東京都知事・舛添要一殿(2)

(3)都市外交とは何か、それはヒストリー外交であるべき。

いくら都市外交と言っても、卑しくも外交と言う言葉を使う以上、PM2.5少子高齢化問題

だけにとどまりません。反対に都市外交と言うから余計政治的な問題がいとも簡単に議題

に上るのです。一端の国際政治学者であるあなたは、それなりの覚悟と勉強をされて訪朝

したものと思います。


一部政治家の言動で両国関係で難しさが出ているが、正しい歴史認識を共有しつつ、関

係を安定的に発展できるよう努力をお願いする
」と朴槿恵に言われた時に、あなたは何と

お応えになられてのでしょうか。


あなたは正しい「歴史認識」が何たるか弁えてから訪朝されたものと思いますが、推測す

るに、何も応えなかったのではないでしょうか。「
大統領は歴史認識をしっかりすることが親

善の第一歩と述べられたので、安倍(晋三)首相にきちんと伝える
」とだけしか言われなか

った。


卑しくも都市外交と標榜されるのならば、「歴史認識」とはしっかりとした歴史的事実に立脚

した判断であり、朴槿恵さんよ、あなたの「歴史認識」は少し違ってはいませんかと、なぜお

応えされなかったのですか。


都市外交とは、政治的な思惑に惑わされることなく、ヒストリーに基いた思考・行動を直接

的にとる事だと思っています。あなたは都市外交の定義を明確には述べておられません

が、単なる非国政的な接触だと感じてはおられませんか。いわゆる単なる友好関係を深

める、そして仲良くなって行けはば政治的にも良好な関係になれる、などと思っているとし

たら、それはまったくの間違いです。

 

(4)日韓併合は単なる植民地支配にあらず、合邦である。

朴市長は「今後はソウルと東京が成熟した市民意識を発揮して一歩ずつ前進していくべ

きだ。勇気を持って過去を顧みながら同時に未来をともに培っていくべきだ
」と言ったそう

だが、この「
勇気を持って過去を顧みながら」と言う意味は、日韓合邦の植民地支配を

日本側が反省してからのことだ、と言う意味にとれますが、あなたも「
ポイントはですね、日

韓の歴史というのは、日本が韓国を植民地にして以来の歴史だけではなくて、それより前、

ずっと長い長い歴史があるわけですから、・・・
」と7/3の都庁での定例会見で言っているよ

うに、いとも簡単に「日本の植民地支配」と言っていますね。


1910年の日韓合邦が単なる植民地支配だと思っているとしたら、あなたは全くの勉強不足

状態で訪朝したことになります。ここに一つのデータを示します。

 

「朝鮮での米の平均収穫量は反当り9斗のみで、日本の反当り平均収穫量(1石6斗)の半

分程度しかなかった(日本農務省、韓国土地調査報告)。それなのに1906年から1930年

の24年間で人口は2倍以上(980万人→1,968万人)に増えていたのだ。


この間、朝鮮総督府は農業改革も着実に実施していた。朝鮮総督府は、米を略奪するどこ

ろか、農業改革、農地改革の一環として奨励金を出し、逆ザヤ制度まで設けて、その質と量

とを安定させた。その結果、史上空前の米生産量倍増と言う偉業を成し遂げ、朝鮮半島

人口倍増を支える基盤を作ったのである、と黄文雄氏は続けている。


そして、朝鮮総督府のスタート当時(1910年)、約一千石前後だった米穀収穫量は、18年

後の1928年(S3)には1,700万石、1933年(S8)には1,900万石と急伸した。半島の米

産は、史上一度も1,000万石を超えたことがなかった。しかし、日韓合邦から20年後

の1930年代に入ると、常に2.000万石を突破するようになった。また、1926年(T15)時

点では、大豆と雑穀の生産も合邦当初の6割増しに達した、とも述べている。

次に米穀収穫量と人口増加を、今まで示した年代別に示す。上記では1933年は1,900万石

となっているが、小生が引用した史料は1,630万石となっているので、1,630万石をつかった。

1928年と1933年の人口は比例計算で算出した。


       米穀生産   人口     消費量
1906年            980万人
1910年  1,000万石  1,312万人 
1920年  1,270万石  1,691万人  1.085万石
1928年  1,700万石  1,913万人    988万石
1930年  1,370万石  1,968万人    830万石
1933年  1,630万石  2,066万人    760万石
1940年  1,436万石  2,295万人  1,398万石

 


米穀生産は、「日本による朝鮮の米収奪のウソ」

http://www.tamanegiya.com/tyousenn-kome-.html

人口は、「植民地統治の検証1」
http://mirror.jijisama.org/syokuminti1.htm

などを参照させてもらっている。読者諸氏も一度、是非これらのURLを訪れるとよい。

更には、つぎのURLも一読の価値があるので、是非訪れてみて欲しい。

「搾取は幻想」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/sakushu.html

 

何はともあれ、上表でもわかるように、朝鮮の人口は1906年980万人→1940年2,295万人

と34年間で2.34倍と、倍増どころか、2倍半近くも増えているのである。人口が増えるという

ことは、朝鮮が日本のために飢餓状態にあったなどと言うことが、如何にひどい捏造で、意

図的に朝鮮人たちをミスリードしているかを示すものである。
http://blog.goo.ne.jp/atlas_centaur/d/20111021

 

 

この成果は、日本政府による目賀田種太郎氏などによる土地調査 1910(M43)年から1918

(T7)年
にかけて、当時のお金で200万円の予算で実施されたと言う)
とそれに伴う農業改革の結果だ

ったのである。この朝鮮統治は、合邦であり決して植民地などではなかった。事実当時の

韓国の財政の2/3は日本からの持ち出しで賄われていたのである。事実1907年から1914

年までの8年間の日本政府からの持ち出しは、当時のお金で1億9千万円で1円=現在の

3万円とすると、実にこの8年間で6兆円が朝鮮に投入されたのである。これも日本がロシ

アからの侵略を防ぐために、朝鮮の近代化を願ったからである。

収奪
が植民地支配であり、持ち出しが合邦だったのである。お判りですか。

(続く)