(10)1905年、日本政府はアシカ漁師・中井養三郎が竹島に小屋掛けした事実を占有として、
竹島を島根県に編入した。
1906年、島根県官吏が竹島を視察、荒天のため欝陵島に避難しそこで鬱陵島の郡守に
竹島が日本領になったと伝えた。竹島は、それまでは無主の地であり、韓国側とは関係の
ない島だったのである。
その島根県は、「竹島」が日本固有の領土であることを示す資料を、熱心に収集しています。
次には、それを報ずるニュースをお見せしますが、そこには貴重な資料が載っています。
是非参照頂き、「竹島」が日本固有の領土であることを再確認していただきたいと思います。
【関西の議論】古地図が語る「竹島は日本のもの」…貴重な〝物証〟、「隠岐」との関わり明確に
2013.5.3 18:00
日本固有の領土にもかかわらず韓国の不法占拠が続く島根県隠岐の島町の「竹島」。県
は竹島と隠岐諸島の深い関係を国内外に伝えるため、入念に資料収集を続け、今年に入
って昭和初期の地図が相次いで見つかった。韓国の不法占拠から約60年が経過し、竹島
の様子を直接見聞きした人が少なくなる中、地図は竹島と隠岐の人々の歴史的な歩みを
示す貴重な“証人”と注目を浴びている。(坂田弘幸)
竹島は隠岐諸島の北西約157キロ沖の日本海上に位置し、2つの小島と周辺の数十の
岩礁から成る。総面積(約0・21平方キロメートル)は日比谷公園(東京都)の1・4倍、東京ド
ーム5つ分の大きさで、アワビなどの水産資源が豊富だ。
サンフランシスコ講和条約が発効(S27,1952年4月28日)する3カ月前の昭和27年
(1952年)1月、韓国の李承晩大統領は竹島を韓国領とする「李承晩ライン」を国際法に反
して一方的に設定。竹島周辺で操業をしていた漁船約300隻が拿(だ)捕(ほ)され、44人
が死傷し、漁師約4千人が抑留された。
島根県によると、日本の竹島での漁は、韓国の沿岸警備隊が竹島を不法占拠(S29、
1954年6月)する直前の29年5月に、隠岐島の漁民らが周辺海域でアワビやサザエを捕っ
たのが最後。周辺海域は日韓の漁船が操業できる暫定水域内にもかかわらず、現在も
日本漁船がまったく近づくことができない。
一方で島根県は領土問題が解決されれば、竹島周辺ですぐに漁を再開できるよう
昭和28年に漁業権を設定し、10年ごとに切り替えてきた。
漁業権は漁協などの漁を認める権利。現行の漁業権の期限は平成25年8月31日まで
で、地元漁協による隠岐島漁業協同組合連合会が取得している。
県は4月23日、今年9月以降の10年も現行の内容で切り替える方針を決めた。漁場は
竹島の岸から500メートルの範囲で、対象はアワビ、サザエ、ワカメ、イワノリ、テングサ。
同漁連が継続して交付を受ける見通しだ。
■男島と女島の表記
新たに見つかったのは、昭和初期に漁師らが竹島に滞在した際の状況を示したとみられ
る地図「竹島略図」。手書きのもので、西島を「男(お)島(しま)」、東島を「女(め)島(しま)」
と記載。当時の島の様子を知る手掛かりになると注目されている。
地図は、県文書「渉外関係綴」に収録されているのを県が見つけた。昭和3年9月27日か
ら10月20日まで漁師らが竹島に滞在した際の状況を記したものとみられている。「男島」
と「女島」の呼称は隠岐の島の住民への聞き取り調査とも一致する。
洞窟で水が湧いた場所をさすとみられる「水」や火山の噴火口とみられる「穴」のほか、
「トド狩場」の表記もあった。西島の北側付近でアシカを頻繁に目撃したという話があり、
「トド狩場」はそれと符合する。
■ダイコン栽培
竹島略図の東島には耕地の跡を示す「畑跡」と記された場所もあった。昭和初期に竹島
での漁に関わった隠岐の島町の男性は生前、「竹島渡航の際には植え付けのよい葉ネギを
1束持っていき、東島の畑に植えた。ダイコン、ハクサイの種も畑に植えた」と語っている。
「20~30日もするとダイコンやハクサイも葉っぱが出始めるので食べることができた。
竹島の畑で育った青物はみそ汁の具として食べた」と証言している。
県は「昭和初期に隠岐の漁民に竹島が経済的に利用されていた。わが国が実効支配し
ていた具体的な実態を改めて確認できる」としている。
■観光パンフにも記載
竹島は江戸時代以降、近くにある鬱陵島(韓国)への寄港地としても利用されてきた。
島根県は、今年に入って竹島と隠岐の人々とのつながりを知る資料を相次いで確認した。
昭和15年に発行された隠岐諸島の観光パンフレット
隠岐汽船(隠岐の島町)が昭和15年に発行した隠岐諸島の観光パンフレット(縦38セン
チ、横53センチ)もその一つ。カラー刷りで折りたため、竹島を名所として取り上げており、
隠岐汽船の寄港地や後鳥羽上皇行在所跡など隠岐の名所、牛突きなどの名物を写真とと
もに紹介している。
竹島については「西郷港より百浬(かいり)、島後の西北海中に吃立する2個の大岩嶼
(しょ)と多数の小岩とより成る無人の島嶼であり、海(あし)驢(か)の生息地である」と解説。
観光パンフレットの地図に描かれた竹島とアシカ、クジラのイラスト
裏表紙の隠岐諸島の地図「隠岐國略図」は、左上に竹島が記され、そばにアシカとクジラ
のイラストが描かれている。
竹島関係の公文書や資料などを公開している竹島資料室は「隠岐の名所とともに竹島も
紹介されている。竹島が隠岐の住民によく知られていたことの証明」としている。
(続く)