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日本近代化の流れ(84)

396可愛い奥様2013/06/03() 17:13:09.10 ID:3balZdMM0
日本敗戦後一年が過ぎても北朝鮮 内の日本人の移動は禁じられていた。
筆者のグループは賄賂を使ってトラックを雇い南朝鮮への脱出を決行する事になった。

昭和21年9月中旬、朝鮮警察のトラックを使用する。
料金は一人千円ということで、赤ん坊も含めて、私は六千円を支払った。

市辺里で全員トラックから下ろされ、後は徒歩になったのだが、
牛車が2台待っていて使用を強制され、荷物を載せて身軽で歩いた。

牛車代は多額が要求され、次の部落では次の牛車に載せ替えられて
また金を巻き上げられる。山の中腹に煙が見えた。

そこはチゲ部隊の交替地であった。

もうこの頃には、醵出する金は無くなっていたが、物でもいいと言われ、せっかく、
わざわざここまで運んできた物を大部分取上げられてしまう。

稜線まできたチゲ部隊に、
「こんな少しばかりで、お前ら、日本へ帰れると思うのか。もっと出せ出せ!!」
と威かくされ、残りの物まで投げ出し、疲労困憊の老幼男女は、狂気のように
この38度線の山稜を駆け下る。

・・・生きて祖国へ5 死の三十八度線  引揚体験集編集委員会編 


397
可愛い奥様2013/06/03() 17:13:57.99 ID:3balZdMM0
文坪の町も日に日に治安が悪くなっていた。
しばらく鳴りを潜めていた朝鮮過激分子の跳梁が始まってきた。

元山でも朝鮮人が暴徒と化して、日本人経営の店や住宅にまで押しかけて
暴行、略奪を始めたという噂が入ってきた。

ソ連兵は保安隊員の先導で日本人の住宅地区にやってきて、
家中を物色しありとあらゆる家財道具を略奪し始めた。

その内のめぼしい物がなくなってくると今度は、
「女!女!」と言って若い女性を連れ出すようになってきた。

私達若い女性は、頭髪をぷっつり切り落とし丸坊主になり、
貧しい男の子のように薄汚れた服を着るようにした。

ソ連兵や保安隊員が来ると、いち早く床下に隠れたり、
前もって準備して掘った穴に身を潜めた。

・・・私の三十八度線突破記録  梶山緑


北鮮に入って来たソ連軍は、満州におけると同様、
略奪、放火、殺人、暴行、強/姦をほしいままにし、

在留日本人は一瞬にして奈落の底に投じられる事になった。

白昼、妻は夫の前で犯され、
泣き叫ぶセーラー服の女学生はソ連軍のトラックで集団的にら致された。
反抗したもの、暴行を阻止しようとした者は容赦なく射殺された。

ソ連兵に触発された朝鮮人の暴行も多かった。
富坪の避難民3000名中、その半数が死/亡した。

一日も早く引揚げさせてくれという要望はソ連軍当局によって無視され、
日本人はただただ餓死を待つよりほかない状況に追い込まれた。

在留日本人社会では「38度線さえ越えれば」というのが唯一の悲願となった。

やせこけた身体に乞食のようなボロ をまとい、
山を越え谷を歩き強盗にささやかな所持品を奪われ、歩哨の銃弾に倒れ、
人々は南に辿り着いた。

・・・「韓国 ・朝鮮と日本人」 若槻泰雄 


403
大日本帝国陸軍航空隊 桜花五号機2013/06/03() 17:22:49.48 ID:3balZdMM0
爆弾投下続行します。

悪夢のような数日の怒りがこみ上げてくるのであろう、
「畜生、ロ*ケのやつ」「山賊朝鮮人め!」髪を振るわして、
朝鮮人の顔役がズラリ顔をそろえてやって来て、打つ、蹴る、殴るの「見せしめ」が始まる。


この日も悪い奴がやって来た! と思ったが、炊事当番の人々が知らぬ顔をしていると、
「負けたくせに生意気だ」と食って掛かって来た。

あまりの雑言にきっと目をすえると、「これでも食え!」と言いざま、
足もとの土砂をすくって、パッと味噌汁の鍋にたたきこんで逃げていった。

久しぶりのご馳走というので、窓、窓には笑顔が並んでいたが、
この光景に、窓の表情はたちまち青ざめた憤りに変わった。
今日もまた「命令」と称して朝鮮人のトラックが乗りつけて来た。

カーキー色のものは服といわず靴といわず、一物も余さずかっさらって行く。
これらは軍需品だから没収するというのである。

これから寒さに向かうというのにシャツ1枚でも無駄にはできない、
その貴重品をトラックに山積みにして今日も引揚げていく。


407
可愛い奥様2013/06/03() 17:24:58.21 ID:3balZdMM0
避難の人々は、最後の1枚を没収されないためにチエを絞り出した。
明日もまた現れるであろう没収団の為、有り合わせの染料で他の色に染め変えてしまった。

その翌日、朝鮮側の命令は例のとおりやってきた。

一同は一夜で変わった黒や青色の服で列を作ったが、
予想に反して今度は服装には目もくれず、意外な命令が言い渡された。

「今度は一切の所持金を提出しなければならない。
もし、この命に違反し、一銭といえども所持していることが後で分った場合は銃殺される。

では、本日ただちに提出するように」有無を言わせない強制処置である。
今後何か月かかるか分らない長い苦難を前に、金こそは命の綱である。

その命の綱を一銭残らず供出したら
――
今までに子供がおなかをすかせれば芋の一つも買ってやれたのに、
無一文は死の宣告も同然である。

しかし、銃殺で脅かされた一同は、泣く泣く最後の一銭までも提出してしまった。
その夜、カユをすすった避難民一同は絶望の中に寝られぬ夜明けを迎えた。

その朝も、恐怖の的である命令が来た。

1日1日この命令で心臓を締め付けられてきた一同は、
伝令の姿が現れると、もうそれだけで体が震え出した。

「命令」冷厳な、その命令は疎開本部代表に針のような鋭さで伝達された。

「17歳以上、50歳までの男子は、ひとり残らず軽装で集合せよ」
十分の猶予が与えられて男子は校庭に集合した。

この部隊はそのまま朝鮮保安署に連行された。

残された婦人たちは「いつもの使役だとよいが…」と冷たい雨の中を去っていく
男子部隊をいつまでもいつまでも見送っていた。

この雨中の別れが、長い長い別れとなった。
この男子部隊はその夜、移駐を命じられ、遠くシベリア送りとなったのである。

・・・「大東亜戦史 8 朝鮮編」池田佑編 富士書苑


408
可愛い奥様2013/06/03() 17:26:40.06 ID:3balZdMM0
戦後の日本人引き揚げ時の真実は、語り継いでいかなければならないと思います。

繰り返しますが、日本人と一緒に戦争していた朝鮮人は、
日本が敗戦すると知ると手のひらを返して日本人に対して、
略奪・強/姦・虐/殺などあらゆる暴虐の限りを犯したのです。

陸海空と英霊たちが命をかけて守ろうとした家族・祖国日本ですが、
敗戦と同時に生き残った人たちも死ぬのと勝るとも劣らない苦しみ~
一瞬にして死ぬのでなく長く続く精神的・肉体的苦痛は、
まさに「生き地獄」に落とされたのです。

二度とこの様な事にならない為には、戦争をしない事は勿論ですが、
戦争を起こさせない事です。戦争は、水が低きに流れるのと同じように、
(軍事)力が弱い所に(軍事)力が作用して起こります。

明確に言えば、支那尖閣列島に触手を伸ばせば、
日本・支那間で戦争が起こりうるのです。

そうしない為には、相手が手を出せない様に、
手を出せば大火傷をする・唯では済まないような準備する事しかありません。

やくざは、警察力相手に喧嘩はしません。強い相手には喧嘩は仕掛けないのと同じです。

支那も米国 には手を出しません。
日本がこのまま何もせずにいれば支那は確実に尖閣列島に手を出します。

そうしない為には、日本は、
支那に手を出させない様に」軍備力を充実させる事を早急に・確実に実施すべきです。

・・・・・・・・・・(略)

 

http://hosyusokuhou.jp/archives/27937619.html

(続く)