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日本近代化の流れ(26)

日露講和条約ポーツマス条約)の概要は次のようなものであった。

 

 

(1)日本の韓国管理(絶対的条件) OK
(2)
満州撤兵(絶対的条件)  OK

(3)満州の清国への還付(絶対的条件)  OK

(4)満州に置ける機会均等(付加条件)  OK

(5)樺太の割譲(比較的必要条件) 南半分だけ日本に譲渡

(6)清国に於けるロシア権益の割譲(付加条件)  OK

(7)南満州鉄道および付属権益の譲渡(絶対的条件)  OK(但し長春マデ)

(8)満州横貫鉄道の非軍事化(付加条件)  OK

(9)日本の戦費の「払い戻し」(比較的必要条件) NG

(10)中立港逃避のロシア艦の引渡し(比較的必要条件) ng

(11)ロシアの極東海軍力の制限(比較的必要条件) ng

(12)ロシア領海・領水の漁業権の許与(付加条件)  OK

 

 

( )内の条件は講和談判時の日本側の交渉条件であった。従って講和のための絶対的条件は満額回答を得ているもので、(5)樺太の割譲(9)賠償金の獲得はどうしてもできなかった。(10)(11)は、交渉をまとめるために日本側から要求を撤回したものであった。ロシア側は、(5)(9)だけはどうしても飲めないものであった。(10)(11)は、ロシアとしては受け入れるつもりであったが、先走った日本側から譲歩して条件を外したものであった。それだけ日本も追い詰められていたものであった。もう一歩腹をくくって日本側が頑張れば、ロシアは承諾するつもりのものであった。その代り樺太の割譲と賠償金の支払いだけは、絶対に認めるつもりはなかった。しかしロシアとしてもこの講和談判は纏めたかった。だから樺太の半分だけ割譲する案を出して、談判をまとめたかったのであった。

 

 

 

ここで一言セオドア・ルーズベルトについて、言及しておこう。

 

彼は端から日本嫌いであった。日露講和談判で日本に便宜を図った、と言う事は全くの虚言である。その反対に日本がロシアから賠償金を取ることを、徹頭徹尾阻止したのであった。

 

ハワイはもともと立憲君主国であったが、アメリカ資本の侵略を受け多くのプランテーションが建設されていた。そしてその白人たちがクーデターを起こし、白人たちに有利な様に憲法を変えてしまう。そのためハワイ女王(国王はアメリカで暗殺されている。)は、日本に援助を要請する。日本は1893.2東郷平八郎艦長巡洋艦浪速」と「金剛」を派遣し、米艦の横に投錨する。そのため辛くも米国のハワイ併合と略奪などを防ぐことが出来た。しかし結局は女王は幽閉されてしまい1894.7.4にハワイは王国(立憲君主国)から共和国に作り替えられてしまう。そして更に1897.7には強引に主権を米国に移譲させハワイを併呑する。この時セオドア・ルーズベルト海軍次官(大臣に次ぐNO.2)として、ハワイ併合の指揮を執っていた。このハワイでの内戦で、日本移民たちはハワイ王に味方し沢山の日本人移民達が、ハワイ人達と共に、殺されている。しかも1895.7月のハワイ共和国建国一周年に、ハワイ臨時政府から21発の祝砲を依頼されたが、東郷平八郎はこれを拒否、他の各国軍艦もそれに倣ったため、アメリカ合衆国の面目はつぶされた形となった。セオドア・ルーズベルトはこの時「日本人による黄禍論」を吹聴して、ハワイ併合を急がせたのであった。

 

アロハオエ」は、今は歌詞を変えられて悲恋の歌となっているが、元はこの時のハワイ内戦で死んでいったハワイ人や日本人を悼む歌であった。ハワイがアメリカ50番目の州に昇格したのは、1959年のことである。

(続く)