続・戦後70年談話はヒストリーで!(24)

【2】オバマ氏の経歴

(略)・・・・・・

 

2008月11月4日アメリカ大統領選挙において、共和党のジョン・マケインを大差で破り、第44代アメリカ合衆国大統領に当選する。

 

2008年11月16日オバマ氏は政権移行準備の為上院議員を辞任する。後任は、ブラゴジェビッチ・イリノイ州知事民主党)を指名する。しかしブラゴジェビッチ州知事は後任指名をめぐる汚職事件で逮捕され、1月29日弾劾手続きで全会一致で罷免されている。オバマ氏側は、「知事や知事側近との不適切な協議には関与していないし一切の接触はなかった。」との声明を発表している。


と言ったところが、オバマ氏の生い立ちや経歴である。10歳でハワイに戻り編入した学校では、初めて「クーン(黒人)」と呼ばれ、大喧嘩をしている。その時から彼は、人種問題で悩み、自分の居所を探し続けたと言う。そしてそのギャップを埋める為に、シカゴでは、社会奉仕活動などに没頭したものと思う。そして結局は自分を黒人と認め現実を受け入れることにより、その悩みを解消していったものと推測される。そしてそこからの脱却を「変革」と言い、「必ず出来る」と結んだのであろう。しかし具体的な変革は見えてはいないが、単純に「ブッシュ体制」からの変革、と言うことを彼は言っているのであろうと、小生は直感するのである。決して織田信長」的な革新を言っているのではない。

調整役のしたたかさはあるかも知れないが、革新的な力量は今後のお楽しみ、と言ったところだと思う。したがって、日米関係についてはなんらめぼしい進展はなく、反対にそれ故に現状維持ないしは薄れてゆく可能性は否定できない。そのためにも日本は独自の視点に立って、自国の安全保障体制の構築に注力する必要があると感ずる。オバマ大統領は、表向きは日米関係重視との言葉は発するかもしれないし、ヒラリー・クリントンを使って日本懐柔に乗り出すはずであるが、それはあくまでも儀礼的なもので、格好だけかもしれないと、小生は危惧している。


 

したがって、日米関係についてはなんらめぼしい進展はなく、反対にそれ故に現状維持ないしは薄れてゆく可能性は否定できない。そのためにも日本は独自の視点に立って、自国の安全保障体制の構築に注力する必要があると感ずる。」と言ったところが、20092月時点での小生のオバマに対する評価であるが、先に分析した現時点2015年での「尖閣諸島」や「安倍政権」に対するアメリカ(オバマ大統領)の考え方は、この評価と同一線上にあるものと考えられるのである。まさしく日米関係については「薄れてゆく」可能性大なのである。

 

これを打破するには、日本は「パラタイム・シフト」を実施しなければならないのである。

 

現在の日本の安全保障に関する「ものの考え方」を、劇的に変えないとその安全保障は有効に機能してゆかないのである。それこそアメリカが「同盟国足り得ない」発言を繰り返したり、「危険を冒してまで尖閣諸島で中国と対決はしない」と言ってみたりする以上、このことは現実のなりつつある。

 

だから日本はパラダイム・シフト」を敢行しなければならないのである。

 

この件に関しては、2009.2.24~の小生のブログ「バラク・フセインオバマ大統領(24~」で既に述べているが、かなり長くなるが今一度それを引用しておこう。


 

【7】米国は本当に頼れるか。

 

パラダイムParadigmと言う言葉がある。「規範」とか「模範」と言った意味の言葉であるが、一般的には、「認識」とか「常識」及び「認識の仕方」と言った意味合いに良く使われている。地球の周りを太陽が回っている「天動説」と言う考え方(パラダイム)が、地球が回っていると言う「地動説」と言う考え方(パラダイム)に変わったことは、我々は良く知っている。「パラダイム・シフト」とは、このように「ものの考え方」「認識の仕方」が、非連続的に、劇的に変化シフト)することを言う。


このようなパラダイム・シフトが、日本外交のこの150年間には3回あったという。文芸春秋社の雑誌「諸君」(2009.)3月号の「米国の核頼みの日本は、十五年で中国の属国だ」で、国際政治アナリストの伊藤 貫氏が述べている。米国が日本についてどのように考えているか、非常にショッキングな事実を述べているので、是非紹介したい。

 

(1)3回のパラダイム・シフト

 

先ずその3回のパラダイム・シフトを紹介しよう。

第1回は、言うまでも無く「明治維新パラダイムである。ここでは明治維新とは言わずに、「富国強兵パラダイムと言っている。パラダイムはものの考え方である、と言っているので、明治維新はその結果であってものの考え方ではないので、表現としては適当ではない。判りやすくするために小生が使ったものであることをご承知おき願いたい。

 

徳川時代鎖国政策を捨てて、西欧列強に対抗できる経済力と軍事力を獲得しようと試みた「富国強兵」パラダイムである、と言っている。この政策は大成功で日清・日露の戦役を経て、前回のブログ「日本は侵略国家ではありません。'08.12.19~での「田母神論文」の第11節の解説で述べているように、第1次世界大戦のパリ講和会議では五大国の一員として参加するまでになっている。ここら辺の事情は、小生のブログ「ヨーロッパと日本'08.10.3~の全般や特に第17章と第18章にも詳しく述べられている。この富国強兵パラダイムの実現は、明治期の日本人が、「坂の上の雲」を目指して、大奮闘してくれたお蔭である。

 

第2回パラダイム・シフトは、満州事変以降の「大陸進出パラダイムである、と言う。この大陸への進出は、後発の帝国主義国であった日本が「帝國主義的侵略の大先輩」であるアメリカイギリスの勢力圏拡大を真似しただけであった。ここで言う帝国主義とはWikipediaによれば「領土や資源の獲得を目指して自国の勢力を拡大するために、軍事力などを背景に他国や他地域に押しいることを進める思想や政策」と言うのであるが、この大陸進出(満州からの拡大)は次の理由で失敗だったと言う。

 

ひとつは、行為自体は列強諸国のやり方を真似しただけであったが、コストが掛かりすぎて日本の手に負えないことであったと言う。日本の中国への進出はそれなりに条約に基づいた物ではあったが(「日本は侵略国家ではありません。」第1節の解説)、それをやり切る体力と外交的賢さがあれば成功したのであるが、そのパワーが不足していた。大陸での長期間の戦闘は、軍事コスト、外交コスト、経済コストが過大で、利益の少ない政策であった。さらには戦域の拡大は、中国だけでなく米ソ両国も敵にまわしてしまうという結果となってしまった、と言っている。このことは、バランス・オブ・パワーの計算から見て明らかな失敗あった。更に地政学的にも、日本は米中露と言う三覇権国に包囲されていると言う非常に不利な立場に、現在もある。このことがアメリカをして、東京裁判でごり押しをしてでも、日本を悪者に仕立て上げる原因ともなったのである。

 

外交における第3回目パラダイム・シフトは、強制的に押し付けられたパラダイム・シフトである。ここで伊藤 貫氏は、次へのように述べている。

(続く)