読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日本近代化の流れ(42)

 

子どもへ伝える大切なもの

先祖代々伝えられそして培ってきた文化と心 我々の世代で失くしてはならない、大切なモノ

http://ameblo.jp/hoshusaisei/

昭和の日 「天皇さまが泣いてござった」

2011-04-29 00:30:59  http://ameblo.jp/hoshusaisei/entry-10857487913.html
テーマ:歩んだ歴史  


慶祝 昭和の日

f:id:altairposeidon:20170107220718p:plain

本日は「昭和の日」です。




4
29日は、昭和天皇がお産まれになった日です。
昭和天皇を偲びつつ、書かせて頂きます。
(不勉強ながら不敬な表現があるかもしれませんが、ご容赦下さいませ)


戦後、日本は何故奇跡の復興を可能にしたのか?
それは昭和天皇足掛け8年半、約3万3000キロに及ぶ全国への御巡幸により、
国民が一つにまとまった事から始まりました。

f:id:altairposeidon:20170107220759j:plain

昭和天皇マッカーサーとの感動秘話は有名なので、
当ブログでは書かないことにします。



御巡幸については調寛雅(しらべかんが)氏の
天皇さまが泣いてござった」を参照させて頂きました。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
佐賀県への御巡幸のお話




佐賀県に因通寺というお寺があります。

この寺には、戦争罹災児救護教養の、洗心寮が設置されていました。
洗心寮には、44名の引き揚げ孤児と、戦災孤児がいました。

この寺の住職:調寛雅(しらべかんが)氏昭和天皇はあるご縁がありました。

f:id:altairposeidon:20170107220912j:plain

そのご縁もあって、九州行幸には「行くなら、調の寺に行きたい」との昭和天皇のご意向から、因通寺のご訪問が決定しました。

この地域は、共産主義者がたくさんいる地域で、
特に敗戦後ですので暴動が起きる可能性がかなりありました。

因通寺のある町では
陛下の行幸を歓迎する人と反対する人で対立が起きました。

歓迎するのにも命がけの雰囲気です、反対派から何をされるか分からない。

お迎えするのは町長や知事などもである。

ある町長は知事にこう言います。
「知事さん、あなたも、おわかりだろうけど、
このたび一天万乗の大君でいらっしゃる天皇陛下がここに来られるんですよ。

私も息子を今度の戦争で亡くしましたけれど、
おそらく息子は天皇陛下万歳といって死んだにちがいありません。

その息子のことを思ってみても、天皇陛下がおいでになるとき、
父親である私がどうしてじっとしていることが出来ましょう。

せめて陛下がお出で頂くとき、気持ちよくして下さるよう、
みんなでこうして掃除をしているんですよ。
知事さん、心配しなさられでもいいですよ。至誠天に通ずですよ。」




5月24日、いよいよ因通寺に昭和天皇の御料車が向かわれます。

いろんな想いの群集から、
天皇陛下万歳、天皇陛下万歳」の声が自然と上がります。
それは、地響きのようでした。

f:id:altairposeidon:20170107220958j:plain

陛下は、群集に帽子を振って応えられます。

そして陛下は門前から洗心寮に入られます。

子ども達は、それぞれの部屋でお待ちしていました。


陛下はそれぞれの部屋を丁寧に足を止められます。

「どこから」
満州から帰りました」
北朝鮮から帰りました」
「ああ、そう」

「おいくつ」
「七つです」
「五つです」

「立派にね。元気にね」

一人一人にお声をかけられます。

ひと部屋、ひと部屋と。

そして一番最後の部屋の「禅定の間」に進まれます。




陛下は、その時突然、ある一点を見詰めて佇まれます。

侍従長以下は
「何事があったのか」と足を留めます。


しばらくして、陛下は一人の女の子へお顔を近づけられます。
「お父さん。お母さん」
と、お尋ねになる。

女の子は、二つの位牌を胸に抱きしめていたのである。

女の子が
「はい。これは父と母の位牌です」
と、返事します。

「どこで」

「はい。父はソ満国境で名誉の戦死をしました。
母は、引き揚げの途中で、病気で亡くなりました。」

「お淋しい」

「いいえ。淋しいことはありません。私は仏の子どもです。

仏の子どもは亡くなったお父さんとも、お母さんとも、お浄土にまいったら、
きっともう一度会うことが出来るのです。
お父さんに会いたいと思うとき、お母さんに会いたいと思うとき、私は御仏さまの前に座ります。

そして、そっとお父さんの名前を呼びます。そっと、お母さんの名前を呼びます。
するとお父さんも、お母さんも、私のそばにやってきて、
私をそっと抱いてくれるのです。私は淋しいことはありません。
私は仏の子どもです。」

と答えました。


陛下と女の子は、じっと見つめ合います。


さらに陛下は部屋の中に入られ、
右の手に持っていた、帽子を左に持ち替えられ、
右手を女の子の頭において、撫でられたのです。



陛下は
「仏の子どもはお幸せね。これからも立派に育っておくれよ」

と申され大粒の涙をハラハラと流されました。

(続く)