女々しいぞハリル、代表監督不適格(26)

道端に捨てたことは正解であったが、そんなハリルに選ばれたくないと本田は言っている。これこそ正解である。何となれば、ハリルのやり方ではチームではなくなってしまうからである。

 

 

本田圭佑、ハリルサッカーを語る「ハリルに服従して選ばれていく、僕は恥ずかしい」

2018.05.14.

f:id:altairposeidon:20180524174210j:plain

本田圭佑


 サッカーのメキシコ1部でプレーする日本代表FW本田圭佑パチューカ)が14日、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀『ラスト・ミッション 本田圭佑のすべて』」に出演し、6月に開幕するサッカーW杯ロシア大会への思いを語った。

 2010年の南アフリカ大会(ベスト16)、2014年のブラジル大会(グループリーグ敗退)と2大会連続でW杯に出場している本田は、4月に同番組のインタビューを受け、3大会連続出場への意欲をのぞかせた。

 奇しくもこの日、予備登録メンバー35人の提出締め切りとなったロシア大会出場については、「微妙やと思うんで、それで自分を認めさせるには勝利、得点に絡むような結果、ここがないと認めさせるのは難しいという覚悟を持って挑んでいるんで。それを判断して結果を出せなかった責任はもちろん、自分にありますよね」と、3月のヨーロッパ遠征での親善試合で結果を残せなかったことを振り返った。

 しかし、「ただ、悔いはないです。ハリルのやるサッカーに全てを服従して選ばれていく、そのことの方が僕は恥ずかしいと思っているので。自分を貫いたという自分に誇りは持っています。その点は不変です。自分の信念は不変だと思っています。だから、だから本田圭佑なんです。追い込まれれば追い込まれるほど、力を発揮します」と、前を向いた。

 本田は昨夏、出場機会を求めてイタリアからメキシコへと移籍。パチューカでのシーズンはリーグ10得点を記録。パチューカとの契約は6月末までで、自身のSNS上では今季限りでクラブを離れることを示唆している。本田は3日、シーズンの全日程を終えて成田空港に帰国。帰国後はJ2東京ヴェルディの練習に参加している。

 注目の出場メンバーは予備登録から選ばれた23人が31日に発表される。

 

https://www.daily.co.jp/soccer/2018/05/14/0011256195.shtml

 

 

本日5.18には27人の予備登録メンバーが発表されている。本大会に出場する23人は、5.30のガーナ戦後の31日に発表される予定だ。そして6.4が登録最終日となる。

 

まあ誰が選ばれようが、本大会では勝つことは難しいことであろう。ただ真剣に戦ってもらうだけである。それでよいのであるが、それさえもハリルは壊そうとしていた。だからJFAは危機感を持ったのである。

 

 

残念だが、日本サッカーは強くない。それはFIFAランキングを見ればよくわかる。

5.15にも紹介しているが、次の通りである。ハリルのお陰かどうかは知らないが、日本のランキングは五つも下がってしまっている。これでは逆立ちしても勝てっこないことは明らかである。

日本サッカーではW杯は戦えないのである。

 

2018.4.12 FIFAランキング(カッコ内は3月時点)

対象国 対戦日 ランク    

ポーランド 6/28  10

コロンビア 6/19  16

セネガル 6/25  28

日本 ---  60位(55位)

 

 

 

「日本のサッカー」では今のW杯は戦えない
サッカージャーナリスト 大住良之

2018/5/4 6:30

2013年コンフェデ杯で指揮を執るザッケローニ監督

2013コンフェデ杯で指揮を執るザッケローニ監督


日本経済新聞 電子版

 「日本のサッカーを『日本化』する」――。2006年7月、日本代表監督就任に当たって、イビチャ・オシム氏はそう宣言した。以来、「日本のサッカー」探しは代表をはじめ、年代を問わず日本のあらゆるチームのテーマになった。

 「日本化した日本のフットボールというものがあります。その中には技術力を最大限に生かしたり、規律や結束して化学反応を起こしたりして戦っていく強さがある。そういうものをベースにしたうえで、構築していく必要があると思います」

 4月12日、バヒド・ハリルホジッチ監督解任を受けて日本代表を率いることになった西野朗新監督はこんな話をした。


一部の選手の言葉に妙に合致

 その言葉は「速く攻めるだけでなく、それができないときには、ゆっくりとパスを回すことも必要ではないか」と主張し続けていた日本代表の一部の選手たちの言葉に妙に合致する。

 「日本スタイル」の頂点は201112年の日本代表にあった。アルベルト・ザッケローニ監督が率いた日本代表は11年のアジアカップで4回目の優勝を飾り、12年6月にスタートしたワールドカップのアジア最終予選ではオマーンに3―0、ヨルダンに6―0で連勝し、破壊的な攻撃力を誇示した。

 ドイツでドルトムントの2連覇に貢献した香川真司(当時23、以下同じ)は、欧州の年間ベストイレブンに選出されるとともにマンチェスター・ユナイテッドへの移籍が発表されたばかりだった。本田圭佑26)は、ロシアのCSKAモスクワで確固たる地位を築き、さらなるビッグクラブへの移籍の話題が絶えなかった。

 岡崎慎司26)、長谷部誠28)、吉田麻也23)は欧州のクラブで着実な前進をみせており、長友佑都25)はインテル・ミラノでレギュラーとして活躍していた。Jリーグ所属選手も遠藤保仁32)、今野泰幸29)らが円熟期を迎え、衰えの兆候もなかった。

 ザッケローニ監督はこうした選手たちを絶妙のバランスで配置し、リズムよくパスをつないで攻め崩すサッカーをつくった。まさに伸び盛りの選手たちが躍動し、日本代表は美しく強いサッカーを実現した。互いのよさを引き出すコンビネーション、チーム一体となっての攻守は13年にコンフェデレーションズカップでイタリアを相手に3―4という大接戦を演じた。まさに「日本のサッカー」として、ワールドカップで世界にその真価を問うにふさわしいものだった。

(続く)