日本近代化の流れ(81)

反安倍の「公共外交」、およそ100

 中国の近年のパブリックディプロマシー成果については、「中国公共外交発展報告(2015」によくまとめられている。

 パブリックディプロマシー、公共外交とは「外国の一般市民に直接情報を供給したり、国際的に鍵となる人々を関与させたりして影響を与え、(自国にとって有利な)国際世論の形成を図ること」と定義されるが、そのコツについては、外国メディアに発信させ、外国人に発言させることだとしている。たとえば、2014年の対日国際世論戦である。

 この一年、中国の対日公共外交のポイントは安倍晋三軍国主義復活を喧伝し、日米を離反させ、国際社会で日本を孤立させることだった。

 具体的に何をやったかというと、20131230日に駐日本大使の程永華毎日新聞に「“不戦の誓い”は場所が違う」とする署名記事を寄稿、続いて1231日に、外交部国際局長の呉海龍が新欧州ウェブサイトに「ドイツと日本、歴史に対する態度がことなる」を寄稿、英国大使の劉暁明がデイリーテレブラフに「侵略戦争の歴史への反省を拒む日本は必ず世界の平和に対して深刻な脅威となる」を寄稿、日本の軍国主義を「ハリーポッター」に出てくる闇の帝王・ヴォルデモートだと比喩した。こうした中国外交官の文書が20144月まで、外国のメーンストリームメディアを中心に次々と発表された。その数、およそ100

 日本の外交官もこれに反撃したが、数からいえば中国が圧倒した。あと英語による文章、発言の洗練さが、中国外交官の方に軍配があがったといわれている。

 発展報告は、こうした外交官たちが外国メディア上で対日世論戦をしかけたことについて、「我が国の外国メディアを利用した公共外交工作の戦端を開いた」と評価している。

 ただ、こうした流暢な英語を駆使した中国外交官による外国メディアの利用は、国際世論誘導戦において完全に勝利をおさめたかというと、そうでもなかった。

 これは日本の外交官が頑張ったというわけではなく、中国側のオウンゴールで失敗した。日本の安倍が右傾化していると宣伝し、国際社会で孤立させるつもりだったが、中国の南シナ海覇権戦略の展開が予想以上に早く大胆であったため、あるかなきかの日本の軍国主義復活より、はっきり目に見える中国の覇権主義の方が、国際社会にとっての脅威と認識されるようになった。

 同時に、日本の右傾化より、米国や欧州、他国の右傾化の方がより激しく目立つようになった。親中派だった英国のキャメロン政権がブレグジット問題を機に中国と距離をおくメイ政権に転換し、トランプだけでなく、堂々とナショナリズムを主張し、時に排他的なことも言う政治家が世界で目立つようになると、安倍政権のささやかなナショナリズムなど、かすんでしまった。

 トランプ現象のおかげで、米メーンストリームメディアもそれに追随してきた日本大手メディアがいまいち、信じてもらえなくなったことも、中国の対日公共外交の効果を低くした。

SNS外交」にシフト、官製発信5億件

 中国の対日世論工作のやり方は、日本や欧米のメーンストリームメディアに世論として日本批判を報道させることだったが、日本では朝日新聞慰安婦報道の誤報に始まり、大手メディアの信頼を損なう事件が次々と起こり、またこれまで世論をリードしてきたリベラル派の学者や評論家、コメンテーターの人気も急激に落ちてきた。日本の大衆は無条件に米大手メディアを信じ込む傾向があったが、トランプの当選を予想できなかったことで、米大手メディアの報道も政治的に偏向している事実を認識するようになった。

 ただ、世論形成の主戦場が大手メディアから、SNSなどのインターネット上に変化してきたことは、中国にとっては歓迎すべきことかもしれない。中国語でいうところの微博外交、SNS外交は、かねてから力がいれられてきた。既存メディアを使わずにツイッターで直接大衆に発信するトランプがSNS外交の典型のよういわれているが、中国のSNS外交は政治家や外交官やアカウントから発信されるものだけでなく、人気ブロガーやタレント、俳優、スポーツマン、新聞記者も動員できる。

 さらに中国の場合、普通のユーザーを装った、雇われオンラインコメンテーターのアカウントによる政治的発言、世論誘導発言もある。こうした“管制”オンラインコメンテーターのネット上の書き込みは年間5億件にものぼるという。

 さて2017年の中国の公共外交の方針であるが、同済大学中国戦略研究院長の門洪華教授がこんな指摘をしていた。

①今年は中国の国際的地位が歴史的に転換する重要な一年であるとして、まず特に戦略的忍耐が必要だ。
対日公共外交に関しては、日本の民衆と右翼分子を分けて対応し、日本の世論を戦略的に誘導していくこと、そのためにインターネットを十分活用する。
日本においては専門家、学者が政府よりも発信力や信頼性が高いので、学術交流など、政治的背景を明らかにせず、積極的に利用していく。

 彼の提言がどの程度まで当局の耳に届くかはわからないが、年初の中国の国際世論戦を見てみると、確かに忍耐が効いているような気がする。

「戦略的忍耐」には慎重対応を

 例えば、トランプ政権はさかんに中国を恫喝しているが、それに対する中国サイドの反応は比較的抑制が効いて、ダボス会議などではまるで、中国が世界のリーダーとして待望されているような世論形成に成功している。トランプが暴言を吐き、無茶な大統領令を次々と出しているおかげで、相対的に中国のこれまでの傲慢な印象が薄まり、信じられないことだが、トランプの米国よりも、習近平の中国の方に期待したいような意見が欧米メディアにも出てくるに至った。このまま沈黙していれば、トランプ政権が強引な政策を推し進めて、自滅してくれるんじゃないかと、中国サイドは静かに見守っているところではないか。

 そして、今回のアパホテル問題も、門洪華の提言どおりの、中国式世論誘導が展開されている気がする。まず、インターネットを十分に活用して、日本の“右翼分子”に批判を集中させる。アパホテル抗議デモも、非常に抑制・忍耐が効いていて、日本を愛する故の抗議活動である、というスタイルをとっている。環球時報も、日本の警察や民間人が、右翼の攻撃から、中国人たちの抗議デモを守ってくれた、との参加者のコメントを載せていた。

 たとえば、このあと、日本の左派学者らとの学術交流による中国の主張の補強といった展開になれば、なるほど、と思う。

 こういう風に今年、中国が戦略的忍耐でもって、慎重に国際世論戦を展開してくるというなら、日本も慎重に迎え撃つしかない。右翼活動家の罵詈雑言による短絡的なカウンターデモは、はっきり言って、こうした公共外交、国際世論戦にとって日本の足を引っ張る以外の何者でもなかった。

 日本の公共外交は、実のところ中国が歯噛みするほどの底力がある。

 まず、観光。すり・ひったくりにおびえる必要もなく、交通事故に遭う可能性も比較的低い安全性。恐ろしい風土病も感染症もほとんどない衛生面。物価は意外に安く、気候は過ごしやすく、空気も水もきれいだ。

 次にアニメ・漫画・映画サブカルチャー。この二つが合わさる場合もある。“聖地巡礼”、アニメや映画に関する博物館、展示、コミケサブカルチャーに影響されて日本旅行に来た外国人が、SNSで写真やコメントを発信する。

 日本の場合、政府がオンラインコメンテーターを雇わなくても、本当に好きで日本発信をしてくれるのだからありがたいことである。政府が主導する公共外交というよりは、むしろ日本という国や日本人がもともと持っていた創造力や資質が普通に発揮された、というべきかもしれない。

罵声よりも、胸を張れ

 日本に来た外国人を、中国人も含めてきっちり親日派に“洗脳”することほど、強力な公共外交はない。そういう意味では、ホテルに特定の外国人が不愉快になるような思想・信条の本を置くのが、国際世論戦において有効かどうか、同じ歴史戦を仕掛けるにしても、もうちょっとうまいやり方があるのではないか、と議論されてもいいかもしれない。

 ただアパホテルが歴史本を客室に常備するのは本来、経営者の思想信条の自由に類することで、日本や外国の政府が干渉する話ではない。南京事件があったかなかったなど、専門家たちが何年も論争を続けているのに決着がつかないのだから永遠につかないも同じだ。なかったことを証明する方法はなく、これまであったという証拠としてきた史料に説得力がないというなら、わからないというしかないではないか。それをあった、なかったと断言するのは、もはや個人の信念、信条、宗教みたいなもので、自由であるが、人に押し付けるようなものでもない。アパの歴史本は欧米のホテルに常備されている聖書とそう変わりなく、抵抗感がある人は、消費者として別のホテルを選択すればよいだけのことなのだ。

 個人的にはあの時代の戦争で無辜の民間人を一人も殺害せず、捕虜を一人も処刑しなかったというのは無理があるが、30万人の虐殺というのも無茶な話だと思っている。民間人に便衣兵や少年少女兵も混じっていただろうし、捕虜の中にも最後まで反撃の機会を狙っていた者もいただろう。

 一つ言えることは、あの時代、それに続く国共内戦の期間も含めて、国民党軍も共産党軍も数十万単位の民間人虐殺(兵糧攻めによる餓死者も含む)を行っていた。戦争が終わって新中国が建国されて以降も、毛沢東8000万人以上の中国人を虐殺あるいは不正常死に追い込んだ(餓死者も含む)。中国人を一番殺してきたのは中国人である。そしてそれは比較的最近まで続いていたので、中国人自身がよく知っている。

 アパホテルの歴史本に抗議の声を上げる在日中国人たちだって、わかっているはずだ。祖国では恐ろしくて口にできないことも、外国では声高に叫ぶことができる。「JAPAN好きだ」のスローガンはたぶん、彼らの本音だ。でも、天安門広場で「JAPAN好きだ」の垂れ幕を広げる勇気はあるまい。そういう彼らには、出ていけと罵声を浴びせるのではなく、民主主義っていいもんだろう、と胸を張って見せるのが、公共外交、国際世論戦においては有効だと思う。

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KK
ベストセラーズ刊/20161026日発行

このコラムについて

中国新聞趣聞~チャイナ・ゴシップス

 新聞とは新しい話、ニュース。趣聞とは、中国語で興味深い話、噂話といった意味。
 中国において公式の新聞メディアが流す情報は「新聞」だが、中国の公式メディアとは宣伝機関であり、その第一の目的は党の宣伝だ。当局の都合の良いように編集されたり、美化されていたりしていることもある。そこで人々は口コミ情報、つまり知人から聞いた興味深い「趣聞」も重視する。
 特に北京のように古く歴史ある政治の街においては、その知人がしばしば中南海に出入りできるほどの人物であったり、軍関係者であったり、ということもあるので、根も葉もない話ばかりではない。時に公式メディアの流す新聞よりも早く正確であることも。特に昨今はインターネットのおかげでこの趣聞の伝播力はばかにできなくなった。新聞趣聞の両面から中国の事象を読み解いてゆくニュースコラム。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/218009/020600087/?P=5

 

序にこれも参照されるとよい。

 

【高橋昌之のとっておき】中国の「アパホテル攻撃」は日本の言論の自由に対する挑戦 歴史問題で不当な圧力に屈してはならない

2017.2.19 16:00

http://www.sankei.com/premium/news/170219/prm1702190002-n1.html

 

 

 

11) ソ連兵や満人・鮮人に凌辱された引揚女性、露朝漢を許すな!

 

 

皆さんは「京城帝国大学」と言う帝国大学が、京城けいじょう、ソウル)にあったことをご存知のことと思う。

 

これからはなす話は、京城帝国大学の先生や学生たちが、満州、朝鮮から引き揚げてくる途中で多くのロシア兵や朝鮮人、中国人などに凌辱され、身もごって日本に引き上げてこざるを得なかった多くの日本婦女子達を、救ったお話である。彼らたちは困難な環境下で、望まれぬ命を中絶堕胎することで、彼女たちの次の人生を救ってきたのであった。

 

 

九帝大と言われている大学は、次の通り。

 

1. 東京帝国大学  1877年・明治10

2. 京都帝国大学  1897年・明治20

3. 東北帝国大学  1907年・明治40

4. 九州帝国大学  1910年・明治43

5. 北海道帝国大学 1918年・大正 7

6. 京城帝国大学   1924年・大正13年→現在のソウル大学朝鮮人はその連続性を認めていない。

7. 台北帝国大学  1928年・昭和 3年→台湾大学、台湾人はその連続性を認めている。

8. 大阪帝国大学  1931年・昭和 6

9. 名古屋帝国大学 1939年・昭和14

 

 

丁度終戦の時には、台湾からの引揚者は台湾人に盛大に見送られて引き揚げてきたが、満州・朝鮮では男たちはシベリアへ抑留され、婦女子はソ連兵や朝鮮人や中国人に凌辱され、更には着ている衣類までもをはぎ取られて裸同然で引き揚げてきたのでした。その途中で子供たちはいうに及ばず、かなりの人たちが死んでいきました。

 

そしてようやく日本にたどり着いた凌辱されて身ごもった日本人婦女子たちを、救ったのがこの京城帝国大学の関係者たちであった。救うと言っても、不法に身ごもってしまった命を堕胎し、彼女たちを優しく見守り心を落ち着かせたのであった。

 

この京城帝国大学台北帝国大学は、大阪や名古屋の帝大よりも早く設立されていることに注目する必要がある。小学校から大学まで、抜本的にかの地の教育に日本は尽くして、かの地の発展を図っていたのである。

 

京城帝国大学は他の帝国大学と異なり、文部省配下の大学ではなく朝鮮総督府の下に設立されている。1924大学予科1926年法文学部と医学部が設置されている。

 

朝鮮の教育について詳しくは当ブログ「日本は侵略国家ではありません(4)」(2008.12.25)や「日韓併合100年(22)」(2011.10.14)などを参照されたい。これにより朝鮮の識字率は、191010%193665%にまで上昇したのである。

(続く)