戦後70年談話はヒストリーで!(43)

次ののブログなども参照されるとよい。

私達の先人はアジア民族の誇りを懸けて大東亜戦争を戦ったのです
http://ameblo.jp/9023410651/entry-11988307013.html

日本はなぜアジアの国々から:愛されるのか

http://bewithgods.com/hope/japan/23.html

 

だから「馬鹿頓馬歴史学74人」の70年談話に「侵略」を明記せよと言った声明が、ヒストリー・歴史的事実と如何に異なっているかがわかるというものである。こいつら本当に学者先生かねえ、お前達は全くヒストリーをご存じない。半籐一利を初めこれで日本の歴史学者なのかねえ。きっとこいつらは、中国か馬韓国から何らかの援助を受けているのではないのかねえ、と勘ぐってしまう。

 

だから「村山談話」は、完全にヒストリーと異なっている。歴史的事実と異なっていることを述べているので、こいつは無効にしなければならないのだ。

 

1995村山談話は、完全な誤りの談話なのである。否定・廃止すればよい。

 

本来はこうあるべきだったのである。

 

「戦後50周年の終戦記念日に当たっての村山首相談話」

    1995.8.15の戦後50周年記念式典にて

 

『先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

 

敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私達の誇りであり、そのために注がれて国民の皆様一人一人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表すものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、改めて深甚(しんじん)な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、更には欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

 

平和で豊かな日本となった今日、私達はややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。特に近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、何よりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼に基づいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えに基づき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

 

いま、戦後50周年の節目に当たり、我々が銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

 

このあとはヒストリー・歴史的事実と全く異なったものとなっているので、その訂正文を示す。

 

わが国は、遠くない過去の一時期、列強による大東亜隷属化政策による侵略搾取の桎梏を開放して自存自衛を全うし共存共栄の大東亜を建設しようとする国策により国策を誤り欧米列強との大東亜戦争を戦いました。戦争への道を歩んでしかし日本は敗戦により国民を存亡の危機に陥れてしまいましたがその結果多くのアジア諸国が列強の植民地支配と侵略から開放され独立を果たしてゆきました。によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、大東亜戦争を戦った先人達の功績を正当に評価し、この歴史がもたらした内外すべての偉大な犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。そして戦後日本は、大東亜の諸国と共に平和の道を歩んできましたし、これからも歩んでゆくつもりです。

 

敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを廃し東亜の崇高なナショナリズムの下で、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。そのためには非民主主義の共産国家の核兵器こそが地球の未来の安寧に対する最大の障害であると危惧し、そのためにも日本は世界安寧のために、これらの核に対する対抗措置を講ずる必要を痛感いたしており、防御措置を講ずる用意があります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮める所以となると、私は信じております。

 

「杖(たよ)るは信に如(し)くは莫(な)し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。』


 

と言った内容であれば、当時の村山談話としてヒストリーに則ったものとなるでしょう。大東亜などと言う幾分古めかしい言葉が気になるのであれば、アジア諸国と言う言葉で置き換えれば宜しい。

 

だからこんな面倒くさいことをせずに、この1995年の「村山談話」は、否定し廃止を宣言すればよい。2005年の小泉談話もこの村山談話と同じ言葉が使われている。その部分を次に示す。

 

・・・

 また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。
・・・

小泉談話の場合も村山談話の訂正内容をそっくりそのまま使えば宜しいが、面倒くさいのでこの部分をそっくり削除すればよい。それでも談話の文意は繋がってゆく。

戦後70年談話に際しては、従って、村山談話の廃止削除、そして小泉談話の部分削除が必要となる。しかし簡単にそうも行かないと思われるので、戦後70年談話でそれらを否定する文言を述べておけばよい。

 

戦後70年の今年、それがヒストリー・歴史的事実に則った新しい「戦後70年安倍談話」であり、「河野談話」と「村山談話」が否定された新生日本の再出発と位置づけられることとなるのである。

正しく訂正されたヒストリーに則った村山談話改を、次に示す。(訂正部分のみ)

 

 わが国は、遠くない過去の一時期、列強による大東亜隷属化政策による侵略搾取の桎梏を開放して自存自衛を全うし共存共栄の大東亜を建設しようとする国策により、欧米列強との大東亜戦争を戦いました。しかし日本は敗戦により国民を存亡の危機に陥れてしまいましたが、多くのアジア諸国が列強の植民地支配と侵略から開放され独立を果たしてゆきました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて大東亜戦争を戦った先人達の功績を正当に評価し、この歴史がもたらした内外すべての偉大な犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。そして戦後日本は、大東亜の諸国と共に平和の道を歩んできましたし、これからも歩んでゆくつもりです。

 

敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、東亜の崇高なナショナリズムの下で、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。そのためには非民主主義の共産国家の核兵器こそが地球の未来の安寧に対する最大の障害であると危惧し、そのためにも日本は世界安寧のために、これらの核に対する対抗措置を講ずる必要を痛感いたしており、防御措置を講ずる用意があります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮める所以となると、私は信じております。

 

戦後70年安倍談話」では、この内容を簡潔に一行で示せばよい。そしてあとは未来志向の言葉を繋げれば良い。


たとえば、「70年前日本は大東亜戦争を戦いました。日本は敗れてしまい国民を存亡の危機に陥(おとしい)れてしまいましたが、アジア諸国は植民地支配から解放され独立してゆきました。」とだけ言っておけばよい。これですべての意味が通ずる。



そして「戦後70年談話」の第5としては、あのヒストリーにそぐわない悪名高い「村山談話」の否定・廃止を織り込むことである。

これが第五の必須事項である。

(続く)