(5)VWとスズキの資本提携とその解消
スズキはVWと提携する前には、GMとも資本提携をしている。1981年8月にGMは5.3%のスズキ株を取得して、資本提携をしている。その後GMの出資比率は20%まで拡大していったが、GMの衰退とともにスズキ株を徐々に手放してゆき、2006年には3%となり更にはGMの経営破たんの前年の2008年3月にはその3%分も手放して、GMはスズキとほゞ完全に手を切っている。かなり金策に苦労していた訳だ。結局GMは2009年6月に連邦破産法第11条の適用を申請して破たんした。
その結果スズキは、次の提携相手を探すこととなりVWが登場することになった訳であるが、そんなスズキの経歴を今一度おさらいしておこう。
スズキの元は足踏み織機の考案から始まっている。
1908年(M41) (スズキ創業者の)鈴木道雄は、親方が大工から織機製作に転換したため、織機製作技術も習得し、この年、足踏み織機を製作する。
1909年(M42)10月 鈴木道雄は浜松で、鈴木式織機製作所を創業する。特許・実用新案120 件余。
1920年(T9)3月 鈴木式織機株式会社を設立する。
1936年(S11) 四輪自動車の試作車を作る。
1950年(S25)5月 労働争議、経営危機となりトヨタに資金援助依頼。自転車補助EGブーム。
1952年(S27)6月 輸送用機器へ進出。バイクモーター「パワーフリー号」(2 cycle 36cc)発売。以後オートバイが主力となってゆく。
1955年(S30)10月 軽四輪「スズライト」(2cycle360cc)発売。軽乗用車の先鞭。
1962年(S37)6月 英国マン島TTレースで50cc部門で優勝。
1971年(S46) GM、いすゞ自動車(株)と(伊藤忠の仲介により)資本提携。
1975年(S50)5月 自動車排ガス規制への対応遅れで苦境、トヨタに支援依頼。
1978年(S53)6月 鈴木修、社長に就任する。
1981年(S56)8月 GMゼネラルモーターズと資本提携、出資比率5.3%。乗用車の対米輸出自主規制始まる。
1983年(S58)12月 インド・マルチ社で四輪車生産開始。
1990年(H2)10月 スズキ株式会社に改称、Suzuki Motor Co., Ltd.
1998年(H10)9月 GM出資比率3.3%から10%へ。当初の5.3%から減らしていた様だ。
2000年(H12)9月 GM出資比率10%から20%へ。GM、日産より富士重工株を取得。
2003年(H15)4月 Fiatと業務提携、車両共同開発とE/Gの技術協力
2004年(H16)9月 インドでFiatディーゼルE/Gライセンス生産
2005年(H17)10月 GM、富士重工株全放出(20%)。トヨタがその8.7%を買い取る。
2006年(H18)3月 GM出資比率20%から3%へ(17%をスズキに売却)
2006年(H18)3月 スズキ、Fiatとの車両共同開発のSX4を欧州で販売
2006年(H18)4月 GM、いすゞ株全放出(7.9%)。11月にいすゞ・トヨタ資本提携(5.9%)。
2006年(H18) スズキPTI、インドでFiatの1300ccディーゼルE/Gをライセンス生産
2008年(H20)9月 アメリカ金融危機。リーマンブラザーズ破綻
2008年(H20)11月 GM保有株(3%)をスズキがすべて買取。
2009年(H21)3月 トヨタ、4,369億円の赤字決算
2009年(H21)6月 トヨタ、豊田章男が社長に就任する。
2009年(H21)6月 GM、連邦破産法第11条の適用を申請し破綻。7月に国有企業となる。
2009年(H21)12月 スズキ、カナダCAMIオートの株式を新生GMに売却。完全に手が切れる。
2009年(H21)12月 12/9スズキ、VWと包括的業務資本提携を発表
2010年(H22)2月 豊田章男社長、米下院、監視・政府改革委員会(公聴会)に召喚される。
2011年(H23)6月 スズキ、Fiatと1600ccディーゼルE/G供給契約。VW反発。
2011年(H23)9月 スズキ、VWへ提携解除の申し入れ。拒否される。
2011年(H23)11月 11/24スズキ、VWとの契約解除と株式返還を国際仲裁裁判所へ訴える。
2014年(H26)1月 新生GM、メアリー・パーラがCEOとなり、民間企業となる。
2015年(H27)8月 8/29、国際仲裁裁判所がVWにスズキ株の売却の判決。
2015年(H27)9月 9/17、スズキはVWの保有する全スズキ株を買い戻す。
と言ったところがその他の関連事項も含めたスズキと言う会社の沿革になる。
これを眺めていると、次のキーワードが浮かび上がる。
織機、オートバイ、GM、Fiat、VWの五つだ。スズキも遠州浜松あたりで機織り機の開発から起業した会社であった。トヨタも、もとはと言えば、遠州浜松近郷で機織り機の開発から大企業となった会社で、その点ではトヨタ、スズキはよく似ているし、スズキは二度もトヨタに援助を申し入れて助けられている。
一回目は1950年(S25)のことだ。
週刊ダイヤモンドの2015.10/10号によると、前年に日本最大級の労働争議が勃発し1950年に大赤字に陥ってしまい、金策に窮してしまった。初代社長の鈴木道雄は、当時のトヨタ三代目の社長の石田退三に2000万円の融資と役員派遣を依頼する。石田はこれを快諾し、スズキを訪問しスズキ社員の前で「スズキの経営に口を出すつもりはないので、安心して仕事に励んでほしい」と述べたと言う。
二回目は1975年(S50)のことだ。
これも週刊ダイヤモンドの2015.10/10号によると、光化学スモッグの発生が頻発したため排ガス規制が強化された。スズキはその対応に遅れ、目途が立たなかった。この絶望的な状況に対して当時スズキの専務であった鈴木修は、トヨタの五代目社長にの豊田英二に救済を依頼する。トヨタはこれに対して、DH製の排ガス対策エンジンを供給してスズキを援助した。
と言うものだった。
しかし常にトヨタはスズキに対して優しかったと言うわけではなかった。それは当時トヨタの代表取締役会長であった奥田碩が、2000年5月に自動車工業会会長に就任した時の発言であった。
それは「軽自動車の税優遇は見直されるべき」との発言である。
注目浴びる奥田トヨタ自会長の軽自動車優遇税制発言
カテゴリ:16.その他 トピック
作成日:2000/06/05 提供元:21C・TFフォーラム
5月18日付けで日本自動車工業会(自工会)の新会長に就任した奥田碩トヨタ自動車会長の軽自動車に対する優遇税制関連発言が、注目を浴びている。
5月30日に行われた新会長就任の記者会見で、2年の任期の間に取り組む重要課題として自動車税制問題を取り上げたいと表明したところ、記者から軽自動車の優遇措置も含めたものかとの質問があったことから、自動車税制全体の中で軽自動車の優遇税制も考えていく必要があるとし、海外の小型車メーカーからの軽自動車の優遇措置に対する指摘も踏まえ、「世界の自動車会社が地球規模で競争をしている時代に、軽だけに特別な恩典が認められているのはおかしいとの声がある」と発言したもの。
奥田氏自身、軽自動車メーカーのダイハツを傘下に置くトヨタの会長であるとともに、自工会メンバー13社のうち7社が軽自動車の優遇税制の恩恵を受けていると、立場を述べたうえでの発言でもあるが、軽自動車メーカーの反発は必至。
4月1日現在の所有者が市区町村に納める自動車税(軽自動車税)の税率(年額)は、例えば1000CC以下の自家用乗用車が29,500円であるのに対して、自家用の軽自動車は7,200円と税額に差がある。
折りしも2014.4.1からは消費税が5%から8%に増税となる。それに合わせて自動車取得税が軽減されることになり、その穴埋めで燃費による課税の仕組みに軽自動車も加えられることとなり、結局軽自動車税は五割増しとなったのである。7,200円から10,800円(2015.4月購入分から)となったのである。
(続く)