日本近代化の流れ(70)

だから、日本は馬韓国に厳しい経済制裁を掛けるべきである。

 

 

8) 馬韓国の人・朝鮮人は鬼畜、否、鬼畜にも劣る民族である。

 

'99光市母子殺害事件の犯人は、在日朝鮮人の福田孝行。

 

'12.10月発覚の尼崎連続変死事件の主犯の角田美代子も、在日朝鮮人

 

'07年英国人リンゼイ・アン・ホーカーさんを殺害した市橋達也も、朝鮮系人物父親朝鮮人

 

'2000年英国人ルーシー・ブラックマンさんを殺害した織原城二は、朝鮮人

 

'11/10月大津いじめ自殺事件のいじめた側の悪ガキは、朝鮮人。死んだ中学生日本人。当時の大津市長の「越コシ直美」も、名前からして帰化人風。

 

2001.6月大阪池田小学校の23人の児童を殺傷した宅間守朝鮮人

 

'97.5月のあの神戸市須磨区の中学生酒鬼薔薇聖斗 も、元在日朝鮮人

 

'98.7月の和歌山のヒ素カレー事件の殺人犯の林真須美朝鮮人

 

オウム真理教麻原彰晃在日朝鮮人1995.5.16上九一色村の第6サティアンで逮捕。

 

'00.12月世田谷一家惨殺事件の犯人のDNA朝鮮系だった。妻泰子さんは帰化した韓国人。

 

・聖神中央協会事件、'91年から信者少女を多数強姦牧師は在日韓国人

 

・世話した老夫婦を'08年殺害した大分別府大学留学生は、朝鮮人

 

'93.4月の愛犬家連続殺人事件の犯人は在日朝鮮人

 

'03年の早稲田大学のレイプサークル・スーフリ事件の代表和田真一郎在日朝鮮人

 

 

このように日本で起こった凶悪事件のほとんどは、在日朝鮮人が絡んだものです。日本人(大和民族)は、こんなことは決してしません。南京大虐殺なんぞも中国の捏造したものです。これなど中国人ならやりかねないものです。通州事件を見れば、明らかです。

 

そうそう、あの小沢一郎朝鮮人だったのですよ。

 

詳しくは小生のブログ「馬鹿な韓国、頓馬な朴槿恵56~」(2014.2.6~)を参照願う。

 

 

9) 朝鮮人朝鮮人なら、中国人も中国人だ。人肉を食らう。

 

中国では文革と称して、沢山の人民が殺され多くの女性も凌辱されていると言う。しかもだ、それも中国の地方政府の役人たちが率先してそれを実行し、そしてその人肉を料理して宴会を催し食していた事実が存在する。

 

中国と言う国は、身の毛もよだつような恐ろしい国柄である。付き合うに足る国ではない。

 

中国では古来から人肉を食らう話がよく出てくる。かの三国志にも出ているというが、この話は小生のブログ「中国・虚妄のプロバガンダ(6)」(2008.2.17)で紹介しているので、ぜひご参照願う。

 

次の話は、将に今の話である。中国では現代でも、人肉を食らっているようだ。あな、恐ろしや。

 

 

広西チワン族自治区文革大虐殺」の実相

中国新聞趣聞~チャイナ・ゴシップス

殺害15万人、人肉食、性暴力…「絶密資料」発掘

20161019日(水)

福島 香織

 先日、明治大学で同学現代中国研究所主催の「『文革』とは何だったのか」というテーマのシンポジウムが行われた。いわずもがな、今年は中国の文化大革命発動から50周年であるので各地でこの手のシンポジウムが行われているのだが、特にこれに興味をもったのは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の宋永毅教授が「広西チワン族自治区極秘檔案に見る文革大虐殺と性犯罪」について講演すると聞いたからだ。

 文革期に広西チワン族自治区で組織的で凄惨な人肉食を伴う大虐殺が行われたことは、知る人ぞ知る事実である。その事実について、実は共産党として詳細な報告書をまとめていたが、それは「絶密」(絶対秘密)扱いで、長らく公開されていなかった。ところが、今年、宋教授が中心となってその膨大な機密資料が編集され出版された。700万字以上36巻。

 文革というものをとらえるとき、現場で何が起きたか、それを知らないでは語れない。同じ文革でも、北京で起きたことと、内モンゴルで起きたこと、チベットで起きたこと、そして広西チワン族自治区で起きたことは違うだろう。広西チワン族自治区文革について、この資料や宋教授の講演の内容をもとに、ここで簡単に紹介しておきたい。

なぜここまで残虐を極めたのか

 文化大革命とは1966年から1976年の毛沢東の死まで続き、77年に終結宣言がなされた中国全土で起きた大政治・社会動乱である。大躍進政策の失敗によって政権中枢から退かざるを得なかった毛沢東が、政敵・劉少奇らを失脚させ復権を図るために民衆を扇動して政治動乱をしかけた、というのが一般的な解釈で、その本質は権力闘争ともいわれているが、研究者の中には、もっとマクロな視点から、旧ソ連社会主義に挑戦する中国式社会主義モデルの提起といった見方や、中国近現代史において唯一権力を公に批判できた時代という意義を見出す考えもある。

 中国国内ではひそやかに文革再評価論も起きているし、農村部では文革時代を懐かしむ声もある。だが、具体的に文革で何が行われたか、という視点でみると、そういう政治論的な研究など吹っ飛ぶような残虐行為のオンパレードだ。政治理想論の建前にしろ、権力闘争にしろなぜ、ここまで残虐である必要があったか、ということの方が重要な本質テーマである気がしてくる。

 この資料によれば、広西チワン族自治区では、文革期に約20万の冤罪事件があり、名前が判明しているだけでも約89000人が不正常な死を遂げ、行方不明者も2万人に及ぶ。名前の分からない死者は3万人以上で、少なくとも15万人が虐殺されたといわれている。民間の調査では20万人以上が殺害されたともいわれている。

 文革終結後、広西の党委員会組織は10万人の人員を使って4年かけて、「文革遺留問題」処理にあたった1986年から88年にかけて、党委員会はこの処理について上級機関に報告するための「広西文革檔案資料」を作成。この700万字にのぼるリポートでは、いつ、どこで、誰がどのように虐殺されたか、そしてどのように「喰われたか」まで、ほとんど実名で詳細に記録されていた。これは「絶密」文献として外部の者の目に長らく触れることはなかった。例外的に、のちに米国に亡命した中国人作家・鄭儀が、これら公式資料を見て、またその資料に記述されている関係者にも取材し、広西地域の大虐殺・人肉食事件を告発したノンフィクション文学「紅色記念碑」を書いている。

 だが、それ以外にこの文革大虐殺の実体を世界に公式に発信したものは今までなかった。ちなみに「紅色記念碑」の人肉食記述の部分は、「食人宴席‐抹殺された中国現代史」(カッパブックス 黄文雄訳)のタイトルで邦訳出版されている。キワモノ本的タイトルになって残念だが、原作は緻密な資料と取材に裏付けられた渾身のノンフィクションである。

 この絶密資料は米国に密やかにわたっており、主要大学のアジア関係の図書館に分散して保管されていることが近年判明。宋教授は、今年6月になって在米華字メディア明鏡出版集団傘下の国史出版から、この資料を整理して36巻にまとめて出版した。

(続く)