戦後70年談話はヒストリーで!(52)

広島平和都市記念碑原爆死没者慰霊碑)について述べたので、長崎市長の田上富久の「平和宣言」についても反論したい。


 

彼の宣言はかなり長文なので、次のURLを参照してご一読願う。

 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150809-00000000-maiall-soci

 

「 」内がその引用文である。


 

長崎原爆の日、田上富久の平和宣言に反論 


A)

 原子爆弾の凄(すさ)まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。日本国憲法における平和の理念は、こうした辛(つら)く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。

 

日本が平和国家として歩んできた、と言っているが、この平和は誰が守ってくれていたのか。日本国一国だけで平和が守れていた訳ではない。自然と平和が保たれていたわけではないのだ。

日本国憲法の平和の理念のお陰で、日本の平和が保たれていたと信じているとしたら、それは大いなる誤解と言うものである。アメリカの核の傘に抱かれていたからこそ、中国やロシアの軍隊や核から守られていたのである。

決して日本国憲法の理念が日本の平和を守ったわけではない。

 

こんなことが判らないほど、長崎市長は頓馬なのか。


B)

「 世界の皆さん、戦争と核兵器のない世界を実現するための最も大きな力は私たち一人ひとりの中にあります。戦争の話に耳を傾け、核兵器廃絶の署名に賛同し、原爆展に足を運ぶといった一人ひとりの活動も、集まれば大きな力になります。長崎では、被爆二世、三世をはじめ、次の世代が思いを受け継ぎ、動き始めています。

 私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。

 今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議は、最終文書を採択できないまま閉幕しました。しかし、最終文書案には、核兵器を禁止しようとする国々の努力により、核軍縮について一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。」


 

戦争は悲惨なものである。ましてや核の被害は想像を絶するものであることは、日本は身をもって体験している。これは事実である。核廃絶への努力は必要であることは明らかである。

だがそれだけで核の被害を防ぐことが出来る訳ではない。

核兵器の非人道性」をいかに訴えようとも、その証拠に、最終文書の採択が出来なかったではないか。

その上日本による「世界の指導者に広島・長崎の訪問を呼びかける」文言も、中国の反対で削除されてしまった。この中国の誤った歴史認識こそ、広島・長崎が問題にすべきものではなかったか。

一人ひとりの力も大切なものであることは確かであるが、生き馬の目を抜く世界の政治の中では、それだけでは駄目なのである。文書案に盛り込めただけで喜んでいては、何も始まらない。


C)

「 オバマ大統領、核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください。被爆者が、単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。」


 

オバマ大統領の名前を出す意味は何か。それよりも法律を守る気のない中国の習近平やクリミアに核兵器を配備すると言ったロシアのプーチンに対して、名指して言うべきではないのか。


D)

「 日本政府に訴えます。

 国の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”への転換について、ぜひ検討してください。

 この夏、長崎では世界の122の国や地域の子どもたちが、平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。」


 

この長崎市長の田上富久(たうえとみひさ)は、いったいこの文章で何をしようとしているのか。


核の傘に対抗できる非核の傘とは、自身としては、具体的に何を想定しているのか。現在の核の世界に対して、世界の子供達をだしにして、世界のリアリスティックな政治家達のお涙頂戴を期待しているのか。

 

だとしたら、こいつは政治家失格であろう。


E)

「 現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯(しんし)な審議を行うことを求めます。」

 

長崎市長の田上富久は、平和の理念さえあれば平和は守られる、と思ってはいないか。理念だけで平和が守られるのであればこの上ないことであるが、理念を展開してこのリアリスティックな世の中で、如何に平和を担保するか、を考えて実行するのが政治家なのである。

 

中国外務省が作ったと言われている「2050 極東マップ」を思い出してほしい。2015.8.7の当ブログのNO.48で掲載しているので、ご存知のことと思う。2050年には日本は中国に占領されてしまっている。

 

揺らいでいるのは理念ではなくて、それを守ろうとする力が、相対的に弱まっているのである。だから集団的自衛権も必要となってくるのである。日本国は自分の国さえ守ることが出来ない仕組みとなっている。早くこれを打破することが必要なのである。

 

中国も韓国も集団的自衛権は保持している。なぜ日本だけがもてないのだ。なぜ日本が集団的自衛権を持てるようにすると、すぐにでも「戦争をしに出てゆく」何ぞと、国民を煽るのだ。それは中国の息を吹きかけられた共産党かぶれの馬鹿共が、その結果、2050年までに日本を簡単に占領できなくなるから、その予防線を張っているのである。

 

田上富久は、おのずとその片棒を担いでいるのだ。お前さんが思っているほど、この世界は甘いものではないよ。

(終り)