続・戦後70年談話はヒストリーで!(28)

4.四つ目のポイントの前に

 

今まで述べた三つのポイント(国際政治での注意点)を考察すれば、「永遠に信頼できる同盟関係など存在しない。自国のサバイバルは、自分達で確保し、保障するしかない。」と言うことがお分かり頂けたことでしょう。これに反して、リアリスト外交を実践し最強の核装備を有して自国及び自由陣営を守ろうとしているアメリカは、日本から自主防衛の権利を剥奪しておきたいのである。アメリカのこの日本に対する植民地政策は、一体全体どこからどんな理由で出てきたのであろうか。欧米諸国以外では、言ってみれば有色人種のチビッ子の日本人が唯一の近代化を達成したが、その結果アメリカは日本と東アジアで衝突することとなる。「よくもこの偉大なアメリカの思いを踏みにじってくれたな、邪教を信ずるような異教徒のジャップには、一人前の顔をさせるものか。」と言ったアメリカの有色人種の日本人に対する蔑(さげす)み感情から出て来たとしか思えないのである。

 

その証拠に、アメリカのウッドロー・ウイルソン大統領は本人提案の「国際連盟」規約委員会の議長を務めていたが、日本はその規約に「人種差別撤廃条項」を加えるように提案したのであるが、議長を務めるウイルソンは全会一致を理由にそれまでの多数決の原則を無視して本提案を葬り去ってしまったのである。この議決は、出席者16名中11名の賛成多数を得たものであった。しかもウイルソンは挙句の果てには、その議長役も放り出して帰国してしまったのである。そして自ら提唱した「国際連盟」にも参加しなかったのである。1919年(大正8年)2月13日のことである。(前回のブログ「日本は侵略国家ではありません。'08.12.19~での「田母神論文」の第11節の解説でも述べているので、そちらも参照願いたい。)

 

時代は下がるが、1941年(昭和16年)8月14日フランクリン・ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相とは大西洋上で会談し、「大西洋憲章」と言う共同宣言を発表した。

 

その内容は次の通りの物であったが、

 

1.領土不拡大

2.政治形態選択の自由

3.公海の自由

4.武力行使の放棄

5.侵略国の武装解除

 

と言った一見するとすばらしい物であるが、その実、欧米列強の植民地制度を前提とした中での原則であって、有色人種には適用しない物であった。

 

例えば、

 

第3項では、「米英は、、主権や自治を奪った者に対しては主権や自治を返還することを希望する」と言っているが、チャーチルはインドの主権は「大英帝国が有している。」と議会でも答弁してインド人には主権を返還する必要が無いと言っているし、

 

第2項では、「米英は、関係国民の自由意思と一致しない領土変更は行わない。」と領土の現状維持をうたっているものの、関係国民とは欧米列強を言っているのであり、有色人種には適用されないのである。

(続く)