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日本近代化の流れ(29)

日本と朝鮮との関わりを紐解いてみよう。先ず日清戦争である。

 

(1)

1895.4.17日清講和条約下関条約で、「朝鮮国は完全無欠なる独立自主の国」であることを清国に認めさせ、貢献典礼を廃止させ属国としての貢女などの朝貢を禁止させたのである。

 

(2)

1904.2.8仁川沖海戦日露戦争が開始され、1904.2.23に「日本は韓国の独立と領土保全を保障し防衛する義務を負うとし、その代わりに韓国内での日本軍の行動に便宜を払うこと」として、日韓議定書を締結している。そして日露戦争が遂行されていったのである。

 

(3)

1904.8.22第1次日韓協約が締結される。朝鮮からロシア陸軍も海軍も駆逐され、日本は遼陽へ軍を進めている頃である。「韓国は日本指定の財務顧問と外交顧問を置き、外交案件は日本と協議すること」と言うものであった。大蔵省主税局長の目賀田種太郎財務顧問に就任する。

 

(4)

1905.7.29ウィリアム・タフト陸軍長官桂太郎首相兼外務大臣との間で、「桂・タフト協定」が結ばれた。日本はアメリカのフィリピン領有を認めアメリカは日本の韓国保護国化を認める、と言うものであった。

 

(5)

1905.9.5日露講和条約ポーツマス条約)の調印。・日本の韓国管理、・露の満州撤兵、・露の満州の清国への還付、・清国における露の権益の割譲、・南満州鉄道とその付属権益の譲渡などの本来の戦争目的は達した。賠償金は取れなかったものの、日本は満州と朝鮮を勢力下におく。

 

しかし韓国皇帝は露・仏・米・英などに密使をを送る。そのため外交案件を協議する意思なし、と日本は判断する。そして

 

(6)

1905.11.17第2次日韓協約締結。「外交は日本が監理指揮するので統監を置く。韓国は独自に外交をしてはならない」と言うもので、事実上の韓国の保護国化である。

 

韓国政府馬鹿で頓馬な韓国の学者らは、この協約が高宗皇帝(国家代表者)に対して脅迫があったから、この協約は無効であるなどと暴論を吐いているようだが、これは真っ赤な作為による虚妄・捏造なのである。「五大臣上疏文」には次のような交渉内容が記載されていると言う。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E6%97%A5%E9%9F%93%E5%8D%94%E7%B4%84、「李完用らが上疏した「五大臣上疏文」では、締結交渉自体を拒否しようとした強硬派大臣たちに対し、高宗自らこれを戒め「交渉妥協」を導いた様子が報告されている。」)

 

五大臣上疏文」の研究内容(青学学術論集242004/4、「第二次日韓協約調印と大韓帝国高宗」)が『韓国併合「無効説」の誤謬』にて説明されている内容を次に示す。

 

『この協約の締結交渉に際して、1905/11/15に高宗は、特派大使伊藤博文に「形式的な外交権だけは韓国に残したい」と提案するも、断固拒否される。すると高宗は、11/17、大臣達と協議し3点の修正案を提案し、「交渉妥協」を指示する。伊藤は韓国側大臣とこれを協議し、協約案が修正される。これを上奏された高宗は、さらに一個の修正を提案し、伊藤はこれを裁可する。そして最終案が確定し、調印の運びとなった。』

 

そして韓国統監府の初代統監としては、1906/3/3伊藤博文が就任している。ここで高宗の示した修正案は、国家・国民に関することではなく、己の宮廷に関することであった。李氏朝鮮にとっては、国民なんぞはどうでもよい存在であったようだ。

(続く)