ならず者国家・中国、アレコレ!(57)

 <苦い果実>

 台湾の独立に反対する立場を繰り返す中国は、比較的慎重な姿勢を見せてはいるものの、先には大きな不安が待ち受けている。新華社は、独立に向けたいかなる動きも、台湾を滅ぼすことになる「毒薬」のようなものだと警告した。

 中国人民解放軍の南京軍区副司令官を務めた王洪光・中将は17日、インターネット上で発表した論評のなかで、人民解放軍は現在、対台湾作戦でかつてないほど準備が整っていると明らかにしている。

 「前線部隊は翼が生えたトラのようだ。蔡英文と彼女の独立部隊はそれを逃れられると考えるべきではない。中国本土は台湾独立という苦い果実を飲み込むわけにはいかない」と王氏は述べている。

 また、ある西側の上級外交官は、台湾について中国当局者と交わした最近の会話について触れ、世界も中国指導部にとっての台湾の重要性を過小評価するべきではないとし、「中国政府にとって台湾ほど重要なことはない」と語った。

 中国政府はまた、台湾は中国の一部であると疑わない国内世論に気を配る必要がある。中国版ツイッターと言える微博(ウェイボー)では「台湾を統一するために武力を行使せよ」というフレーズの人気が急上昇した。

 <ミサイル実験>

 人民解放軍とつながりがあり、定期的に幹部と会っているという北京に拠点を置く中国人の関係筋はロイターに対し、今回の台湾の選挙は中台関係、中米関係にとって「広範囲な」結果をもたらすと語った。

 「今後起きることを非常に懸念している。状況はもっと悲観的になる」と、匿名を条件にこの関係筋は述べた。

 蔡氏の総統選出は、中国の習近平国家主席にとってばつの悪いことでもある。習氏は昨年シンガポールで、馬氏と1949年の分断後初の歴史的会談を果たしており、台湾独立派をけん制していた。

 1949年以降、中国と台湾の間には3回衝突の危機が訪れている。直近では1996年台湾総統選の前で、中国は台湾に近い海域でミサイル実験を行った。中国が独立派とみていた李登輝の当選を阻もうと意図したことだったが、同選挙で李氏は圧勝した。

 民進党陳水扁が総統を務めた2000─08年も、中国と前向きな関係を維持しようとした同氏ではあったが独立を主張する言動のせいで、中台関係はひどく悪化した。

 今回、総統選と同時に実施された立法院(国会)選挙でも、民進党過半数の議席を獲得した。これにより、政権運営をより自由に進められるだろう。

 どのみち、中国は台湾に圧力をかけるのに刀を交える必要はない。台湾にとっての最も重要な貿易相手国かつ投資先として、中国はすでにあらゆる経済カードを握っているのだから。

 「台湾は国際社会のサポートなくしては生き残れない。なぜなら、われわれの敵は巨大な中国なのだから」と、元台湾外交部の高官で現在は台湾民主基金会のシニアフェローを務めるマイケル・カウ氏は語った。

 (Ben Blanchard記者、Faith Hung記者 翻訳:伊藤典子 編集:下郡美紀)

http://www.asahi.com/international/reuters/CRWKCN0UW0OA.html

 

ちなみに、一応台湾の総統選を紐解いてみよう。

 

台湾の正式名称は、「中華民国」である。

 

この基をたどれば、191211孫文を臨時大総統とする中国大陸に成立した国家である。この時中国はまだ清朝の末期であったが、その後清朝を滅ぼした袁世凱が大総統に就任する。そして孫文袁世凱と対立して中国国民党を作り、1921年には革命政府(国民政府)を作ったものの、1925年に目的を達しないまま死去する。国民政府(中華民国蒋介石が後継者となり、当時の日本と対立することになる。この対立のもとは、共産党員によって盧溝橋事件、第二次上海事件などが惹き起こされている。

 

その後大東亜戦争(いわゆる太平洋戦争)が、1945.9.2の日本による降伏文書への調印により終結すると、中華民国戦勝国側の国となり日本領であった台湾島地域を移譲される。

 

その後国共内戦により中国共産党が勝利し、1949.10.1中華人民共和国が成立し、中華民国は中国大陸から追い出されて台湾に逃れて1949.12.7にそこを国として統治を始める。

 

1971.10.25の第26回国連総会2758号決議(国際連合における中華人民共和国の合法的権利の回復)により、中華人民共和国中華民国(台湾)に代わって国連常任理事国の権利を取得した。この決議案には「回復」とあるが、実際には中華人民共和国はそれ以前には国連に加盟していなかったので、「権利の回復」などではなく「権利の取得」が正しいとは、Wikipediaの記載である。

 

その後米国(1972.2ニクソン訪中)も日本(1972.9.29中共同宣言)も、中華人民共和国を承認することとなった。米国は、正式には1979.1.1に国交を樹立している。

 

その結果中華民国・台湾は、国連から脱退している。この米国の変節には、1960,12~1975.4.30ベトナム戦争が影響している。米国はベトナム戦争終結には中国の助けを必要と考え、更には中国市場への参入も考えてのニクソン訪中ではあったが、ともにそれほど効果的ではなかった。

 

 

蒋介石1975.4.5に死去したため、息子の蒋経国国民党主席となり、1978.5.20(~1988.1.13)蒋経国中華民国第6期総統に就任する。その後蒋経国総統は、戒厳令を解除し民主化、自由化へと大きく舵を切ってゆく。この間中国大陸との関係も改善されてゆくが、蒋経国1988.1.13に重い糖尿病で死去する。

 

その後は、副総統であった李登輝蒋経国の任期を引き継ぎ、第7期総統1988.1.13~1990.5)に就任するが、その後も李登輝が信任投票で第8期総統1990.5~1996.5)に選出される。

 

李登輝はその後第9期総統1996~2000より直接選挙により決することを決定し、1996年の直接選挙でも総統に選出されている。このとき中華人民共和国は総統選挙を妨害するために、台湾海峡でミサイルの発射実験などの軍事演習を行い、台湾をけん制した。そのため米国は空母二隻を台湾海峡に派遣して、中国をけん制する。この空母2隻に中国は頭を押さえられ、何もできなかった。これに懲りだ中国は、軍備の近代化に邁進することになる。

(続く)