この馬韓国兵の強姦や虐殺に困った韓国軍は、ベトナム各地に大規模な「慰安所」(公設の売春宿)を建設していったのである。
慰安婦を調達するには、馬韓国人は慣れたもので、女性をあちこちから騙したりさらったりして集めた事でしょう。戦時中の事例は先に紹介してあるので、お判りいただけることと思う。
馬韓国は日本に対して、ありもしない慰安婦の強制連行などの話を捏造して慰安所に女性を集めていたなどと吹聴し、日本に対して謝罪と賠償を要求して慰安婦と思しき少女像を世界のあちこちに立てているが、ベトナムでの韓国軍による慰安所の設立と運営に関しては、知らぬ存ぜぬを決め込むつもりの様だ。
しかしアメリカの公文書館には、その韓国のベトナムでの慰安婦と慰安所のことがはっきりの文書として残っていたのである。
相当長い文章となるが、それを次に紹介しよう。TBSワシントン支局長の山口敬之氏のスクープである。2015年のことなので時の大統領の朴槿恵となっているが、現時点では「さあどうする、文在寅」として追求しようではないか。
さあどうする、朴槿恵大統領
JJ1XA/池 2015.3.29
以下に、 「週刊文春」2015 年 4 月 2 日春特大号から引用「そよ風ブログ」記事を転載させてもらいます。
朝鮮戦争当時、米軍向け慰安婦たち訴訟どうなっているか知らないが、こ記事で「もし韓国政府がこ問題を黙殺したり、調査もせず否定したりするなら、 彼らこそ都合悪い事実に背を向け、歴史を直視しない国家である事を、国際社会 に対して自ら証明する事になる。」と指摘していますが、韓国政府や朴槿恵大統領ど ように対応するだろうか?
まさか、とんでもない話だとして訴訟を起こすようなことあるまいと思うが、あ国こと、そんな「まさか」も無いと言えないが…
「週間文春」、「そよ風ブログ」をご覧になっていない方にぜひ読んでいただきたく、以下に、「そよ風ブログ」記事全文を転載させてもらいます。
…転載記事全文…
韓国軍にベトナム人慰安婦がいた !
米機密公文書が暴く朴槿恵”急所”
(TB ワシントン支局長・山口敬之)
三月二十一日、ソウル。
三年ぶり日中韓外相会談が行われたが、日韓間で慰安婦問題議論平行線を 辿った。
だがもし韓国軍が同様行為を行っていたら――。
米公文書館で徹底調査とベトナム現地取材で初めて明らかになるベトナム戦争下 で韓国軍真実。
最初に、TB でワシントン支局長を務めている私が、なぜベトナム戦争当時韓国軍 について取材を始めたかを記しておきたい。
きっかけ、アメリカに赴任する直前二〇一三年初夏、ある外交関係者から聞いた 言葉だった。
日韓関係に長らく関わり、野党時代朴槿恵氏と食事をしたこともある人物だ。「朴大統領就任早々、慰安婦問題で出口ない迷路に入り込んでしまった」
その年二月に第十八代大統領に就任した朴槿恵氏、早くも慰安婦問題で日本に強硬な姿勢で臨む方針を明確にしていた。韓国で〇四年に、植民地時代に日本に協力した者を糾弾する「親日・反民族行為真相究明特別法」が成立している。
植民地時代、日本軍将校だった朴正熙元大統領を父に持つ朴大統領、この法律によって大いに苦しめられてきた。
「父の親日イメージを断ち切るかように、日本批判を続ける事が彼女のレゾンデート ル(存在価値)となってしまった。 そして、慰安婦問題が朴大統領自らの反日姿勢を証明するツールとなった以上、彼女が自分からこの問題を解決するという選択肢はなくなった。
もはや慰安婦問題は韓国の内政問題となってしまったのだ」それでは、慰安婦問題を 巡る日韓の軋轢に出口はないだろうか? 私の問いに、彼はこう答えた。「もしかした ら、あなたがこれから赴任するアメリカに解決のヒントがあるかもしれない」
日韓両国から遠く離れたアメリカに、何があるというか。 「実は、ベトナム戦争当時、韓国軍が南ベトナム各地で慰安所を経営していたという未確認情報がある。
これをアメリカ政府資料等によって裏付ける事ができれば、慰安婦問題において韓国に『加害者』の側面が加わる事になる。
それをきっかけに、朴大統領と韓国国民が頭を冷やし、真摯に慰安婦問題に向き合うようになれば、事態は変わるかもしれない」
日韓関係の現状を憂うこの人物に背中を押され、ワシントン赴任早々一三年九月から、私の全米各地に眠る公文書を探す取材が始まった。
*
アメリカには、国立公文書記録管理局、通称「NAA」と呼ばれる組織がある。
政府の公文書や歴史的価値が高いと判断された各種資料を保管する米政府の公式機関で、全米三十三カ所に公文書管理施設を持ち、四十億枚の紙、三十万本の映像、五百万枚の地図や統計資料などを保管・公開する世界最大の公文書管理組織だ。
ベトナム戦争についても、南北内戦突入(一九六〇年)から米軍全面撤退(七三年)に至る、膨大な公文書や映像資料が保管されている。 六〇年代に本格化したベトナム戦争、ソ連や中国など共産主義陣営が支援する北ベトナム側と、アメリカや台湾など自由主義陣営が支援する南ベトナム側が戦った事から「冷戦米ソ代理戦争」と呼ばれた。
五〇年代前半の朝鮮戦争で国土が荒れ果て、世界最貧国レベルにまで落ち込んでいた韓国。六三年に第五代大統領となった朴正熙は、ベトナム戦争を復興に向けた千載一遇チャンスと位置づけた。
粘り強い交渉結果、アメリカ政府から派兵規模に応じた補助金支給と、対米移民枠設定を勝ち取り、六五年から本格的に韓国軍を投入。
南側では米軍に次ぐ勢力となる延べ三十一万人の韓国兵がベトナムに渡った。
ベトナム戦争時の韓国軍に関する公文書は全米各地に点在している。
私は、ワシントン支局長として日々業務の合間を縫って、ワシントン市内や郊外メ リーランド州公文書館、さらに各地米軍基地の付属図書館や資料館を訪れたり、 リサーチャーを派遣したりして、関連文書を大量にコピーし、支局に持ち帰って読み込む作業を続けた。
ジョン・F・ケネディ大統領(六一~六三年)やリンドン・B・ジョンソン大統領(六三~六 九年)、ロバート・マクナマラ国防長官(六一~六八年)など当時キーマンの書簡から、各国外交官や軍関係者のメモまで、ありとあらゆる階層の様々なやり取りを記 録した公文書から、教科書や歴史書から伝わらない、当時の生々しい息遣いが感じられた。
最初に集中的に読み込んだのは、ホワイトハウスや国務省等の外交文書だ。 そこから判明した、当時のアメリカ政府がベトナムにおける韓国兵の行状に、相当手を焼いていたという事だった。
韓国兵の蛮行記録は、本格派兵直後の六五年から始まっていた。
戦地での市民虐殺、強姦から、サイゴンなどの都市部での為替偽造、物資の横流 し、麻薬密売に至るまで、ありとあらゆる犯罪記録が大量に残されていた。
米軍司令部は韓国軍司令部に対して繰り返し書簡を送り、違反者の訴追と再発防止を求めたが事態は悪化の一途をたどった。
七〇年には、アメリカ連邦議会下院の外交委員会で、韓国軍による残虐行為を追及する特別調査チームが作られる事態にまで発展した。
ただ、これら外交文書の多くは虐殺や経済犯罪などに関するもので、韓国軍慰安所に関するものはなかなか出てこなかった。
そこで、私はリサーチの目先を変えてみた。
韓国兵の悪行が問題になっていたなら、犯罪や裁判記録中に何らか手がかりがあるではないかと考えて、一四年春から、ベトナム駐留米軍軍政部と軍警察犯罪記録に手を伸ばし、年代順にコピーして片っ端から読み始めた。
そこに、外交文書よりもさらに生々しい強姦、暴行、窃盗、傷害、軍需物資不正取得など、夥しい数の韓国兵の犯罪が様々な形で記録されていた。
(続く)