そしてここには次のような指摘もあるので、あわせて引用させてもらう。
[1910年、日本が韓国を併合したのは(韓国の)新皇帝が「請願」したからであった。パールハーバー以前は、日韓関係について語る歴史家は、日本が欧米列強から教わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、といってほめるのだ。トリート教授によれば、日本は「一つ一つの手続きを外交的に正しく積み上げていた。そして、・・・宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成したのである。」
事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」手段を踏んでいなかった。
アメリカの鏡・日本ー ヘレン・ミアーズ
何はともあれ、日韓併合は合法であった事実も併せて記憶しておいて下さい。これも無効だといいだす朝鮮人がいるのも閉口します。]
』
目賀田種太郎や伊藤博文らを中心に韓国経済構築の事情などは、詳しくは小生のブログ「日韓併合100年」の2011.9.29,NO.161~などを参照願いたいが、それを引用しながら、日本が韓国経済を構築していった結果だけ次に記す。
(1)朝鮮半島の人口の増加
1753年 730万人(1.00)
1850年 750万人(1.03)
1906年 980万人(1.34) (1.00)
1910年 1,312万人(1.80) (1.34) (1.00)
1920年 1,691万人(2.32) (1.73)
1930年 1,968万人(2.70) (2.01)
1940年 2,295万人(3.14) (2.34) (1.75)
1944年 2,512万人(3.44) (2.56) (1.914)
この間(1753年→1850年、730万人→750万人)の100年間では人口は殆ど増加していないが、日本が第2次日韓協約を結び(1905年)、仕方なく朝鮮を併合した1910年頃から朝鮮の社会情勢は安定し人口は爆発的に増え始め、わずか40年間で2.5倍以上も人口が増加しているのである。ここの数字では1906年→1944年で2.56倍となっている。と言ったところが当時の歴史的な背景から見た朝鮮の人口増加の考察でもある。
李氏朝鮮時代の人口は反対に減少している。
韓国の教師用国定歴史(国史)教科書によると、李朝時代の総人口は
1777年 1,804万人(1.00)
1877年 1,689万人(0.9362) -6.38% 李氏朝鮮時代
この教師用教科書の数字は、上の数字と較べると倍以上サバを読んでいることがわかる。
たとえば、
1753年 730万人
1777年 1,804万人 教師用教科書
1850年 750万人
1877年 1,689万人 教師用教科書
1920年でさえたったの1,691万人の人口が、その140年も前の人口が1804万人と百万人以上も多いと言う数字は、捏造以外の何ものでもない、と思われる。事ほど左様に朝鮮・韓国では学校の教科書にも捏造が蔓延っている。これでは永遠に朝鮮・韓国は反日に凝り固まったままの状態に留まっている事になる。付き合うに足る国とは、到底思えない。だから民主的な価値など共有している国ではないのである。
(2)日本の財政負担
日本の支出 朝鮮の税金・印税
1907年 約2,700万円 ・・・・・
1908年 約3,100万円 ・・・・・
1909年 約2,100万円 ・・・・・
1910年 約2,500万円 ・・・・・
1911年 約2,235万円 1,330万円
1912年 約2,725万円 1,468万円
1913年 約2,110万円 1,562万円
1914年 約1,664万円 1,854万円
合計 19,134万円
このように韓国の財政の2/3は日本からの持ち出しで賄われていたのである。そしてこの8年間での日本政府の持ち出しは、1億9千万円以上となっている。当時の1円は現在の3万円と換算されると言われているが、現在の金額に換算すると、この8年間で6兆円近い額が朝鮮に投入されたのである。その結果ようやく朝鮮の近代化が進むことになったのである。
そして更にこの書物には、1910年から1944年までの間の朝鮮への日本政府の持ち出し額は、今の価値で、約60兆円を超えると言う数字も表示されている。当時の1円は現在の3万円に換算される、と言う。
朝鮮に対する日本の投資額
立替金その他 1億 400万円
補充金 5億3521万円
公債未償還 14億3971万円
合計 20億7892万円
3万円で現在の価値に換算すると、62兆4000億円と言う巨額になる。だから朝鮮の経済がまともになり、円滑に回転しだして成長路線に入り、人口も爆発的に増加したのである。だから黄文雄氏の言う「朝鮮は日本人がつくった」のである。
111010(168)
だから、日本の韓国併合は日本帝国主義の侵略政策の産物であったと糾弾するが、これは真っ赤な虚偽・捏造であり、如何に朝鮮人の「歴史を無視した身勝手な自己中心的な捏造」が、ひどいものであるかを示しているのである。朝鮮は日本人がつくったのである。このことを言いたくないので、朝鮮人はいつも真っ赤な嘘をついているのである。
(3)朝鮮における米穀生産量の増加
次に米穀収穫量と人口増加を、今まで示した年代別に示す。上記では1933年は1,900万石となっているが、小生が引用した史料は1,630万石となっているので、1,630万石をつかった。1928年と1933年の人口は比例計算で算出した。
米穀生産 人口 消費量
1906年 980万人
1910年 1,000万石 1,312万人
1920年 1,270万石 1,691万人 1.085万石
1928年 1,700万石 1,913万人 988万石
1930年 1,370万石 1,968万人 830万石
1933年 1,630万石 2,066万人 760万石
1940年 1,436万石 2,295万人 1,398万石
米穀生産は、「日本による朝鮮の米収奪のウソ」
http://www.tamanegiya.com/tyousenn-kome-.html
人口は、「植民地統治の検証1」
http://mirror.jijisama.org/syokuminti1.htm
などを参照させてもらっている。読者諸氏も一度、是非これらのURLを訪れるとよい。
更には、つぎのURLも一読の価値があるので、是非訪れてみて欲しい。
「搾取は幻想」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/sakushu.html
111021(177)
何はともあれ、上表でもわかるように、朝鮮の人口は1906年980万人→1940年2,295万人と34年間で2.34倍と、倍増どころか、2倍半近くも増えているのである。人口が増えるということは、朝鮮が日本のために飢餓状態にあったなどと言うことが、如何にひどい捏造で、意図的に朝鮮人たちをミスリードしているかを示すものである。
上表における朝鮮における米の消費量が上下しているのは、朝鮮総督府の政策で逆ザヤで米を買い上げて日本などへ輸出していたからである。農民達はそのお金で米より安い雑穀などを買って食料としていたのであり、その差額が更なる儲けとなり生活水準の向上につながり、人口増加となったわけである。そのため日本国内の米は余剰気味となり、度々日本政府と朝鮮総督府とは米の輸出入で衝突している。ある意味日本の農家やサラリーマンの犠牲の上で、朝鮮の農業が蘇(よみがえ)ったのである。これらの逆ザヤは総て日本人の税金から賄われていたからである。ちなみに1941(S16)年の米価設定では、生産者の手取り価格は一石で50円だったのに対し、消費者価格は43円に据え置かれた。この差額は政府が負担している、と黄文雄氏は記述している。この差額は日本人が稼いだ税金から賄(まかな)われたのである。
(続く)