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日本近代化の流れ(61)

3) 大東亜戦争とは、植民地解放戦争であった。

 

 

かくして大東亜戦争が始まってしまったのであるが、その目的は、そうであっても(ハル・ノートを提示されても)、欧米の植民地支配の打倒を目指すものであった。だから今次の対米英戦は、大東亜戦争と呼称されたのである。

 

これも、小生のブログ「靖国神社に参拝しよう。(3~」(2008.9.13~)より引用しよう。

 

 

大東亜戦争(太平洋戦争)

 

1941年(S16年)12月8日真珠湾攻撃で、今次の戦争の火蓋は切って落とされた。そして1941年(S16年)12月12日、大東亜戦争との呼称が閣議決定され、「今次の対米英戦は、支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す。大東亜戦争と呼称するは、大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして、戦争地域を主として大東亜のみに限定する意味にあらず」と発表され、この戦争は、アジア諸国に於ける欧米の植民地支配の打倒を目指すものであると規定した。この方針は1943年(S18年)の大東亜会議で「再確認」されている。

 

このため大東亜共栄圏とは、アジアを欧米列強の植民地支配から開放し独立させて、現在の欧州連合のような政治・経済を中心とした対等な国家連合を実現させて、その中で日本も資源を確保しアジア諸国の発展に寄与し、共存共栄の経済圏を建設しようとしたもの理解できる。

 

このことは、1943年(S18年)11月5、6日に東京で開催された、史上初めての有色人種のみが一堂に会した首脳会議・大東亜会議で採択された「大東亜共同宣言」をみればよく分かる。

 

大東亜共同宣言(概略)

 

よくよく世界各国が各々そのところを得、相より相助けて、万邦共栄の楽を皆にするは世界平和確立の根本要義なり。然るに米英は自国の繁栄の為には他国家、他民族を抑圧し、特に大東亜に対しては、あくなき侵略搾取を行い、大東亜隷属化の野望たくましゅうし、遂には大東亜の安定を根柢より覆さんとせり。大東亜戦争の原因ここに存す。大東亜各国は、相提携して大東亜を完遂し、大東亜を米英の桎梏より開放して、其の自存自衛を全うし、左の綱領に基づき大東亜を建設し、以って世界の確立に寄与せんことを期す。

1.共存共栄、2.自主独立、3.伝統尊重・民族繁栄、4.互恵提携・経済発展、
5.人種差別撤廃・文化交流・資源開放 』

 

なお大東亜会議への主席国は、日本、南京政府満州国、フィリピン、ビルマ、タイ、インドなどの諸国であり、マレー、インドネシア、仏領インドシナは出席できなかった。

080913(3)

・大東亜諸国の独立

 

また、日本軍の占領で独立を果たした国々は、フィリピン、ベトナムラオスビルマ、カンボジャ、満州国であり、日本軍の各種の施策により後日独立を果たした国は、インドネシア、インドなどがある。

 

日本軍は占領地域に対しては、日本語による皇民化教育や資源の収奪などが行われたことから、日本もかっての宗主国と同じ侵掠者に過ぎないという見方もあるが、日本軍が宗主国勢力を排し、現地人からなる軍事力を創設したことが独立につながり、占領下での様々な施策の改善、例えば愚民化教育を廃して学校教育を拡充し、現地語を公用語化し、在来民族の高官登用などが行われたため、旧宗主国に比べ日本はより真っ当な統治者であったと言われている。

 

(以上はWikipediaを参考にしている。)

 

このように「大東亜」の概念は、旧宗主国であった連合国にとっては東南アジアなどへのかかわり方に大きく影響を与えるものと考えて、GHQは)其の使用を禁止したものと思われる。

 

そして独立を果たした大東亜の諸国にとっては、この大東亜戦争は他の何物にも変えがたい意味を持っていたのであった。

 

 

 

東亜の諸国の、この大東亜戦争へのとらえ方は、並々ならぬ感謝の気持ちで満ち溢れたものであった。

 

これも小生のブログ「靖国神社に参拝しよう。(5~」(2008.9.15~)よりの引用である。

 

 

 

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(5)ダグラス・マッカーサー元帥
   (アメリカ、日本占領連合軍最高司令官

1951年5月3日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会における発言)

 

日本の潜在労働者は、量においても質においても、私がこれまで知っている中の最も立派なものの一つである。しかし、彼等は労働力はあっても生産の基礎素材を持たない。日本には蚕のほかに取り立てていうべきものは何もないのだ。日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れていた。それ故に、日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、その殆どが、安全保障のためであった。

 

(6)ククリッド・プラモード 元タイ国首相

(「サイヤム・ラット紙」12月8日、多分2005年頃か、年不明)

 

「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本と言う母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本と言う母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」

 

080915(5)

(7)バ・モウ 初代ビルマ首相
  (バ・モウ著「ビルマの夜明け」より、ビルマは現在ミャンマーと名前を変え、
   首都ラングーンはヤンゴンに変わっている。)

http://1st.geocities.jp/cutenao104/biruma.htmのキャッシュより)

 

「真実のビルマ独立宣言は、1948年1月4日ではなく1943年(S18年)8月1日に行われたのであって、真のビルマの解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった。」

「歴史的にこれをみるならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまた、その開放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから日本ほど誤解を受けている国はない。」

(注)ビルマは19世紀初頭よりインドを侵略した英国の圧力を受け続けていたが、抵抗むなしく1886年に全土を英軍に占領され、英領インドに編入されてしまった。大東亜戦争開戦後、アウン・サンは日本軍の「南機関」の支援を得て、ビルマ独立義勇軍を創設。日本軍と共に戦い、1942年7月にイギリス軍をビルマから駆逐する。翌年3月に日本で旭日章を受賞し、この年1943年8月1日にバ・モウを首相とするビルマ国が誕生し、アウン・サンは国防相となる。

戦後イギリスからの完全独立を目指すビルマは、アウン・サンを主席とするビルマ行政参事会代表団と英国政府との交渉の結果、1947年1月、アウン・サン=アトリー協定を締結、アウン・サンはその後ビルマ国内を、英領ビルマ全域を連邦制国家として独立させる方向でまとめる(パンロン協定)。そして1947年12月英国両院でビルマ独立法案可決を経て、1948年1月4日英連邦から離脱した共和制国家として、完全独立を果たしている。しかし現在ビルマにおいてはパンロン協定の内容は実現していない。

以上、注書きはhttp://www.mekong.ne.jp/directory/history/panglong.htmおよび
http://homepage3.nifty.com/htunktt/index1.html
より引用。

戦後の初代ビルマ首相となったウー・ヌらビルマ指導者達の言葉、「同著」より)

 

「それは言葉では言い表させないほど幸せな日々だった。人々は喜びに胸を膨らませて、いたるところで歌った。国民こぞってこれを祝うために、各地域社会を代表する委員会が設けられた。くる日もくる日も群集がパゴダを訪れて灯明を挙げ、花を捧げた。僧達は、町中で振る舞いを受け、催物は果てしなく続いた。人々は集い、日本語で「万歳」を叫んで、日本に対する深い感謝を現す決議をした。同時に、喜びと感謝の気持ちを綴ったメッセージを東条首相と日本政府に送られた

 

(8)ガザリー・シャフェー 元マレーシア外相
 (1988(S63)年7月19日、赤坂プリンスホテルにて、
          彼はアセアンの創設に尽力しハマーシェルド賞を受賞している。

     http://chinachips.fc2web.com/repo4/045813.html日本をしかる男(2)より)

 

日本の代議士の、「過ぐる大戦において、わが国は貴国に対しご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と言う挨拶に対して、

 

「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの対戦で日本はよくやったではないですか。マレー人と同じ小さな体の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。その結果マレーシアは独立できたのです。

大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ。

 

私は威張る人も、ぺこぺこする人も嫌いです。日本はもっと大きくアジアに目を開いて下さい。現在、日本は南方の発展途上国に対する援助額はダントツです。押しも押されもせぬアジアの経済大国ではありませんか。

 

「ルック・イースト」「日本に学べ」と言う呼び掛けはシンガポールやマレーシアだけではありません。口に出しては言わないけれど、アジアの国々のこれは本音なんですよ。かつて反日感情の強かった国々も、次第に親日感情が起こりつつあります。

 

そうした中にあって、日本は欧米ばかり目を向けず、アジアに対して責任を持つ国になってほしいのです。日本はかつて、アジアに対して責任を感じ、そのために戦争であれだけの犠牲を払ったのです。

この尊い戦争の遺産を否定することは、バックミラーばかり見ているようなものです。自動車は前を向いて運転しなければ進路を間違えますよ。」

 

(戦後の日本の姿を見て彼は次のようにも語った。)

 

「自己を否定するあまり、日本の大事な精神を崩壊させて、民族の誇りを完全に失った。」

(続く)