戦後70年談話はヒストリーで!(8)

くたばれ韓国、失せろ李明博NO.4,2012.02.24の小生のブログ

 

この内容を小生なりに要約すると、こんなものである。

 

「最近日本国内において、軍の名前を使ったり、場合によってはかどわかしたり誘拐までして慰安婦の採用を行っている不埒な募集業者がいるケースがある。これは大変な社会問題を惹起するので、業者に対して募集する者の人物の選定を周到適切にするように、憲兵や警察と連携をして指導し、悪質な募集は厳しく取り締まりさせよ。ゆめゆめ軍の威信を傷つけるようなことのないように、しっかり取り締まれ。」

 

と言ったものである。この通達では「支那事変地での慰安所設置のために、内地での慰安婦募集にあたり」と記述されている。一般に「内地」と言えば、日本に併合されている朝鮮ではなく日本本土そのものを意味する。だからこのことからしても、何でこれが、日本軍が関与して慰安婦として韓国女を強制連行をした事になるのか、はなはだ疑問である。その様に理解すると言うことは、全くトンチンカンなことである。しかしながら日本に混乱を起こして革命を起こさせようとするコミンテルンCominternコミュニスト・インターナショナルCommunist International)の手先なら、この文章を曲解して宣伝することはありうるのではないか。そう考えれば、合点がいく。その様に喧伝(けんでん、盛んに言いふらす)するものは、いわゆる非国民、国賊たる共産主義者なのであろう。


 

ここに「吉見義明」なる人物がいる。こいつは1970年に東大文学部を卒業している。そして2年後の1972年に東大大学院の人文科学研究科の国史学専攻の修士課程を修了している。しかし翌年1973年には博士課程は中退。落ちこぼれたのか、嫌になって辞めたのか知らないが中退して、同年東京大学文学部の助手となっている。現在は中央大学商学部の教授(1988~)のようだ。

 

こいつがこの史料を「防衛庁防衛研究所図書館」で閲覧コピーして、朝日新聞記者に渡したのである。そして朝日新聞1992(H4)111の朝刊一面トップに「慰安所 軍関与を示す資料」「政府見解揺らぐ」などと大々的に報じてしまった。吉見は、「日本軍が関与して朝鮮女を強制連行した」などと吹聴し、慰安婦問題のオーソリティとなったようだ。事実(Wikipediaによると)この記事の説明や社説で、「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」とか「軍の関与は明白であり、謝罪と補償を」などとコメントしていると言う。ここにも吉見の「ボロ」がある。挺身隊の名で、とあるがこの通達は「陸支密第735号 昭和1334」とあるように、昭和13年のことである。挺身隊なる言葉は、昭和18年(1943)に創設された14~25才の女性達の勤労奉仕団体として、はじめて使用されたものである。日本の労働力が逼迫する中、女性労働力を活用するためにはじめて設けられた制度である。その挺身隊と言う言葉を、昭和13年の史料に対して使うことは、全くの間違いである。このような誤使用は、学者にあるまじき行為であろう。

 

その5日後の1992(H4)116には、丁度宮沢首相が韓国を訪問することになっていた。それに合わせて朝日は、捏造して報道したものである。こんな時に報道しなくてもよいものを、国益を無視する朝日新聞国賊新聞であると言われる所以(ゆえん)である。

 

Wikipediaにも、「この朝日新聞の報道以降、元慰安婦の訴訟、日韓間の政治問題化、教科書問題などに慰安婦問題が取り上げられる事となり、吉見はこれらの動きに応じてその後も慰安婦関係の研究を続け、著作・発言を行っており」と記述されている。ありもしない問題を捏造・歪曲して世に流布せしめたことは、万死にも値するであろう。


韓国でも当然慰安婦関係の議論が盛んとなり、199321ソウル大学安乗直教授らの挺身隊研究会が、元慰安婦たちの証言集を刊行した。対象者40人の中で強制されたと言っていたのはわずか4人のみで、そのうち2人の証言はそれ自体検証できず、残りの2人の証言はキーセンなどに「身売り」されたと言うものであった。これらの証言の中には、軍による強制を感じさせるものはなかったのである。

 

そして慰安婦問題は、1993630検定の高校教科書にも記述されるようになり、歪曲された慰安婦問題が世の中に流布されていった。そのようなプレッシャーの中で、199384当時の河野洋平内閣官房長官の、旧日本軍の強制連行を認めるいわゆる「河野談話」が発表されてしまったのである。

 

これは、日本政府の「慰安婦問題に関する第2次調査報告結果」の公表に関連して発表されたもので、この裏には、当時の日韓関係が微妙に影響している。当時韓国政府は、「とりあえず日本が強制性を認めれば以後はこの件については穏便に済ませます。日本には金銭的補償も一切求めません。それは韓国政府が行います。」と明言していたのである。日本政府は『強制連行はしていない』と言う事実を把握しながら、日韓関係を配慮して河野談話を発してしまったものであり、日本を駄目にする3大談話と(小生から)言われる所以でもある。3大談話とは、村山、河野、管と言う3人のボンクラが発表した談話である。そのため河野洋平の息子の河野太郎も、それ程うだつが上がっていない。

 

しかし吉見義明教授は、1997131の「朝まで生テレビ」で、自分の主張が間違いで、「植民地での奴隷狩り的強制連行と挺身隊が慰安婦にされた例は確認されていない」と発言し、自身の主張が間違っていることを認めたのである。

 

もちろん当時は公娼制があり、正式に認められた慰安婦はいた。彼女達は、経済的な理由から親などによって娼妓として売られたもの達も沢山いたことであろう。しかし軍が強制連行した慰安婦は一人もいなかったのである。彼女達の待遇は、当時の二等兵や軍曹よりも高くプロ意識を持ち懸命に働き高給を稼いでいたのである。「従軍慰安婦」などと貶めることは、彼女達にとってすこぶる失礼なことであった。二等兵の月給が750銭、軍曹が30円に時代に、月平均1,000円近くの収入があったことがわかっている(前述の水間政憲氏のSAPIO小学館発行)の200759日号による)。

 

そのため20049には、ソウル大学教授の李栄薫は韓国のテレビ討論番組で、「慰安婦は商売目的の売春婦で朝鮮総督府が強制連行した事実はない」と、勇気ある発言をしている。しかしながら韓国挺身隊問題対策協議会などから大バッシングを受け、ナヌムの家にて土下座して元慰安婦たちに謝罪させられている。

 

ナヌムの家とは、19926に「ナヌムの家建立促進委員会」が結成され、元慰安婦たちの生活支援を求めて全国的な募金運動が起こり、その資金により199210にソウル市に建てられた。その後1995年に京畿道広州市に移転している。

 

このナヌムの家の園長であるヘジン(彗眞)と言う僧侶が、20012に性暴力行為を起こしている。ヘジンはその地位を利用して、ナヌムの家の女性職員数名に性交渉を強要していた事実が暴露された。19972から19985までひと月に2,3回ずつ性関係を強要した、と言うことで告発されたのである。しかしながら韓国挺身隊問題対策協議会などの「慰安婦運動」をしている者たちは、この事件の真相究明と解決のために積極的には行動しなかった

 

2011.12.17に来日した李明博は、自分の国のこの事件を解明してから、そしてその上身を清めてから日本に来い、と言うものである。まことに自分のことは棚に上げ、盗人猛々しいとはこのことである。それにしても民主党政権はだらしないことよ。そんなことを言うイ・ミョンバクなんぞに、日本の地を踏ませるべきではなかったのだ。

イ・ミョンバクには、先に紹介した東亜日報をコピーして、真っ先に読ませるべきであった。そしてそれらをチラシにして、韓国内にばら撒いたらどうかな、野田さんよ。

以上で、小生のブログからの引用を終えるが、現在韓国が不法にも「完全に片付いている請求権問題」を持ち出した事についても解説しているので、是非20120221日の「くたばれ韓国、失せろ李明博NO.1からお読み頂ければ幸いです。

(続く)