクリート製の恒久
的軍事施設を構築してしまったのである。
ベトナムはソ連と関係が深かったために、中国もおいそれと手出しが出来なかったわけだが、
1991年にはソ連が崩壊している。そのためベトナムからは、ソ連の勢力はいなくなってい
たのである。その隙を中国は突いてきたのである。
更には北からソ連の圧力がなくなったことをよいことに、中国は1992年2月25日に「領海
法」を制定し、西沙・南沙・それに尖閣諸島の領有を宣言したのである。
1992年11月には、フィリピンから米軍が撤退する。米比の軍事演習も下火となり、フィリピ
ン近海は脆弱な地域となっていった。そのため中国はこの好機を見逃す筈はなかった。
すかさず、1994年12月にフィリピンが領有する「ミスチーフ礁」に漁民を上陸させて、つべこ
べ言って恒久的な施設を建設しだす。この近海はフィリピンの石油鉱区である。
これに慌てたフィリピンはルソン島沖の「スカボロー礁」に、国旗と碑を建てる。しかし頻繁
に中国漁船が領海侵犯を繰り返すこととなる。挙句の果てには、2012.4.8に中国漁船が
スカボロー礁に停泊しているのを見つけて拿捕する。これを受け、中国監視船が急行して
フィリピンと中国の公船が睨み合うこととなる。今でもこの状態は続いているようだが、フィリ
ピンが国際海洋裁判所へ提訴している。
以上の事象は2012.7.5~の「尖閣諸島問題その2(1~)」に詳しく述べられているので、参
照願う。
事ほど左様に南シナ海での中国(軍)の振る舞いを見れば、如何に中国の侵略性向が激し
いかがわかる。だから日本も尖閣諸島はなんとしても死守しなければならないのである。そ
して沖縄にいるアメリカ軍の重要性も再認識する必要がある。沖縄からアメリカ軍が居なく
なれば、何がなくとも中国は尖閣諸島を盗みに来ることであろう。
先ず中国軍は、沖縄に米軍がいるからこそ、人民解放軍を民兵にしたたて漁船でさも魚を
獲っている振りをして、何らかの理由をつけて尖閣諸島に上陸する。そして退避場所とか何
とか言って構築物を作って軍事拠点化してゆく。そうなったらもう遅い。なんとしても上陸さ
せないことである。いくら船の故障退避とか台風避難とか言っても、絶対に尖閣諸島には
上陸させてはならない。本当に避難なら巡視船で救助してやればよい。もちろん領海侵犯
なら逮捕してしまえばよいのである。そして高額な罰金を課せばよいのである。
しかしことはそんなに簡単な事ではない。何せ、中国の国防大臣であった遅浩田が、2005年
に中共中央軍事委拡大会議で、「米国打倒・日本殲滅」演説を行っていたのだ。
その内容は「軍刀下での現代化が中国の唯一の選択」と協調しているのである。当然「戦
争準備」を促している。この講演の演題は「戦争が正にれ我に向かってやって来る」だ。
これは小生のブログ、2009.5.13~16の尖閣諸島問題(36~39)で紹介しているので是非
参照願う。
これを読めば、遠藤 誉氏の「尖閣諸島だけで我慢してやるよ」と言う中国の意図だけで収
まる筈が無い事が判るであろう。そして「国防軍」の創設と日本も「核武装が必須事項」で
あることを忠告してひとまずこのブログを終えよう。自分の国は自分で守る必要がある、
これが基本的人権を守ると言う事と同じである。
(終り)