日清戦争開始120年に考える。(10)

さて、習近平政権誕生からの行動を時系列的に眺めてみよう。

2012.11.14~15、第18期1中全会で、習近平共産党総書記、中央軍事委主席に就任

2013.1.22、中央規律検査委員会で習近平総書記は、「石油閥 もハエも一緒に叩く」と明言。

2013.3.5~17、第12期全人代習近平国家主席,李克強首相。中華民族の偉大な復興・中国の夢


2014.4.22から4.29、オバマ大統領がアジア4ヵ国を歴訪している。その直後の


2014.5.3、中国海洋石油(CNOOC)ベトナム排他的経済水域石油リグを投入

2014.5.2~9、中国船、ベトナム船に放水、体当たりする。ベトナム側負傷者9人となる。

2014.5.11アセアン首脳会議ネピドー宣言を採択。「南シナ海問題は深刻な懸念

2014.5.14、ベトナム中部で反中デモ。21名死亡、外資系企業放火される。

2014.5.16カーニー米大統領報道官は「中国の行動は挑発的だ」と非難、中国側に原因。


2014.7.10米上院が中国拡張主義を非難する決議を採択している。そして

2014.7.16中国海洋石油(CNOOC)は、8/中旬までの予定だったが、石油リグを撤去した。

 

と言う事は、2013.1.22から2014.5.3までの間に、何か重大な事が起こっていたに違いな

い。と言うのも、腐敗撲滅の対象として石油閥に狙いを定めていたにも拘わらず、2014.5.3

にはその石油閥が南シナ海でひと悶着起こしている。その間もその後も、習近平は何をし

ていたのであろうか。この件に関して、この間、習近平は何も言っていない様だ。

 

そこら辺を「平氏」が解説している。3ヶ月ほど前のものであり、すでに新しく展開もしてい

るが、的を得ているように思えるので是非ご一読願う。


この解説はかなりの長文なので、少し小生なりの解読をしておこう。

 


(1)これは、石油閥習近平権力争いである。習近平反腐敗運動として、江沢民派を

叩き始めた。江沢民石油閥を牛耳っている。


(2)現在江沢民派は、政治局常務委員の7人中4人を占めている。これに習近平は不満で

ある。


(3)このため習近平胡錦濤派と組んで、江沢民派、即ち石油閥を「反腐敗運動」として叩

き潰すことにしたものである。


(4)江沢民自身は既に老衰しているが、現在はその懐刀の曽慶紅(元国家副主席,2003

年)がボス役で、その代弁者が周永康である。曽慶紅氏は石油閥の元締めである。


(5)周永康は、曽慶紅に押されて2007年に常務委員に昇進し、しかも中央政法委員会書記

と言う重要ポストにも就いている。かれは、大慶油田でキャリアをスタートさせた石油閥の

大物幹部である。


(6)周永康氏は2013年12月から消息を絶っており、2014年3月には周永康問題が取りざた

され始めたが、5月になっても周永康摘発の正式発表はなかった。それは江沢民派が反撃

に出たからである。


(7)その反撃が、2014年5月3日の石油閥が牛耳っている中国海洋石油総公司の、ベトナ

ム沖での石油掘削
と言う「外交問題」の発生である。しかもASEAN首脳会議の直前と言う

タイミングで、しかもベトナムの反撃を見込んで、敢えて外交問題を態(わざ)と発生させた

ものである。


(8)こうして習近平を外交的窮地に追い込んで、「腐敗摘発」の動きを石油閥は食い止めた

かったのである。ベトナムに強く出れば中国は世界から叩かれ、弱く出れば国内から弱腰

の批判を招くことになる。だから習近平は沈黙せざるをなかったのである。


(9)結局のところは、この腐敗摘発は、周永康だけで押さえられてしまって、他の大物には

波及しないということで、妥協したのではないのかな。だから石油閥は、早めに石油リグを

撤退させたのである。


といったところであろうか。

 

infinity>国際>チャイナウォッチャー [チャイナ・ウォッチャーの視点]
ベトナム衝突事件を仕掛けた
中国の「黒幕」

2014年05月19日(月)石 平

 南シナ海での石油掘削をめぐる中越衝突が発生して以来、関係諸国の猛反発の中で

国の孤立化
が目立ってきている。


タイミングが悪すぎる掘削開始の不可解さ

 たとえばケリー米国務長官は5月12日、両国の艦船の衝突について「中国の挑戦だ。

この攻撃的な行動を深く懸念している
」と中国を名指しで批判した。さらに5月16日、カーニ

ー米大統領報道官
は記者会見において、南シナ海での中国の一方的な行動は「挑発的

」と改めて批判し、領有権争いをめぐるベトナムとの対立激化は中国側に原因がある

の考えを示した。これでアメリカは、中国とベトナムとの対立においてほぼ完全にベトナム

側に立つことになったのである。


 もちろんアメリカだけでなく、南シナ海周辺諸国の中国に対する反発も強まってきている。


 5月10日から開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議は、中国とフィリピン、

ベトナムなどが領有権を争う南シナ海問題をめぐり、関係国に自制を求める共同宣言を採

択したが、首脳会議に先立つ外相会議では、南シナ海での緊張の高まりに「深刻な懸念」

を表明する共同声明を発表した。ASEAN諸国が結束して中国をけん制する立場を示した

といえる。


 それに対し、中国外交部の報道官は5月10日に談話を発表して反発した。ASEAN外相

会議・首脳会議の共同宣言・声明は中国を名指しで批判したわけでもなく、「関係諸国の

自制」を求めているはずであるが、唯一中国だけがそれに反発したのは、要するに中国自

身も、上述の宣言と声明はまさに中国に矛先を向けているものであると分かっているから

であろう。


 とにかくベトナムとの海上衝突の一件をもって、中国は米国から強くけん制されているだ

けでなく、東南アジア諸国から総スカンを食った結果となっている。外交的に見れば、それは

中国にとって大いなる誤算失敗であると言えよう。


 このような失敗はすべて、中国自らの行動が招いた結果である。事実関係を整理すると、

ことの発端はまず5月初旬、中国側が問題海域での石油掘削を一方的に宣言し実施したこ

とにある。それに対して、ベトナム側はまず外交ルートを通じて中国に抗議して掘削の中止

を求めたが、中国側がそれを拒否して掘削を継続したことから、ベトナム船がこの海域に入

って中国側の掘削を阻止する行動を取ると、中国船は逆に体当たりしてきて放水の応酬な

どの衝突事件に発展した。


混乱が観られる当局の対応

 このような経緯を見れば、今回の事件は中国側一方的な行為原因で起きたことがよ

く分かるが、ポイントは、中国側が一体どうしてこのようなタイミングでこのような問題を起

こしたのか、ということである。


 より具体的に言えば、中国は一体なぜ、わざわざASEAN首脳会議開催の直前というタイ

ミングを選んでこのような挑発的な行動に至ったのか、それこそが問題なのである。ASEA

N諸国
結束を促して中国自身の孤立化を自ら招く、あまりにも愚かな行動である。


 5月13日付の英フィナンシャル・タイムズ紙も、「中国とベトナムの衝突、観測筋が首ひね

るタイミング」と題する記事を掲載して、中国側がことを起こしたタイミングの悪さを指摘して

いるが、まさしくその通りである。


 したたかな中国がどうしてこのような初歩的なミスを犯してしまったのか。それがまず湧い

てくる疑問の一つであるが、さらに不可解なのは、ベトナム船との衝突が世に知られた後

の中国外交当局の対応である。


 5月7日ベトナム政府は証拠の映像を公開し、中国側の船舶がベトナム船に意図的に

衝突
してきたと発表、中国側を強く批判した。それに対して8日、中国の程国平外務次官

は「そもそも衝突していない」と言って、衝突という明らかな事実を頭から否定し問題から逃

げるような姿勢を示している。


 しかし同日午後、同じ中国外務省の別の高官が急きょ会見し、「ベトナム側が大量の船を

出し、170回以上中国側にぶつかってきた」と発表した。つまり中国側もこれをもって「衝突

があった」ことを認めたが、それは結局先の「衝突していない」という外務次官の発言を、

中国外務省自ら否定することになる。この二つの発言のあまりにも明々白々な矛盾は、

中国政府自身の対応がかなり混乱していることを露呈している。

(続く)