尖閣諸島問題その3(54)

以上が2010.6.28の「年央雑感(6)」に載せた文章であるが、


ここでは、第一列島線内の制海権の確保は、

2010年までに達成されていると言っている。そして

2020年までに第二列島線内の制海権を確保する計画だという。そして

2040年までには、米国の軍事力と対等に渡り合える実力を持つことになる。


この記事は2009.2月時点のものであるが、中国は、1980年代から1990年代にかけて、中国

覇権主義を決定付ける重要な決定を下している。それは「戦略的国境概念」の導入と

領海法」の制定である。


この件に関しては、小生のブログ2009.9.10の「尖閣諸島問題(125)」で詳しく説明してい

るので、その前後を含めて、それを次の載せる。

 

中国は核開発の進展に伴って、外に目を向け始めた。まず南シナ海海南島に近い

西沙諸島を1970年代にベトナムから取り上げ、ついで1980年代にはフィリピン海

南沙諸島を支配下におさめている。その何れも軍事力を背景にして、ベトナムやフィリピン

の主張などは全くの無視。そして西沙諸島には、1980年代には、2,600mの滑走路、

軍艦の基地を造り上げ軍事拠点化している。
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そして日本に接する東シナ海では、1970年代から海洋調査を始めている。80年代に入

ると試験的な石油試掘も実施している。この間日本は、先に述べたように試掘の権利は与

えたものの、試掘の実施は中国に慮(おもんぱか)って許可させなかった。実に情けないこ

とであった。その間中国は着々と東シナ海の海洋調査を実施し、軍事面と資源開発面での

調査を遂行していった。1990年代に入ると東シナ海の調査は、ますます活発化していった。

この間、中国は二つの重要な決定を下している。


その一つは
1980年代後半(年表では1985年としている。)に導入された「戦略的国境

概念
」である。「地理的国境」が国際的に承認された静的な安定した国境であるのに対し

て、「戦略的国境」はその時々の国の意思やそれを支える軍事力によって変化させること

が出来るもの、と定義している。すなわち中国によれば、国家の総合的な力、国力によっ

て変化させることが出来る
ものなのだ。「地理的国境」はもとより、更に拡大された「戦略的

国境」をその国家の総合力で長期的に維持すれば、維持した戦略的国境を地理的な国境

に拡大できる、と中国政府は考えている。(財)DRC研究委員・五味睦佳氏は、「中国の国

境に対する考え方」をこのように述べている。これは恐ろしいことである。国力(国家の総

合力)によって国境は拡大できると言うことは、軍事力によって国境を拡大すると言うことで

あり、中国は国策として侵略により国境を拡大させると宣言していること等しい。中国は十

分に、日本を侵略する意思と軍事力を持っている。その手始めが、尖閣諸島への侵略

ある。事実中国は、1971年に、既に尖閣諸島の領有を宣言しているのである。先の年表

を確認すると、1971.12.30に外交部声明と言う形で、日本の尖閣諸島の領有を宣言してい

るのである。


これと相前後して、中国は「海軍発展戦略」を発表し正式に航空母艦の保有を公表して

いる。これは1986年のことである。そして年表を確認すると、1980年5月には大陸間弾

道弾
ICBMを完成させ、1985年には人民解放軍の近代化の第一段階が完了し、百万人の

兵員を削減している。更に1986年12月には、原子力潜水艦の外洋航海にも乗り出し、

潜水艦発射短距離ミサイルの発射実験にも成功している。そして空母の保有宣言である。

中国は、着々と覇権を唱えるために戦力を増強させ、拡大させているのである。この質・量

的な中国軍の拡大は、その意図が判然としてないと言われているが、そんなことは無い。

彼らは、中国の意図を安易に、軽く判断しているに過ぎない。明らかに中国は尖閣諸島

領有を狙っている
のであり、日本を属国にするための米軍に対抗するための軍事力拡大

なのである。


そしてその二つ目は1992年に「領海法」を制定したことである。そこには尖閣諸島をは

じめ、西沙、南沙諸島、台湾を含む多様な地域の領有権を一方的に明記してある。

そして、その地域の防衛する権利は、中国人民解放軍が持っていると主張しているので

ある。全く何をかいわんや、である。こんな国が隣に存在しているのである。中国は、自分

勝手に法律を作り、それを盾にして国際法を無視して領土や領海への主権を主張している

のである。そしてその履行には軍事力も辞さないと宣言しているのである。こんな国が、国

連の常任理事国となっているのである。明らかに世界というものは無政府なのである。

いくら国連があっても、中国のこの無法な振る舞いには何の咎めもしないのである。これに

対しては、日本は自分で護らなければならないのである。


そして1992年以降中国の海洋調査船が、我が物顔で日本近海に頻繁に出没し始めたの

である。更に1995年5月には、中国海洋調査船向陽紅9号が一ヶ月以上尖閣諸島

沖縄トラフを囲む海域で資源探査を実施し、1995年12月から1996年2月まで石油試掘

リグ
勘探3号
が試掘までやっているのである。この何れもがわが巡視船の中止命令を無視

しての行為であった。


そして1998年の「平胡ガス田」の開発に成功するのである。平胡ガス田は日中中間線

ら約70km程中国寄りにあるが、2004年5月28日には、日中中間線からわずか4kmほ

どの中国よりに位置する「春暁ガス」の開発に着手したのである。


中国は、1974年1月に西沙諸島を支配下におさめ、更に1980年代には南沙諸島をもそ

の支配下におさめているが、この時も相手国の行動を見据えながらなし崩し的西沙

南沙の島々を占領していった。今回の尖閣諸島近海でのこの中国のやり方は、将にこのな

し崩し的な、軍事力と恫喝を背景とした侵略に他ならない。相手国がしかるべき対応をとら

ないと見るや、迅速果敢に侵略(進出)し実効支配をしてきたのである。尖閣諸島でも同様

な手をとっているのである。
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ここら辺の事情は、小生のブログで既に言及している。2008年3月11日の「中国毒餃子

事件(4/5)」や2008年6月9日以降の「中国覇権主義(5)~」を参照願う。


日本政府は、2004年6月9日に中国政府に対して、「国連海洋法条約に違反している」と

抗議したが、中国は馬耳東風として日本の抗議に対しては相手にしていない。この東シナ

海の大陸棚の開発の権利はどこが持っているのかはこの海洋法条約に準拠するものだ

が、中国はこの大陸棚は中国のものだとして譲らない。1958年の「大陸棚に関するジュネ

ーブ条約」では、「境界線は合意が成立しない場合は等距離原則を適用する」とされていた

ものが、1973年の「新海洋法条約」ではこの等距離原則が明確には記述されていないの

である。ここにも強い国の意思がこの法律に反映されたものと、日本としては僻(ひが)みた

くなるものである。将に世界は無政府状態なのである、法律も強い国の都合次第となるの

である。ここでは、等距離原則ではなく「関係国の合意による」としか記述されていないので

ある。これては強い国の言い分が通ってしまう事になるのである。だから世界は無政府

のである。このことを前提に日本は物事を考えてゆかなければ、痛い目の合う。


しかも2000年以降、特に2001年からは小笠原、硫黄島、南西諸島方面にも中国の海

洋調査船が頻繁に出没し始めたのである。そして、2004年頃には西太平洋、グアム海域

までの調査が完了したのである。これこそ機雷設置などで米第七艦隊の行動を阻止し、更

には自国の潜水艦の行動を助けるためなのである。中国はいよいよ対米戦の準備を固め

たのである。そして日本に対しては、2004年4月11日には沖ノ鳥島は単なる岩礁だと主

張して、無断で日本の排他的経済水域の海洋調査をしたのである。このように恫喝しながら

翌月の5月28日に「春暁ガス」の建設に着手している。

 

第一列島線制海権の確保は既に為されている、と中国は確信している。現在の懸案

事項は第二列島線への進出である。第一列島線内から第二列島線へ進出するためには、

日本の尖閣諸島は誠に目障りな位置に存在している。ここに軍事基地でも作られてしまう

と、中国は手も足も出なくなる。だから尖閣諸島奪取に、中国はシャカリキとなっている

のである。中国のこの意図は、未来永劫無くなる事はない、と日本は覚悟しておく必要が

ある。日本は、何時までもノホホンとした平和主義に浸っている暇はないのである。

 

次は2012.10.16、尖閣諸島問題その2(66)の一文である。
(続く)