読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

共産主義(者・党)は日本を滅ぼす(4)

「ハリー・ホワイト」については、これと関連して当ブログ「日本は侵略国家ではありません。」(2008.12.19~2009.1.13)にも関連した解説があるので、引用しておこう。

これは2008年のアパグループが募集した懸賞論文に応募した「田母神俊雄航空幕僚長・空将」の「日本は侵略国家であったのか」と言う論文の小生による解説の該当部分である。

 

 

 

第9節-→NO.35靖国神社に参拝しよう)第2章・大東亜共栄圏大東亜戦争を参

照のこと。

要旨

(当時、ルーズベルト政権内にもコミンテルンスパイが300人は居た。ハル・ノートの作者のハリー・ホワイトは中でも上位のコミンテルンスパイで、大統領に工作をしていた。)

 

ハリー・デクスター・ホワイトは、ソ連のスパイとして「Snow作戦(Whiteの名前より)」に従事していた。彼はそれなりに有能な経済官僚であり、ブレトン・ウッズ協定IMFの設立にもかかわっており、そのIMFはホワイトの案に近いものと言う。しかし同じくソ連のスパイとして活動していたエリザベス・ベントレーやウィタカ・チェンバースらは、1948年7月の「非米活動委員会」で、ホワイトはソ連スパイだったことを証言している。ソ連コミンテルン共産党国際部は、日本とアメリカを戦争状態に陥れることにより、ソ連の背後から日本に攻められることを防ぎ、中国の毛沢東共産党をして、中国に共産党政権を樹立させることを狙っていた。このコミンテルンの活動は日本内部にも及び、リヒャルト・ゾルゲ尾崎秀実(ほつみ)などの共産スパイが活動していた。近衛首相は戦後「近衛上奏文」なるものを天皇陛下へ上奏し、「自分は知らず知らずの内に共産分子に操られていた」と懺悔している。

 

ベノナ(VENONA)とは、1943年から始り、1980年に終了したソ連の第2次世界大戦に発信した暗号文を解読するプロジェクトであった。ベノナとはソ連の暗号の最後のものを言う、とWikipediaに書かれているが、ベノナプロジェクトにより、戦後まもなく多くのソ連スパイが特定された。ハリー・ホワイトを始め、原爆の情報をソ連に売った「ローゼンバーグ夫妻」もこの調査でもスパイとして特定されている。ちなみに「フルシチョフ回想録」ではローゼンバーグ夫妻に言及し「情報が役立った」と記述されている、と言う。

 

081227(7)

第10節-→NO.35靖国神社に参拝しよう)第2章・大東亜共栄圏大東亜戦争   参照のこと。

要旨

ルーズベルトは日本から戦争を仕掛けさせることを目指していた。ハル・ノートはそのための最後通牒であった。アメリカの罠であり、さもなくは日本は植民地となっていた筈だ。)

 

フランクリン・デラノ・ルーズベルトは、1940年(S15年)11月の大統領選挙で三選を果たしたが、世論の「モンロー主義」と「青年たちを戦場に送らない」と宣言して当選していたため、イギリスのウィンストン・チャーチルからの再三の要請にもかかわらず、戦争に介入出来ずにいた。そんな環境下で日米交渉は進んでいた。そこでルーズベルトは、日本に第一撃を加えさせることで国内のモンロー主義孤立主義)を封じ込めることが出来ると考えた。そうすれば対独戦にも介入する口実が得られるものと踏んだのである。

 

当初アメリカは「暫定協定案」なるものを日本の提案に対して対案として示すことになっていたが、急遽ハル・ノートを提示している。これは明らかに日本から先制攻撃をさせるための施策であった。後の東京裁判で、弁護人のベン・ブルース・ブレイクニーをして、「もし、ハル・ノートのような物を突きつけられたら、ルクセンブルグのような小国も武器を取り、アメリカと戦っただろう。」と弁護せしめたほどの過酷な内容の物であった。このことはインドのパール判事も後に引用している。F・D・ルーズベルトは人に知れた嫌日派であり、セオドア・ルーズベルトと異なり民主党員であり、バラク・オバマ民主党員である。民主党は伝統的に親中派でもあった。原則として親日ではない。

 

中村粲(あきら)「大東亜戦争への道」展転社(1991)には次のように記されている。

 

ハル・ノートはそれまでの交渉経過を無視した全く唐突な物だった。…最後通牒であると東郷が評したのも極論とは言えまい」

ルーズベルトは対日戦争を策謀していた、11/25の会議で議題としたのは和平ではなく、戦争をいかにして開始するかの問題だった」

 

(注)194111/26午後にハル・ノートは日本側に提示されている。

 

 

 

 

さてこのように、アメリカ政府に入り込んでいたコミンテルンのスパイたちにより、アメリカから戦争を吹っかけられた日本であったが、日本国内にもコミンテルンのスパイたちが暗躍していた。

 

その中で決定的な役割を果たしたのが、尾崎秀実風見章らの共産主義者であった。この二人は近衛内閣に中枢に入り込み、政府の支那事変の停戦への行動を阻止して、事変拡大へと政府を煽っていったのであった。

 

日本を中国の内戦に引っ張り込むための策略は、コミンテルンの手により中国内はもとより日本国内でも盛んに実行されていた。中国では日本居留民への襲撃・虐殺が頻繁に発生していた。日本国内では、コミンテルンのスパイであったドイツ人「リヒャルト・ゾルゲ」や日本人の共産主義者の「尾崎秀実ほつみ」らが盛んに政府部内に入り込み、支那事変の拡大煽っていた

 

この辺の事情は小生のブログ「第2次上海事変」(2012.5.28~6.9)に詳しく述べられているので、それを引用しよう。

 

 

 

 

1937S12年)115、先にも述べたが杭州湾岸に第10軍が上陸すると蘇州河南岸の中国軍は、退路を立たれる恐れから大きく動揺し、119一斉退却を始めた。

 

この退却に際しては、中国軍略奪破壊を大々的に行っている。そのため日本側は退却が始まることを予測できたのである。中国側の敗残兵は避難民に紛れてフランス租界に入り込み、便衣兵となり放火、略奪を行ったので、フランス租界の警官との銃撃戦があちこちで発生していた。しかしながら中国軍の撤退により上海に居住する全民間居留民の安全が確保されることとなり、上海の英字紙は日本軍に感謝する論評を載せている。

 

大山勇夫海軍中尉虐殺(1937S1289)に先立つこと12日前の1937729には、北京市の東12km通州(現北京市通州区北部)において、冀(き)東防共自治政府保安隊(中国人部隊)3,000人が、日本居留民420名への襲撃を開始し、230名余が虐殺されている。女性達はすべからく強姦され虐殺され身体を切り裂かれており、更に子供達は針金で鼻輪を通され、その上襲われた喫茶店では女給たちの生首がテーブル上にきれいに並べられていた。これを通州事件と言う。

 

そのため日本海軍陸戦隊は第二、第三の通州事件済南事件を引き起こされてはならないと、必死に奮戦し日本居留民を守ったのである。

 

しかしながら今思えば、812日の時点で、日本政府は日本租界の日本居留民を守るためには、

即座に大々的に増派をして蒋介石軍を徹底的に叩いておくべきであった。そうすればこのような日中戦争の泥沼にそれほど引き込まれなかったものと思われる。

 

ちなみに盧溝橋事件は、大山勇夫海軍中尉虐殺事件の1ヵ月程前の1937(S12)77に発生している。盧溝橋事件を始め通州事件2上海事変などは、いずれも中国コミンテルン共産党国際部、Communist Internationalコミュニストインターナショナル)による指令に基いて蒋介石軍に紛れていた共産党引き起こたものである。ソ連コミンテルンの意図は、中国コミンテルンをして中国に戦乱を引き起こしその過程で蒋介石国民党を共産党から日本軍へ向わせて日本軍を中国の内乱に巻き込み、中国全体を共産化させ、共産党の存在価値を中国内に知らしめ、且つ日本本土にも混乱を起こさせて共産化させようとするものであった。この第2次上海事変は、もともと蒋介石が意図したものではなかったのである。

 

事実日本で暗躍したドイツ人「リヒャルト・ゾルゲ」は、ソ連コミンテルンの手先であった。ゾルゲは1930(S5)ソ連諜報部(赤軍参謀本部第4局)から上海に派遣され、1933(S8)9日本に入国し、ソ連のためにスパイ活動を行い、日本を極東から引き離して対米戦争へと導く手立てをしていた。上海ではドイツ軍事顧問団とも接触し、蒋介石のために情報提供を行った。蒋介石国民党内には、すでに中国コミンテルン共産党員が沢山もぐり込んでいたのである。第2次上海事変を引き起こした蒋介石軍の司令官「張治中」も実質的な共産党員であった。

 

そして日本にも、ゾルゲと行動を共にした共産主義者、「尾崎秀実(ほつみ)」がいた。報知新聞記者を父に持つ尾崎秀実は、父親が台湾に赴任したことから少年時代は台湾で育つ。台湾中学、一高、東京帝大法学部と進み、大学院1年で中退している。この大学院ではもっぱら共産主義の研究を続け、このとき完全な共産主義者となったと言われている。Wikipediaによると「尾崎秀実(ほつみ)」は1926(T15)朝日新聞社に入社、1928(S3)11に上海支局に転勤、1932(S7)2に大阪本社に戻る。この33ヶ月余の間に中国共産党と交流し、更には米国人女性の共産主義者アグネス・スメドレーを通じて、リヒャルト・ゾルゲと交際しコミンテルンの一員となり、日本におけるゾルゲの諜報活動の片棒を担ぐことになる。

 

スメドレーコミンテルンから資金援助を受け、米国、インド、中国などで盛んに対外宣伝活動を行った人物である。米国はスメドレーの活動の影響から、国民党への支援を減らしたため蒋介石1949には国共内戦に敗退し台湾へ逃れることとなる。まあアグネス・スメドレーはゾルゲや尾崎など共に日本にとっての世界大悪人の一人に数えられる人物であろう。

(続く)