続・次世代エコカー・本命は?(36)

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NUMMIの立ち上げNUMMI研修生の高岡工場実習(1984年)

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NUMMI研修生の高岡工場実習(1984年)

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NUMMIの全景

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NUMMI ラインオフ1号車を囲んで(1984年)

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NUMMI開所式(1985年)

ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング(NUMMI)は、「トヨタ方式による高度な生産性を実現し、高品質・低コストの乗用車を提供」することを基本方針に掲げた。それを実現するには安定した労使関係やトヨタ方式による生産システムのスムーズな移植、現地部品メーカーとの緊密な協力関係の構築など解決すべき課題は山積していた。

とりわけ、労務問題はトヨタ方式を確立するうえで難関であった。全米自動車労働組合UAW)傘下の従業員は、組合のルールで個人の職務範囲が厳密に決まっており、一人ずつが複数の工程を柔軟にカバーしていく多能工を基本としたトヨタ方式とは相容れず、生産工程でのチームとしての連携に不安があった。UAWとの交渉では、絶えずお客様の立場で考えるトヨタの「モノづくりの基本」と、安定した労使関係の基となる「労働条件の長期安定的向上」を粘り強く訴えた結果、徐々に理解が得られた。

1983(昭和58)年9月にはUAW本部との間で「労使は共通の目的を達成するためのパートナー」という当時としては画期的な労働協約を締結した。これにより、NUMMIでは職務規定や作業規定などをトヨタの方針に沿って変更することが可能になった。具体的には、チーム制や多工程持ち、不良が発生した場合の作業者による迅速なラインストップなどのトヨタの方式が実現した。また、この協約には柔軟な異動を可能とする少職種・時間給に関する規定、昇格・異動に関する会社の人事権、協約期間中のノーストライキ条項などが含まれており、トヨタ生産方式を支える人事制度の基礎となった。

日本のトヨタ側と現地側が協力し、円滑な生産の立ち上げを図るため、19833月にフリモント事業準備室を設置した。同室には人事・経理といった事務部門も含まれ、従来にない横断的な推進組織として万全の体制を整えた。また、国内工場が海外の特定工場を指導・育成する「親工場制度」を初めて採用した。NUMMIの生産車種は、スプリンターをベースにしたシボレー・ノバを予定していたので、親工場は高岡工場となった。高岡工場では、まず1984年半ばから1985年初めにかけて、NUMMIのグループリーダーとチームリーダー合計257人を9回に分けて研修に受け入れ、QC活動などの基礎教育や現場実習を行った。

NUMMIは当初、エンジンや変速機など重要なユニットや機能部品を日本から輸入する一方、ガラス、内装品、塗料などについては現地調達を行った。部品の発注は、GM社の協力を得ながら進めたが、部品メーカーの選定方法や品質管理などの手法がトヨタと現地とでは大きく異なり、図面や品質目標などの「技術情報」についての見直しなどが求められた。ビジネスの慣行・風土として日本ではグループ会社や協力会社との間でプロジェクトの進行中も継続して意思疎通が図られていることから円滑に行われている業務が、契約時に交換・授受される技術情報で双方の責任分野などが明確に決まる米国では支障をきたすこともあった。これらの点は、早急に国際的に通用する内容に充実させるよう全社をあげて対応した。

NUMMIの計画は、年産20万台という海外では初の本格的な量産プロジェクトであり、立ち上げまでに幾多の困難に直面したが、親工場制度の導入や技術情報の充実など、のちの海外進出に生かされる多くの手法も確立されていった。

GM社から提携打診を受けて丸3年、NUMMIはようやく生産準備を完了し、198412にはシボレー・ノバの1号車がラインオフした。そして、量産体制が整った19854トヨタGM社の労使首脳、カリフォルニア州知事、フリモント市長ら多数の来賓の出席を得て、盛大に開所式を行った。

NUMMIでは、19869月にはカローラFXを手始めにトヨタ車の生産にも着手した。また、生産開始後12年とされた合弁期間については、1993(平成5)年に両社が事業継続を合意し、FTCの承認など、必要な延長の手続きがとられた。

https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/leaping_forward_as_a_global_corporation/chapter1/section3/item2_a.html

 

 

2009年にGMが破産し新生GMNUMMIを引き取らずに手放してしまったので、結局トヨタも一社では経営が困難と判断して、201041日にNUMMIを閉鎖することになる。この件は当ブログの2010.3.19の「番外編・プリウス急加速問題(4)」や2010.5.2841)以降などを参照されるとよい。

 

結局NUMMIテスラが一部購入して、現在「モデルS」などを生産している。そのためトヨタは、2010年にテスラ株を取得しているが、関係は思わしくなくその大半を売却しているがまだ少しは所有しているようだ。概略は2014.12.8の「次世代エコカー、本命は?(10)」などを参照願う。

(続く)