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続・次世代エコカー・本命は?(65)

日産と三菱自は「主導権争い」をしていた

 三菱自動車の益子修会長とともに資本提携を公表した共同記者会見で、記者から燃費不正問題が提携に発展すると想定していたのか? という質問をされたゴーン社長は、語気を強めてこのように回答した。

 「予想したか。それはないでしょう。状況を把握し、益子さんとの話で実現に至った。今回の事象で加速された感があるが、これまでも検討してきた」(産経ニュース512日)

 ご本人がおっしゃっているのだから、これが「真実」なのだろう。ただ、この会見後もいまだに「燃費不正問題を買収に利用したのでは」という憶測はとどまることはない。なぜこのような「陰謀論」がもてはやされてしまうのか。個人的には、主に3つの理由があると思っている。

 まず、ひとつ目には自動車業界、特に欧州のメーカーでは「わりとよく聞く話」ということがある。主導権争いをしている2社が不正や経営危機などの「敵失」を買収に利用するのは「常識」といってもいい。

 例えば、フォルクスワーゲンとポルシェのケースが分かりやすい。ルーツを同じくする「兄弟会社」として熾烈(しれつ)な主導権争いが繰り広げていた2社は、今でこそVWがポルシェを傘下に収めているが、逆の時代もあった。2005年、ポルシェがVW20%出資して筆頭株主となり、完全子会社化まで持ち込んでいたのだ。

 それがリーマンショックでポルシェの財務状況が急速に悪化。その「好機」を見逃さなかったVWが一気に形勢逆転。「救済」という形で主導権を握り、逆にポルシェを傘下に組み込んだのである。

 実は、日産と三菱自も「主導権争い」をしていた。合弁会社NMKVで企画・開発する軽自動車の生産は、三菱自の水島製作所で生産するという契約となっていたのだが、20146の定期株主総会でゴーン社長が「将来的には軽自動車を日産の工場で生産する」と言い出したのだ。



 

燃費不正問題に関するプレスリリース(出典:三菱自動車

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ゴーン氏と益子氏の蜜月関係

 すったもんだがあったが結局、201510月の基本合意では引き続き水島製作所で行うこととなった。その一方で、「設計開発、実験など実際の開発業務については、今後、日産自動車もより深くかかわる」(プレスリリースより)という方針が強調されるなど、「開発」は日産主導だと印象づけた。

 そんなパワーゲームの最中、渦中の軽自動車で相手の「不正」を見つける。これを「主導権争い」に利用しようというのは、ごく自然な流れだ。ましてや、日産はゴーン社長以下、経営幹部が外国人というほぼ外資。「敵失」をただ指をくわえて見ているような、のんびりとしたカルチャーなのか、という疑問も浮かぶ。

 ただ、そんな状況証拠だけで「陰謀論」が囁(ささや)かれているわけではない。やはり、大きいのは2つ目の理由だ。それは「ゴーン氏と益子氏の蜜月関係」だ。

 今回の資本提携を公表した共同記者会見で、益子会長は資本提携協議が始まった時期について、日産と軽自動車を共同開発をスタートさせた2011が「非常に大きなきっかけになった」と述べた。

 しかし、おっしゃるように「軽自動車」から協議が始まったというのなら2011年どころの話ではない。覚えている人も少ないだろうが2004二度目のリコール隠しが発覚したとき、実は三菱グループ以外に真っ先に手を差し伸べたのが日産だった。

 経営再建策には盛り込まれなかったが、水島製作所の軽自動車部門を切り離し、日産との共同出資会社に譲渡する案があった。つまり、両社の軽自動車の共同開発をめぐる「協議」は2004年から行なわれていたのだ。

陰謀論」が囁かれている理由のひとつに「ゴーン氏(写真)と益子氏の蜜月関係」がある(出典:日産自動車Facebookページ

両社の蜜月関係はひっそりと続いていた

 当時、ゴーン社長も、「日産にとって三菱自を活用することはある。ぜひやりたい」と思いっ切り前のめり。益子社長(当時)も、「その可能性は消えていない。両方にメリットがあれば前向きに取り組む」とまんざらでもなかった。三菱商事自動車事業本部長だった益子氏は海外経験が豊富でゴーン氏とウマがあった。互いの利益も一致しており、提携は秒読みだった。

 実際、20041028日本経済新聞は「三菱自、日産と軽自動車で提携――来春にも新会社、国内販売立て直し」と報じ、水島製作所を新会社に譲渡することなどを含め日産との間で調整しているとした。

 だが、残念ながらこの提携話は「幻」に終わる。

 独・ダイムラークライスラーからの経営支援を打ち切られたことで、三菱グループがガッツリと管理下に置くという方針となったからだ。

 ただ、両社の蜜月関係はひっそりと続いていた。2005年、三菱自プジョーシトロエンPSASUVOEM供給する業務提携をスタート。また「三菱・プジョーシトロエン連合」などという話も出たが、20103資本提携の交渉が打ち切り。入れ替わるように「パートナー」としての存在感を増してきたのが、日産だ。

 20101214に、協業拡大を公表。日産のゴーン氏と益子社長(当時)が催した共同記者会見は、「業務提携の範囲にもかかわらず資本提携並みに仰々しく豪華にセッティングされた会場」(週刊ダイヤモンド201111日)で行われた。

 なぜここまで気合いが入っていたのか。2005年のPSAとの業務提携発表よりも華々しくというルノーの見栄もあったかもしれないが、2004年から水面下で進めてきた「交渉」がようやくまとまったということも大きい。実際、当時の日経産業新聞20101215)には関係者談として、「6年越しに、ようやく一歩を踏み出した感じだ」という言葉が掲載されている。

 では、このような両社の「蜜月関係」はいつから始まったのか。さかのぼると三菱自が最初のリコール隠しで窮地に立たされていた2000年ごろにゆきあたる。

(出典:三菱自動車

(続く)