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日本近代化の流れ(25)

(7)ユダヤ系アメリカ大統領、セオドア・ルーズベルトと言う人物

 

そして日本は朝鮮と「日韓議定書」を結び、ロシアとの戦争に関して朝鮮に仁義を切ったのであるが(2011.1.20,NO.60~)、日露の小競り合いはすでに始まっていた。仁川沖海戦である(2011.1.14,NO.56~)。そして日露戦争の火ぶたが切って落とされたのである。

 

その後日本は「日本海海戦」の完全勝利などもあり、辛くもロシアに勝利した。勝利したと言うよりも、負けなかったと言う方が正しい状況であった。だからポーツマスでの講和談判でも、ロシアやアメリカに押されっぱなしであった。

 

日露の仲介に立ったアメリカ大統領・セオドア・ルーズベルトは、さる書簡の中で、「要するに、米国の国益と政策の対象として当面は日本の立場を支持するが、心情としては同じ白人種のロシア人を好む」と言うようなことも記述している様に、日本に対して好意を持っている人物ではなかった。

 

そのためポーツマスでの講和談判も、日本は徹底的にT.ルーズベルトに翻弄されることになる。

 

T.ルーズベルトは、米国にとっての脅威は日本が賠償金を獲得して更に強力になることであった。

 

そのため、最初から日本がロシアから賠償金をとることには反対であった。ルーズベルトは日本を仮想敵国と看做していたのであり、対日戦の「War Plan Orangeオレンジ計画」を立案している。一説によるとこの「オレンジ計画」はセオドア・ルーズベルト大統領の前の第25代大統領のウィリアム・マッキンリーが、日清戦争1904~05)の2年後の1897年に考案したものでそれを次の大統領のルーズベルトが引き継いだものらしい。

 

マッキンリーの時代には米西戦争を行い、プエルトリコやハワイ、フィリピンなどを次々と併合していった時代であり、西部開拓も終わりに近づき新しい開拓地を探していた時代であった。だから「海のフロンティア計画」を立案し盛んに海外に進出しようと企んでいたのである。そのため清国を破った新興の日本とやがては太平洋でぶつかると想定し、「オレンジ計画」を立案したものであった。

 

まあ今の中国の「第一列島線」「第二列島線」計画と同じようなものである。南シナ海の人工島は、ハワイの併合と比較できるし、海洋強国の建設はオレンジ計画と似たようなものである。海洋強国の建設は、中国の夢の実現の最も重要な手段となっている。小生のブログ「日清戦争開始120年に考える。」(2014.8.9)などを参照されたい。

 

白地に赤く日の丸揚げて」の赤い日の丸オレンジ色に腐らせようと企画したものであった。それをルーズベルトが引き継ぎ、日露戦争後さらに完成度を上げていったものであり、第2次世界大戦まで継続された。ひょっとしたら現在も生きているかも知れない。

 

結局講和談判は、

 

・占領していた樺太の南部は日本領とし、北部は無償でロシアに還付する。

・ロシア兵の捕虜給養費は支払うが、それ以外は拒否する。

 

と言うもので、

 

・日本の韓国管理、・露の満州撤兵、・露の満州の清国への還付、・清国における露の権益の割譲、・南満州鉄道とその付属権益の譲渡などの本来の戦争目的は達したものの、

 

喉から手が出るほど欲しかった賠償金は取ることが出来なかった。これが当時の日本の実情でもあった。

(続く)