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日本近代化の流れ(14)

それではその豊島沖海戦ほうとうおきかいせん)は、どのような経過で戦われたのか。

 

 

(1)

1894年7月25日早朝日本海軍第一遊撃隊巡洋艦吉野4216t,15cm4門)、秋津島3150t,15*4浪速3709t,26*2)は、朝鮮北西岸豊島沖で清国巡洋艦済遠2440t,21*1)、広乙1000t,12*3)の2隻と遭遇する。

 

(2)

戦闘後広乙は沈没、済遠は逃亡。この追跡戦の最中に、吉野と浪速は、清国軍艦操江と英国商船旗高陞号(こうしょうごう)に遭遇する。

 

(3)

浪速の艦長「東郷平八郎」大佐は臨検を実施する。 短艇高陞号に乗り込んだ士官は、清国兵1,100名、火砲14門、弾薬多数が満載されていることを確認する。

 

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拿捕に応じなかったため東郷は高陞号の撃沈を決意し、”短艇送り難し、直ちに船を見捨てよ”と最後の信号を送る。そして「危険」を意味する信号旗”B旗”を掲揚する。

(5)

そして、浪速は砲撃と魚雷攻撃で高陞号を撃沈する。清国兵1,000名以上が死亡し、イギリス人船長以下3名を救助する。

 

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高陞号を撃沈されたイギリスの対日世論は沸騰し、東郷艦長の処罰と日本政府への損害賠償を要求したきた。

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しかし当時イギリスを代表する国際法学者のジョン・ウェストレーキとトーマス・アースキン・ホーランドの両氏がタイムス紙へ「東郷艦長の取った決断と行動は戦時国際法のいかなる条文に照らしても全く正当である。」と投稿すると、批難は一気に沈静化する。

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更には沸騰した英国世論に対して、日本側は積極的に情報を開示し、救助した英国船長の証言などから、事の次第が判明。東郷艦長が2時間半の長きにわたり説得を試みた末、国際法に則り、予告信号を出して砲撃していることが判明し、国際的に納得したことも大きく寄与している。

東郷平八郎はイギリスに留学して、国際法を修めていたので、東郷の取った処置には非のうちどころがなかったのであった。中国漁船衝突事件(2010.9.7)のビデオの公開を最後まで拒否していた当時の民主党政権のやり方と比べても、雲泥の差がある。

 

(9)

またこの事件は高陞号が清国兵を満載していたことにより、中国側が事前計画にもとづいて、天津条約背馳し、日本の最後通牒を無視し朝鮮領海内を突破し、牙山に大兵を集中させつつあったことを全世界に暴露した。これによって、中国がこの戦争において侵略者であることを示した事件でもあった。天津条約によれば朝鮮に派兵する場合には通知することが義務付けられている。

 

この節の冒頭で言及した中国の甲午戦争(日清戦争)勃発120周年を記念した行事で宣伝していた「甲午戦争(日清戦争)は日本による侵略戦争であり、中国は不平等条約を結ばされた。だからこの歴史を鑑として、歴史的悲劇が再び起こらないように気を付けるべきだ。」というものは明らかに捏造である。それは日本の侵略戦争などと言うものではなく、反対に中国による日本への侵略戦争であったのである。

 

端的に言うと、日清戦争は朝鮮を独立させるための戦争であった。朝鮮が特にロシアの手に落ちると、日本は直接ロシアの脅威にさらされることになる。それを日本は恐れたのである。イギリスも極東におけるロシアの進出を恐れていたのであるが、そのため日本は朝鮮の独立、近代化を切に願っていた。それには、先ずは中国(清国)からの隷属状態から、朝鮮を抜け出させる必要があったのである。そんな時に、中国(清国)の条約を無視した傍若無人な行動に、日本の堪忍袋の緒が切れたのである。

 

如何に歴史的事実を知ることが大切なことであるか、がお判り頂けたことと思う。

(続く)