日本近代化の流れ(37)

(7)満州事変

 

 

奉天(藩陽)郊外の柳条湖付近で、1931.9.1810:20頃、南満州鉄道の線路 が爆破される事件が発生する。今まで述べてきたように中国側の数々の日本人に対する妨害、暴行、虐殺などのために、関東軍張学良の東北軍の排除を計画せざるを得なかった。その口実作りが、この柳条湖事件である。

 

 

そして、この鉄道爆破を張学良の仕業と発表し、満州平定の軍事行動に移ったのである。

この柳条湖事件から満州占領までを満州事変と呼んでいる。

 

但しこの柳条湖事件関東軍の仕業ではなく、ソ連軍の仕業であると言うそれなりの信憑性を持った説もあるが、以上長々と説明してきたように日本居留民と日本人関係事業への暴行、略奪、虐殺行為に対しては、何らかの防御策を嵩じなけれはならない状況であったことは確かであった。

 

そのため陸軍省では、これらの事を、関東軍自衛行為と強調していたことは至極妥当なことであった。

 

しかしアメリカからは戦線不拡大の要求があり、外務省も陸軍省と協議し戦線を奉天(藩陽)で止めるべきことで了解した。しかし1931(S6).10.8には関東軍の進攻は早く遼東湾の北西岸の錦州爆撃が開始されてしまう。錦州には、張学良の主力部隊が駐屯しており、日本人や日本の権益を守るためにはこの張学良の兵力を駆逐する必要があったことも確かであった。

 

 

そして関東軍は、満州の各地でその実力者達に独立政権を作らせていった。その統合体

満州を安全に統治する政治体制となるものを指向するものであった。そしてまた清朝最後の皇帝であった宣統帝愛新覚羅溥儀の希求するものでもあった。

 

 

このような日本居留民と日本人関係事業への暴行、略奪、虐殺行為に対して、中国本土ではもっと大々的な共同租界地への中国正規軍による攻撃が起こっていた。

 

1932.1には上海市郊外に3個師団からなる3万人中国第十九路軍が進出してきた。そして新聞メディアを使い、日本への攻撃を煽る記事を載せた。そして巷でも日本人が襲撃される事件が頻発した。

 

 

中国軍1932.1.28の午後日本租界地への攻撃を開始した。この中国第十九路軍は、蒋介石南京政府に属するものではなく、共産党に属し満州での戦闘に便乗して日本軍に混乱を引き起こさんがために戦闘を仕掛けてきたものと見られる。

 

中国十九路軍の一方的な攻撃に対して防戦一方であったが、これに対して日本海軍は1.31に陸戦隊7000人、内地からは2.2に金沢第9師団と久留米から混成第24旅団を派遣を決定した。これに対して国民党軍は、2.16張治中を指揮官とする第5軍を上海に派遣してきた。

 

張治中は国民党軍に潜む共産党員であった。日本租界地は、共産党の正規軍と国民党に潜む共産党軍とに攻撃されることになる。

 

1932.2.20より総攻撃が開始され戦闘は激烈を極める。1932.3.1に日本の派遣部隊が国民党軍の背後に上陸すると、中国第十九路軍は撤退を始め日本軍は3.3に戦闘中止を宣言した。

 

これが中国共産党が起こした第一次上海事変1932.1.28~3.3)であるが、日中、英米仏伊の六カ国による停戦交渉の結果、5.5上海停戦協定が成立する。

 

そして満州では1932.2.5にはハルビンを占領し、満州の主要都市は殆どが日本軍の支配下におかれることとなった。

 

上海での共産軍の攻撃を撃退し、満州では全土を占領した日本は、満州の安寧を維持強固なものにするために、満州の統合を図った。即ち満州国建国である。満州国の元首には、清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀が就任する。

 

満州国の承認に慎重であった犬養敦首相は五一五事件で、反乱部隊に暗殺されてしまう。

結局、1932.6.14衆議院本会議にて、満州国承認決議案が満場一致で可決される。

 

満州国建国には関東軍の関与が相当あったものであったが、一概にそれが侵略であったと言うには、一方的な判断である。先に述べたように、自衛・独立運動であった。

 

ソ連コミンテルン中国共産党による日本人と日本軍への迫害と挑発、南京・済南事件に続き、満州への共産党勢力の浸透による日本人への迫害と日本権益の侵害、そして張学良による中村大尉殺害事件の発生や日本人であった朝鮮人への迫害などが積み重なり、関東軍切羽詰って自衛行動に出たものが、柳条湖事件であり満州事変だったのである。

 

当時国際連盟加盟国が50カ国程度だった時に、満州国23カ国から承認されていた訳だが、

満州国華北の熱河地方から盛んに武装組織に侵入され攻撃を受けていたため、関東軍熱河作戦を遂行する。これが国際連盟の態度を硬化させ、満州国の承認を得られなくなり、日本は国際連盟を脱退することになる。

 

以降の進展は小生のブログ「支那事変の真相(11~」(2013.2.18~)を参照願うが、建国された満州国は日本の莫大な投資により重工業が育成され、五族協和王道楽土として終戦まで繁栄していった。そして中華人民共和国の建国・発展の基盤となったのであった。五族とは、満州人・蒙古人・中国華人朝鮮人・日本人を言う。

(続く)