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日本近代化の流れ(9)

(2)日清戦争

 

日清戦争は、今から122年前の1894年(明治27年)725日に始まっている。2年前の2014年は丁度120年目であったためかの中国では、盛んに甲午戦争(日清戦争)勃発120周年を記念する行事が、開かれている。

 

その主旨は、「甲午戦争(日清戦争)は日本による侵略戦争であり、中国は不平等条約を結ばされた。だからこの歴史を鑑として、歴史的悲劇が再び起こらないように気を付けるべきだ。」というものだった。しかもそのことをアピールするかのように、その日に日本人覚醒剤密輸犯を死刑にしている。

 

これは全くの捏造で事実はすべてその逆であり、原因は中国(清国)による日本への迫害や条約違反であった。これからそのこと、いかに清国からの圧力が強かったかを説明しよう。

 

1明治元年1868年、朝鮮の日本国書受け取り拒否事件(征韓論おこる。

 

日清戦争へ至る過程は、明治維新にまで遡るのである。

 

1868明治新政府は日本が新しい国となったことを諸外国に通告した。朝鮮にも当然修交したい旨日本国の国書を、当時朝鮮との窓口であった対馬の宗氏を通じて、手渡そうとした。

しかし朝鮮は、日本からの国書の受け取りを拒否した。拒否した理由は、日本の国書がそれまでの江戸時代の形と異なると言う理由であった。具体的には日本の国書に、中国から使用が禁止されている「皇」「勅」「朝廷」などの文字があったからである。

 

そのため日本はその説明のために、何度も(明治元年、3年2回、5年2回)大使を派遣したがすべて門前払いを受ける。そして明治6年には大院君が、「日本夷狄に化す、禽獣と何ぞ別たん、我が国人にして日本人に交わるものは死刑に処せん。」という布告を出すに及んで、征韓論が盛んに唱えだされる。

 

この征韓論をめぐって西郷隆盛など征韓派が論争に敗れ下野することになり、後の西南戦争の原因となる。しかしながら朝鮮は中国の属国であったことから、日本は中国(清国)の存在を意識せざるを得なかった。

 

これが「明治元年1868年、朝鮮の日本国書受け取り拒否事件」であるが、以後次々と中国(清国)による日本への迫害が、以下述べるように続く。

 

 

この日清戦争への道は、この征韓論から次の様な出来事を経ながら、続いていったのである。

 

 

1明治元年1868年、朝鮮の日本国書受け取り拒否事件(征韓論おこる。

 

2、明治6年1873年、牡丹社事件と琉球処分台湾征伐と琉球の日本帰属確定

 

3、明治8年18759月、江華島事件勃発(日本軍艦の短艇江華島より砲撃される。

 

4、明治15年18827月、壬午ジンゴ軍乱勃発(大院君ら守旧派の反乱、日本人惨殺される。

 

5、明治17年1884年12月、甲申コウシン事変勃発(金玉均のクーデターを袁世凱が鎮圧、清国兵は在留日本婦女子30余名を陵辱殺害し、多くの在留日本人も虐殺された。天津条約

 

6、明治18年1885年、明治19年1886年の第1次、第2次露朝密約事件(不凍港確保狙うロシアが秘密裏に朝鮮と軍事密約を交わす。このため英国は日本に接近、日英同盟の元となる。

 

7、明治19年188681日、清国の日本威嚇と長崎事件勃発(清国北洋艦隊が日本に威嚇訪問長崎に上陸した清国兵が交番を襲撃し双方に死傷者を出す。

 

8、明治27年1894329日、朝鮮に甲午農民戦争東学党の乱)が勃発(東学を信仰する農民たちが反乱を起こしたため、朝鮮は清国に援軍を要請する。中国は天津条約に反し無断で増援派兵したため日本は交戦状態に入る。豊島沖海戦1894.7.25

(続く)