戦後70年談話はヒストリーで!(51)

ダグラス・マッカーサーーは、日本軍によりフィリピンから追い払われているので、ある意味日本軍に対しての憎しみは相当なものであったであろうと推察できる。だからこんなむごたらしいことも黙認と言うよりも推奨していたかもしれない。

 

ダグラス・マッカーサー

Douglas MacArther    1880.1.26~1964.4.5

日本軍に追い詰められた揚句コレヒドール島からの脱出を余儀なくされ、1942年)311日、「I shall return"(必ずや私は戻って来るだろう / 私はここに戻って来る運命にある)」と言い残して家族や幕僚達と共に魚雷艇ミンダナオ島に脱出、パイナップル畑の秘密飛行場からボーイング B-17 でオーストラリアに飛び立った。

この日本軍の攻撃を前にした敵前逃亡はマッカーサーの軍歴の数少ない失態となった。彼は10万余りの将兵を捨てて逃げた卑怯者と言われた。また、「I shall return」は米兵の間では敵前逃亡の意味で使われ、安全なコレヒドールに籠って前線のバターン半島にも出てこない彼を揶揄した「Dugout Doug(壕に籠ったまま出てこないダグラス)」というあだ名も広く知られた。さらに、ケソンから50万ドルを私的に取った卑しい行為がアイゼンハワーら軍首脳部の反感を買った。だが、オーストラリアに逃亡したマッカーサーは南西太平洋方面の連合国軍司令官に就任した。その後もマッカーサー軍歴にこの汚点がついてまわり、マッカーサーの自尊心を大きく傷つける結果となった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC


 

オーストラリア軍による捕虜虐待の例も次に載せる。


 

オーストラリア軍の不法行為について■

「オーストラリア軍の連中はもっとひどい。日本軍の捕虜を輸送機で南の方に送らねばならなくなった時の話を覚えているかね?

あるパイロットなど、僕にこう言ったものだ 捕虜を機上から山中に突き落とし、ジャップは途中で
ハラキリをやっちまったと報告しただけの話さ」(リンドバーグ日記八月六日)

ブーゲンビル島トロキナでは、オーストラリア軍によって、日本軍捕虜に「死の行進」が課せられた。
ナウル島とオーシャン諸島を占領していた日本軍は、一九四五年九月、オーストラリア陸軍の捕虜となった。

同月二〇日にナウルの日本兵約二〇〇〇名がトロキナの仮収容所に移送されることとなったが、
栄養失調と疫病で衰弱しきっているにもかかわらず、気温三五~三八度の中を一〇マイル行進させられた。翌日、到着の一二五〇人も同様であった。

豪州軍の警備兵は行軍の速度をゆるめることを許さず、水もほとんど与えられなかった。
死亡者が続出した。
体験者の回想によれば、川を見つけた日本兵が水を求めて駆け寄ると、川の両側に並んだ
豪州軍将校たちが水を飲ませまいと、足で水をかき混ぜて泥水にし、そのうえ銃を向けて威嚇した。
一〇月八日に着いたナウルからの七〇〇人とオーシャンからの五一三人も同じ扱いを受けた。

くわえて、一〇月末にファウロ群島の常設収容所に移動させられた時には、マラリヤに多数が感染したが、豪州軍は予防薬を支給しなかった。捕虜のほとんど全員が感染、約七〇〇名が死亡したとみられる。


以上「日本の反論」米田健三著 p165およびp171~172よりの引用ですが、米田氏は
リンドバーグ日記および「軍事史学 第三五巻第二号」喜多義人論文より引用されています)

http://www.tamanegiya.com/o-sutoraria19.1.20.html
 (このURLではページは見つかりませんでした。既に削除されたか他へ移動したものと思われる。)

http://hoi333.blog.fc2.com/blog-entry-419.html


 

敵軍との激戦で亡くなられた日本軍将兵の皆様にとっては、捕虜となって虐待され拷問されて殺されていった仲間達のことを思うと、草葉の陰で切歯扼腕されていることと思う。もうじき8月15日がやってくる。


大東亜戦争で亡くなられた日本軍将兵の皆様、そして広島、長崎の原爆で亡くなられた無辜の皆様、そして東京を始め日本の都市と言う都市市街地を爆撃目標とした国際法違反による大量虐殺・ジェノサイドで亡くなられた皆様、安らかにお眠りください。

 

そして歴代総理大臣は必ず靖国神社に参拝して、平和の世の中にすべく亡くなられた御霊にお祈りをささげてもらいたいものである。

 

T.ルーズベルト、ウッドロー・ウイルソン、ウォレン・ハーディング、フランクリン.D.ルーズベルト、ハリー・Sトルーマン達に呪いあれ。


 

安らかに眠ってください。二度と核爆弾を見舞われることのないように、日本も自主核抑止力を整備してまいりますから。

 

安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と広島平和都市記念碑原爆死没者慰霊碑には刻まれている。

 

これは「誰に向かって、誰に、何を、誰が、やらせようとしているのか」、判然としない。

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誰に向かって・・・・・原爆死没者に対して、投げかけていると思われる。

 

誰に(命令しているのか)・・・・・誰に向かって、過ちは繰り返させないと言っているのかは、判然としない。原爆を落としたアメリカなど核保有国に向かって言っているのか。または広島市自身のことなのか。広島市の碑である以上、広島市自身核保有国に対して、原爆は使わせないようにする、と言っていると取るべきなのか。

 

何を・・・・「過ち」の内容、これは当然核爆弾を使う、落とすと言うことを、やらせないと言うことなのでしょうか、または核爆弾を落とされないようにする即ち核攻撃を防ぐと言うことなのでしょうか。過ちとする意味は、落とされたことなのか、それとも落としたことなのか、どっちだろうかその両方なのであろうか。いずれにしても情緒的過ぎて頭の中を素通りしてしまう。

 

誰が・・・・・誰が誰に向かって「過ち」は繰り返さないようにするのか。たぶん広島市の碑であるから、広島市が「核保有国」に対して、核兵器を使わせないようにする、と言う意味なのであろう。もしそうだとしたら、これまた情緒的すぎる。そうだとしたら、8月だけの行事ではなく、中国・ロシアなどに対して、真剣に核廃絶をあらゆる手立てを尽くして、常時外交努力をしているのかと言うことになる。日本政府に訴えている、と言うのであれば、余りにもありきたりで、他人事すぎる。

 

と言うことを気にすると、この碑文の無責任さにあきれてしまう。

 

「原爆死没者の皆様、安らかにお眠りください。広島市は、二度と核兵器が使われることのないように、核保有国の政府を初めその関連機関に、核廃絶を働きかけてゆきます。そして核兵器が廃絶されるまでは、わが国に対するも核攻撃を防ぐために有効な核抑止力を保持するように努めます。このようにして日本国民は守られかつ守ってゆきますから、安心してお休みください。」

 

これが正解である。碑文にするならば、次のようになろう。


 

安らからお眠りください。この悲劇を繰り返させないために、広島市はあらゆる努力を惜しみません。

(終り)