読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日本近代化の流れ(55)

それによると、

 

五月三十一日、「通州事件」をユネスコの世界記憶遺産(「世界の記憶」)に登録申請した。この方針を決めてから七ヵ月目に、念願が実現した。尽力いただいた関係者の皆様に感謝したい。以下、簡単に申請に至るまでの経過を示す。・・・・・

 

昨年十月、虚構の「南京事件」が中国の申請で、ユネスコの記憶遺産に登録されてしまった。・・・・・

 

その後、「通州事件」をユネスコに登録しようと思いついた決定的なきっかけがあった。・・・十月二十七日付の週刊誌『ニューズウィーク』に書いた「中国の虐殺も記憶遺産に登録すべきだ」というコラムを読んだことである。・・・・・

 

申請は通州事件チベットにおける大量殺人をセットにして、「20世紀中国大陸における政治暴力の記録」という統一テーマを立て、共同申請案件として提出した。・・・・・

五月三十一日、メールで十五ページの英文の申請書をユネスコに送信し、同時に紙媒体とCD媒体の資料を、段ボールでパリに送った。…提出した資料は、次の十八アイテム(項目)である。

 

外務省声明

帝国議会陸軍大臣報告資料

天津警察署通州分署作成殉難者氏名

殉難者発見現場地図

萱島高証言

桂鎭雄証言

桜井文雄証言

佐々木テン証言

安藤利男証言

橘善守証言

浜口茂子証言

張慶余「冀東保安隊通県決起始末記」

武月星他「盧溝橋事変風雲編」

通州事件新聞記事集成

作家・吉屋信子の報道記事

ウィリアムズ著書における事件の観察

通州事件を悼む歌謡曲コレクション

通州事件の関連写真

 

なお、同じく五月三十一日の締め切り日に、山本優美子氏の「なでしこアクション」と「慰安婦の真実国民運動」、およびアメリカの「日本再生研究会」が共同で、「慰安婦と日本軍規律に関する文書」というタイトルで記憶遺産に登録申請したことを付け加えておく。・・・・・

 

 

と述べられている。そして、引き続き、⑭、⑨、⑪の証言が記載されている。⑧の佐々木テンさんの証言はすでに紹介済みである。その証言内容は、いずれも佐々木テンさんの証言内容に引けを取らないほどの凄惨なものである。

 

昨年十月、虚構の「南京事件」が中国の申請で、ユネスコの記憶遺産に登録されてしまっ」以上、この真実の「通州事件が記憶遺産に登録されない筈はないと思われるのだが、一つ気になることがある。

 

それと言うのも、ユネスコ記憶遺産国際諮問委員会の事務局長が、イリーナ・ボコバ氏と言うブルガリア出身のブルガリア共産党の党員で極めて親中派の女性であることである。だから、虚構の「南京事件」が登録されてしまったのである。

 

このことは次の記事に詳しく述べられているので、ぜひ参照願う。

 

 

【世界記憶遺産】中国版「アンネの日記」こそが南京大虐殺がなかった証拠だ! 藤岡信勝拓殖大客員教授

2015.12.14 14:00
http://www.sankei.com/premium/news/151129/prm1511290009-n1.html

次にその核心部分を載せる。中国がユネスコに提出した資料の「国際安全区の金陵女子文理学院の宿舎管理員、程瑞芳の日記」についてのものである。中国はこれを南京大虐殺の証拠の第1番として提出しているものである。よく読めば、この日記には虐殺などは一件も記載されていないのである。

 

 

・・・・・

日記は「南京大虐殺」不在の証明

 ところが、程瑞芳日記の内容を読んでみると、誠に拍子抜けするだけで、この文書のどこにも「大虐殺」など書かれていないのである。全くの噴飯物と言わざるを得ない。

 この日記をめぐる前後の状況をまずのべておきたい。南京の通常の人口は100万人だが、日本軍との戦闘が近づいてくると、多くの市民が財産をあるったけ持ち出して、近郊に疎開した。彼等はなぜ逃げ出したかというと、中国軍が来るのが恐ろしかったからである。日本軍がくれば市内の秩序が回復することを市民は期待し、歓迎していた。

 地方に疎開することができず、南京に取り残された極貧層の20万人の市民は、防衛司令官の命令で市の中心部に設定された安全区に収容された。その安全区の中に金陵女子文理学院(金陵女子大学から名称変更)があった。

 そこで、金陵女子文理学院が避難民の収容所の役割を果たすことになった。同学院の建物には40005000人の婦女子を収容したが、やがて男性も収容し、人数は9000人にふくれあがった。入れない市民は路上で寝起きした。衛生状態も治安も極めて悪かった。

 加えて、安全区には1万人以上の敗残兵が、武器を持って潜伏していた。後に摘発された武器弾薬は、トラック50台分に及んだ。彼等は軍服を脱ぎ捨て、民間人の服装をして、便衣兵となっていた。こうした行動は戦時国際法違反であり、民間人に潜り込んだ敵兵を摘出して掃討することは戦闘の一環で合法的な行為だった。

 日本軍は121415163日間、掃討戦を展開した。

 程瑞芳日記は、1937128日から193831日までの84日間の記録で、筆者が金陵女子文理学院の教師として難民受け入れにいかに苦労したかが書かれている。しかし、この日記の真の目的は、日本軍の悪行を記録しておこうとするところにあった。

 程瑞芳は、実は東京裁判に供述書を提出し、11人の娘が連れ去られ強姦されたこと1人の男が部屋に入って強姦したこと、1軒の家が焼かれ主人が殺されたこと、の3件を証言していた。

 日記ではさらに多数の不法行為が日本軍の仕業であるかのようにして書かれている。しかし、よく読むと、多くの事例はまことに漠然とした記述であり、その雰囲気は国民党政府がまとめた「南京安全地帯の記録」ととてもよく似ている。それは、どちらも伝聞による記述が多数にのぼるからである。

 南京事件研究家の阿羅健一氏は、程瑞芳日記を詳細に検討し、幸福実現党48日に提出した反論書の一部として批判文を執筆した。ユネスコに提出したのは英訳だが、日本語の原文は、97日に行われた「南京の真実国民運動」と「慰安婦の真実国民運動」の合同記者会見の場で、「程瑞芳日記について」と題するA44ページの文書として配布した。以下、この文書に依拠して記述する。

 阿羅氏は、程瑞芳日記の記述を、(1)漠然とした記述(2)噂話(3)虚偽(4)程瑞芳自身が見た被害-4つに分類した。

 このうち「漠然とした記述」というのは、例えば「城の南側の多くの建物が焼かれた。毎晩焼かれている」だとか、「外では毎日略奪が発生している。あらゆる物が盗られる」などといった記述である。具体性がない。

 「噂話」というのは、「全南京市で今のところ憲兵17人しかいない」といった記述である。憲兵が少ないから軍紀が乱れたと言いたいらしいが、事実は200人の憲兵がいた。人から聞いた噂話を書いたのであろう。

 「虚偽」というのは「ある場所では死体で路面が見えなくなっている」といった記述である。東京裁判で検察側が提出した記録によれば、安全区内にあった死体は175体であった。路面が見えなくなるどころか、死体を見つけるのが大変である。

 かくて「程瑞芳自身が見た被害」をまとめると、強姦8件、略奪6件、拉致1件、殴打1、となる。東京裁判に提出した供述書の被害よりも強姦件数が減っていることに注目していただきたい。

 仮に、強姦8件以下の被害が確かに程瑞芳の目撃した被害だとしても、つまり、彼女がこの点で嘘を書いていないと仮定しても、この資料の結論は全く奇妙なことになる。ここには殺人の記録が皆無だからである。前記・松岡氏の言う通り、これが、「中国人が、南京大虐殺をその当時、その場で記録した文章」だとすれば、この資料からは「『南京大虐殺』では殺人はなかった」という結論になる。これは矛盾した、無意味な命題であるから、結局は「南京大虐殺はなかった」という命題に書きかえられる。

 驚くべきことに、中国が最も重視して、腕によりをかけて提出した第一級の資料が、何と、「南京大虐殺はなかった」という主張を裏付ける資料に反転してしまったのである。

多数の非行は敗残中国兵の所業

 それだけではない。これらの不法行為はそもそも日本人がやったのかどうかに疑問がある。というのは、193814日付けのニューヨークタイムスに次のような記事が掲載されているからである。

中国軍の大佐と6人の将校が金陵女子大学に隠れ、略奪したり、少女を強姦して日本兵がやったように見せかけていた。大佐は宣教師によって、難民収容所を管理する2番目の地位に就けられていた」

 程瑞芳が、この捏造とスリカエを知りながら、日本人になすりつけている可能性も否定できない。南京の日本軍は、掃討や警備などのため宿営所を出る時は、中隊、小隊、分隊といった単位ごとに同一の行動をとった。夜間外出は禁止されていた。脱走すれば厳罰に処せられる。

 さらに重要なことは、南京陥落直後から市内は全面停電となり、クリスマスころまで復旧しなかったことである。禁を犯して外出し、地理も分からない真っ暗闇の敵国の首都を、敵の敗残兵が武器をもって身を潜めているなか、女性をとらえて強姦するという行為に及んだ日本兵は何人いただろうか。殆ど考えられない。ところが、「南京安全地帯の記録」では、強姦事件の半数は夜間に起こっているのである。これは敗残中国兵の仕業であることが明白だ。

 1220日の程瑞芳日記には、次の記述がある。

「今日もたくさんの難民が来た。二百号(文学館)の3階までぎっしり埋まっている。おそらく憲兵が保護していると思って避難して来たと思うが、憲兵も女の子を庭に引きずり出して強姦する彼等は人間じゃない。場所を問わないでやる。畜生だ

 この「畜生」は、はたして何国人なのだろうか。ちなみに、程瑞芳と行動を共にしていた女学院の責任者ミニー・ヴォートリンの同日付の日記(『南京事件の日々』1999年、大月書店 69-70頁)には、右のような記述はない。

 中国の提出した・以下の資料についても、同様のことが必ず指摘できるはずだ。その意味では、資料の公表は論争にとって好都合である。日本は今こそ歴史戦に本気で取り組まねばならない。

・・・・・

(続く)