日本近代化の流れ(51)

頭皮を剥ぎ、目玉を抉(えぐり)取り、腸を切り刻む

それはこの男の人の頭の皮を学生が青竜刀で剥いでしまったのです。
私はあんな残酷な光景は見たことはありません。
これはもう人間の行為ではありません。
悪魔の行為です。
悪魔でもこんなにまで無惨なことはしないと思うのです。

頭の皮を剥いでしまったら、今度は目玉を抉り取るのです。
このときまではまだ日本の男の人は生きていたようですが、この目玉を抉り取られるとき微かに手と足が動いたように見えました。

目玉を抉り取ると、今度は男の人の服を全部剥ぎ取りお腹が上になるように倒しました。
そして又学生が青竜刀でこの日本の男の人のお腹を切り裂いたのです。

縦と横とにお腹を切り裂くと、そのお腹の中から腸を引き出したのです。
ずるずると腸が出てまいりますと、その腸をどんどん引っ張るのです。

人間の腸があんなに長いものとは知りませんでした。
十メートル近くあったかと思いますが、学生が何か喚いておりましたが、もう私の耳には入りません。

私はTさん(沈さん)にすがりついたままです。
何か別の世界に引きずり込まれたような感じでした。

地獄があるとするならこんなところが地獄だろうなあとしきりに頭のどこかで考えていました。

そうしているうちに何かワーッという声が聞こえました。ハッと目をあげてみると、青竜刀を持った学生がその日本の男の人の腸を切ったのです。

そしてそれだけではありません。
別の学生に引っ張らせた腸をいくつにもいくつにも切るのです。

一尺づつぐらい切り刻んだ学生は細切れの腸を、さっきからじっと見ていた妊婦のところに投げたのです。
このお腹に赤ちゃんがいるであろう妊婦は、その自分の主人の腸の一切れが頬にあたると「ヒーッ」と言って気を失ったのです。

その姿を見て兵隊や学生達は手を叩いて喜んでいます。
残った腸の細切れを見物していた支那人の方へ二つか三つ投げて来ました。
そしてこれはおいしいぞ、日本人の腸だ、焼いて食べろと申しているのです。

しかし見ていた支那人の中でこの細切れの腸を拾おうとするものは一人もおりませんでした。

この兵隊や学生達はもう人間ではないのです。
野獣か悪魔か狂竜でしかないのです。

そんな人間でない連中のやることに、流石に支那人達は同調することは出来ませんでした。
まだ見物している支那人達は人間を忘れてはいなかったのです。

妊婦と胎児への天人許されざる所業-⑥

そして細切れの腸をあちらこちらに投げ散らした兵隊や学生達は、今度は気を失って倒れている妊婦の方に集まって行きました。

この妊婦の方はすでにお産が始まっていたようであります。
出血も始まったのしょう。兵隊達も学生達もこんな状況に出会ったのは初めてであったでしょうが、さっきの興奮がまだ静まっていない兵隊や学生達はこの妊婦の側に集まって、何やらガヤガヤワイワイと申しておったようですが、どうやらこの妊婦の人の下着を取ってしまったようです。

そしてまさに生まれようと準備をしている赤ん坊を引き出そうとしているらしいのです。
学生や兵隊達が集まってガヤガヤ騒いでいるのではっきりした状況はわかりませんが、赤ん坊を引き出すのに何か針金のようなものを探しているようです。

とそのときこの妊婦の人が気がついたのでしょう。
フラフラと立ち上がりました。

そして一生懸命逃げようとしたのです。
見ていた支那人達も早く逃げなさいという思いは持っているけれど、それを口に出すものはなく、又助ける人もありません。さっきのこの妊婦の主人のように殺されてしまうことが怖いからです。

このフラフラと立ち上がった妊婦を見た学生の一人がこの妊婦を突き飛ばしました。
妊婦はバッタリ倒れたのです。

すると兵隊が駆け寄って来て、この妊婦の人を仰向けにしました。
するともうさっき下着は取られているので女性としては一番恥ずかしい姿なんです。

しかも妊娠七ヶ月か八ヶ月と思われるそのお腹は相当に大きいのです。
国民政府軍の兵隊と見える兵隊がつかつかとこの妊婦の側に寄って来ました。

私は何をするのだろうかと思いました。
そして一生懸命、同じ人間なんだからこれ以上の悪いことはしてくれないようにと心の中で祈り続けました。

だが支那人の兵隊にはそんな人間としての心の欠片もなかったのです。
剣を抜いたかと思うと、この妊婦のお腹をさっと切ったのです。

赤い血がパーッと飛び散りました。
私は私の目の中にこの血が飛び込んで来たように思って、思わず目を閉じました。それ程この血潮の飛び散りは凄かったのです。

実際には数十メートルも離れておったから、血が飛んで来て目に入るということはあり得ないのですが、あのお腹を切り裂いたときの血潮の飛び散りはもの凄いものでした。

妊婦の人がギャーという最期の一声もこれ以上ない悲惨な叫び声でしたが、あんなことがよく出来るなあと思わずにはおられません。

お腹を切った兵隊は手をお腹の中に突き込んでおりましたが、赤ん坊を探しあてることが出来なかったからでしょうか、もう一度今度は陰部の方から切り上げています。

そしてとうとう赤ん坊を掴み出しました。その兵隊はニヤリと笑っているのです。
片手で赤ん坊を掴み出した兵隊が、保安隊の兵隊と学生達のいる方へその赤ん坊をまるでボールを投げるように投げたのです。

ところが保安隊の兵隊も学生達もその赤ん坊を受け取るものがおりません。
赤ん坊は大地に叩きつけられることになったのです。何かグシャという音が聞こえたように思いますが、叩きつけられた赤ん坊のあたりにいた兵隊や学生達が何かガヤガヤワイワイと申していましたが、どうもこの赤ん坊は兵隊や学生達が靴で踏み潰してしまったようであります。

あまりの無惨さに集まっていた支那人達も呆れるようにこの光景を見守っておりましたが、兵隊と学生が立ち去ると、一人の支那人が新聞紙を持って来て、その新聞紙でこの妊婦の顔と抉り取られたお腹の上をそっと覆ってくれましたことは、たった一つの救いであったように思われます。

夫は支那人、私は日本人

こうした大変な出来事に出会い、私は立っておることも出来ない程に疲れてしまったので、家に帰りたいということをTさん(沈さん)に申しましたら、Tさん(沈さん)もそれがいいだろうと言って二人で家の方に帰ろうとしたときです。

「日本人が処刑されるぞー」

と誰かが叫びました。この上に尚、日本人を処刑しなくてはならないのかなあと思いました。
しかしそれは支那の学生や兵隊のやることだからしょうがないなあと思ったのですが、そんなものは見たくなかったのです。

私は兎に角家に帰りたかったのです。でもTさん(沈さん)が行ってみようと言って私の体を日本人が処刑される場所へと連れて行ったのです。

このときになって私はハッと気付いたことがあったのです。それはTさん(沈さん)支那人であったということです。
そして私は結婚式までしてTさん(沈さん)のお嫁さんになったのだから、そののちは支那人の嫁さんだから私も支那人だと思い込んでいたのです。

そして商売をしているときも、一緒に生活をしているときも、この気持ちでずーっと押し通して来たので、私も支那人だと思うようになっていました。
そして早く本当の支那人になりきらなくてはならないと思って今日まで来たのです。

そしてこの一、二年の間は支那語も充分話せるようになって、誰が見ても私は支那人だったのです。実際Tさん(沈さん)の新しい友人はみんな私を支那人としか見ていないのです。
それで支那のいろいろのことも話してくれるようになっておりました。

それが今目の前で日本人が惨ったらしい殺され方を支那人によって行われている姿を見ると、私には堪えられないものが沸き起こって来たのです。
それは日本人の血と申しましょうか、日本人の感情と申しましょうか、そんなものが私を動かし始めたのです。

それでもうこれ以上日本人の悲惨な姿は見たくないと思って家に帰ろうとしたのですが、Tさん(沈さん)はやはり支那人です。
私の心は通じておりません。

そんな惨いことを日本人に与えるなら私はもう見たくないとTさん(沈さん)に言いたかったのですが、Tさん(沈さん)はやはり支那人ですから私程に日本人の殺されることに深い悲痛の心は持っていなかったとしか思われません。

家に帰ろうと言っている私を日本人が処刑される広場に連れて行きました。
それは日本人居留区になっているところの東側にあたる空き地だったのです。

処刑された人々は、「大日本帝国万歳」と叫んだ-⑦

そこには兵隊や学生でない支那人が既に何十名か集まっていました。
そして恐らく五十名以上と思われる日本人でしたが一ヶ所に集められております。

ここには国民政府軍の兵隊が沢山おりました。
保安隊の兵隊や学生達は後ろに下がっておりました。

集められた日本人の人達は殆ど身体には何もつけておりません。
恐らく国民政府軍か保安隊の兵隊、又は学生達によって掠奪されてしまったものだと思われます。

何も身につけていない人達はこうした掠奪の被害者ということでありましょう。
そのうち国民政府軍の兵隊が何か大きな声で喚いておりました。

すると国民政府軍の兵隊も学生もドーッと後ろの方へ下がってまいりました。
するとそこには二挺の機関銃が備えつけられております。

私には初めて国民政府軍の意図するところがわかったのです。
五十数名の日本の人達もこの機関銃を見たときすべての事情がわかったのでしょう。

みんなの人の顔が恐怖に引きつっていました。
そして誰も何も言えないうちに機関銃の前に国民政府軍の兵隊が座ったのです。

引き金に手をかけたらそれが最期です。
何とも言うことの出来ない戦慄がこの広場を包んだのです。

そのときです。
日本人の中から誰かが「大日本帝国万歳」と叫んだのです。

するとこれに同調するように殆どの日本人が「大日本帝国万歳」を叫びました。
その叫び声が終わらぬうちに機関銃が火を噴いたのです。

バタバタと日本の人が倒れて行きます。
機関銃の弾丸が当たると一瞬顔をしかめるような表情をしますが、しばらくは立っているのです。

そしてしばくしてバッタリと倒れるのです。
このしばらくというと長い時間のようですが、ほんとは二秒か三秒の間だと思われます。

しかし見ている方からすれば、その弾丸が当たって倒れるまでにすごく長い時間がかかったように見受けられるのです。
そして修羅の巷というのがこんな姿であろうかと思わしめられました。

兎に角何と言い現してよいのか、私にはその言葉はありませんでした。
只呆然と眺めているうちに機関銃の音が止みました。

五十数名の日本人は皆倒れているのです。
その中からは呻き声がかすかに聞こえるけれど、殆ど死んでしまったものと思われました。

ところがです。その死人の山の中に保安隊の兵隊が入って行くのです。
何をするのだろうかと見ていると、機関銃の弾丸で死にきっていない人達を一人一人銃剣で刺し殺しているのです。

保安隊の兵隊達は、日本人の屍体を足で蹴りあげては生死を確かめ、一寸でも体を動かすものがおれば銃剣で突き刺すのです。

こんなひどいことがあってよいだろうかと思うけれどどうすることも出来ません。
全部の日本人が死んでしまったということを確かめると、国民政府軍の兵隊も、保安隊の兵隊も、そして学生達も引き上げて行きました。

するとどうでしょう。

見物しておった支那人達がバラバラと屍体のところに走り寄って行くのです。
何をするのだろうと思って見ていると、屍体を一人一人確かめながらまだ身に付いているものの中からいろいろのものを掠奪を始めたのです。

これは一体どういうことでしょう。
私には全然わかりません。

只怖いというより、こんなところには一分も一秒もいたくないと思ったので、Tさん(沈さん)の手を引くようにしてその場を離れました。

もう私の頭の中は何もわからないようになってしまっておったのです。
私はもう町の中には入りたくないと思って、Tさん(沈さん)の手を引いて町の東側から北側へ抜けようと思って歩き始めたのです。

私の家に帰るのに城内の道があったので、城内の道を通った方が近いので北門から入り近水槽(楼)の近くまで来たときです。

(続く)