読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

続・次世代エコカー・本命は?(34)

巨人たちの懐で(7)――ホンダ買収案、GMの焦り

伊藤忠商事元副会長 J・W・チャイ氏

2014/8/1  (1/2ページ)

資本提携が決まり握手する(左から)スズキ(鈴木自動車工業=当時)の鈴木社長、GMのウォーターズ副社長、いすゞの岡本社長(1981年)

 

 結局、米ゼネラル・モーターズ(GM)のホンダ買収構想は消えた。

 大胆なGMのシナリオを聞いたとき、「なぜだろうか」と考えました。世界最大の自動車会社にも焦りがあったのかもしれません。

 GMは当時、Xカー」「Jカー」「Sカーという名前の小型車プロジェクトを走らせていましたが、どうも芳しくない。提携関係を深めてきたいすゞ自動車は、トラックは良くても、乗用車については期待ほどではありませんでした。ならばホンダを仲間にしたい、と思いたったのです。

 僕のGMへのアドバイスは、否定的な結論でした。「ホンダの良さは『ゴーイング・マイ・ウエー』。まとまったホンダ株を売ってくれるオーナーもいない。やめておいた方がいいですよ」と伝えました。

 最高経営責任者(CEO)だったロジャー・スミスさんはあきらめきれなかったのでしょう。後になって、「GM側は日本の金融機関の首脳にまで探りを入れたようだが、チャイさんと同じ答えだったらしい」という話も聞きました。

 GMのパートナー探しは、そこで終わらず、鈴木修さんが率いるスズキにたどり着きます。修さんにGMとの提携を持ちかけたのは、当時のいすゞ社長、岡本利雄さんでした。

 僕が修さんと知り合ったのは、その後です。彼は現役の自動車会社トップで最高の経営者だと思います。組織力というより、行動力と見識、そして人徳でスズキを動かしている。

 当時は50歳ぐらいでしたが、とにかく取り仕切っていました。今も変わっていないでしょ。

(2/2ページ)

スズキも「GMファミリー」に加わった。

 修さんには、こんな話をしたことがあります。

 「GMという会社はがたいは大きい。確かに世界一だ。財務部隊もしっかりしていて、組織がきちんと動いている。ただし、社内に問題があるんですよ」

 当時のGM内部で騒がれていた問題は独占禁止法への対策です。偉い人たちは、「米国内のシェアが5割。独禁法に引っかからないためには、どうすべきだろうか」とか、「もし、シボレー部門を分離せよ、と言われたら、どう動くか」といった話題にばかり気をとられていました。

 修さんは、そんな僕の話を聞いていたためか、GMにのみ込まれるなんて心配せず、提携の実を取ることに集中していきます。

 一方、GMは、まだ不安を抱えていたようです。というのも、日米の小型車の生産コストを比較すると、日本が米国の半分。これでは太刀打ちできません。

 1981のロジャーは猛烈に忙しかった。1月にGMのトップに就任しましたが、夏にスズキと提携。そして、秋になると、より大きく、強い日本車メーカーと組みたい、と考えるようになっていました。

 後に「世紀の提携」「巨人たちの握手」と呼ばれるGMとトヨタ自動車の提携が僕を待っていました。

[2013/10/22日経産業新聞]

http://bizacademy.nikkei.co.jp/management/hiroku/article.aspx?id=MMAC2o000030072014

 

 

このスズキとの資本提携の延長線上にトヨタGM合弁会社NUMMIが存在したのであった。スズキにはGMサイドから接近していったものであった。スズキ側にも大きく言うと企業戦略上のニーズがあり、提携話は順調に進んでいったものと思われるが、日米で自動車が政治問題化されていたので、トヨタにも米国への工場進出の機会を伺っていた頃であった。

 

しかしながらGMにはスズキは少しばかり小さすぎた。と言うよりも、スズキの小型車作りは精巧過ぎて、GMの手には負えなかったのであろう。GMとしては、GMが参考に出来ると思われる大きな自動車メーカーの小型車の物作りに興味があり、そんな企業との提携を希望した。

 

その相手がトヨタだった。

 

当時伊藤忠商事の米国法人の副社長だったJW・チャイ氏の自叙伝風の活動歴(仕事人秘録セレクション)の続きを示す。

 

 

巨人たちの懐で(8)――自動車提携、次はトヨタ

伊藤忠商事元副会長 J・W・チャイ氏

2014/8/8  (1/2ページ)


GMとトヨタがトップ会談を開いた会員制クラブの「リンクス・クラブ」(米ニューヨーク市内)


 1981年。日米自動車摩擦は激しく、トヨタ自動車は「自工」と「自販」の合併直前だった。

 米ゼネラル・モーターズ(GM)が、もっと大きな日本車メーカーと提携したい、と考えても、相手がいなければ絵空事です。

 当時は日本車の対米輸出が急増中。日米間では通商問題どころか政治問題として騒がれていたころです。トヨタ米国への工場進出でホンダなどに先を越され、「貿易摩擦の標的になりかねない。どうやって米国に進出するのだろう」と注目を集めていました。

 その年の11月です。トヨタ自動車販売(自販)常務、神尾秀雄さんと共通の知人の紹介で会いました。ホテルオークラの和食店「山里」で昼食を食べながら世間話をするはずでしたが、食事が進むにつれ、話が意外な方向に展開します。

 僕がGMの代理人のような存在と知っていたんでしょう。神尾さんから「GMがトヨタと手を結ぶ可能性はあるのでしょうか」と尋ねられたのです。

 突然の話に驚きましたが、その場で僕なりの考え方を伝えました。

 「競争が前提とはいえ、協調も大事な時代です。世界首位のGMと2位のトヨタが手を握ってもいいのではないでしょうか」

 それまでにない大型提携へ交渉が始まりました。

 

GMトップとの信頼関係は築いてきた。問題はトヨタ側だった。

 トヨタ豊田英二さんに初めてお会いしたのは、年が明けた82年1月。GMからの親書を届けるため、英二さんを訪ねました。

 英二さんは当時、トヨタ自動車工業(自工)の社長。東京・日比谷の三井銀行本店ビルにあった東京支社事務所であいさつしました。

 親書の内容は、GMを率いる最高経営責任者(CEO)、ロジャー・スミスさんからのトップ会談の誘いです。ところが、英二さんは一読すると、無言に。重い口からやっと出た返事は期待外れでした。

 「日程が合わないのです。米国に行くとはまだ決めていません」

 つれない反応に少しがっかりしました。そのころの僕の名刺には、伊藤忠商事米国法人の「副社長」という肩書が印刷されています。自動車の世界では、GM―いすゞ自動車、スズキの提携といった実績も積み上げてきました。それなのに信用されていないのかもしれない、と悩みました。

 後になって、英二さんが慎重に慎重を重ねて判断を下す経営者であることを知りました。GMの人間でもない、一介の商社マンが持ってきた話にホイホイ乗るはずがなかったのです。

 それから1カ月ほど後、ニューヨーク市内で英二さんとロジャーのトップ会談が実現し、やっと信じてくれたようでした。

 「世界のTOYOTA」をつくった英二さん。一番尊敬する経営者です。その後もずっとお付き合いしていただきましたが、僕は英二さんと会うと、いつも緊張しっぱなしでした。

[2013/10/23日経産業新聞]

http://bizacademy.nikkei.co.jp/management/hiroku/article.aspx?id=MMAC2o000006082014

 

 

次に掲げるJW・チャイ氏の自叙伝風の活動歴の表題の「学んだトヨタ、傲慢なGM」で分かるようにGMNUMMIの合弁事業からそれほど小型車の自動車づくりやトヨタ生産方式を学ばなかったようだ。そのためでもないが、1984年の合弁事業から15年の2009年に破産してしまった。

(続く)