邪馬台国とはなんぞや?(7)

4.今、使訳通ずる所三十国。

 

 

この魏志倭人伝の冒頭部分には、「今、使訳通ずる所三十国。」とある。

 

この意味は「通訳を伴った使者」を送ってくる国が30か国と言う意味のようであるが、この30か国を全て引き当てることが出来るであろうか、検証してみよう。

 

 

帯方郡から邪馬台国までの行程に登場する国は、次の通り9か国となる。

 

1. 狗邪韓国

2. 対海国

3. 一大国

4. 末盧国

5. 伊都国

6. 奴国

7. 不弥国

8. 投馬国

9. 邪馬台国

 

しかし先の検証で、女王国には奴国・不弥国までの7か国が含まれていることが判っている。そこでは、邪馬台国=女王の都する所=奴国となっているが、厳密に言うとこれも間違っているようだ。

 

女王の都する所=奴国で間違いがないと思われるが、行程の中には「邪馬台国」は出てこない。

 

別仕立ての文の中に、「南のかた邪馬壱國(邪馬台國?)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月」として初めて現れている。

 

 

その國、本また男子を以て王と為す。住(とど)まること七、八十年、倭國乱れ、相攻伐(こうばつ)すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王となす。名を卑弥呼という。鬼道に事(つか)え、能く衆を惑わす。」と書かれているので、その国=倭国卑弥呼共立していることになっている。

 

と言う事は相攻伐した国々が連合して、卑弥呼を共立したことになり、卑弥呼を頭(王)におく一種の連合国家を作ったことになろう。それが連合国家倭国邪馬台国と言ったのではないのかな。

 

連合国家と表現してはいるが、同書では集落連合と言っている(181頁)。まあそんなところであろう。そして「女王国より以北・・・」の文章からして、投馬国邪馬台国には含まれないことになる。

 

投馬(つま)国は又別の倭人の国となろう。南、水行二十日の所に位置しているから、北九州地域からは外れたところとなろう。多分今の鹿児島か宮崎県あたり、薩摩(サつま)地域ではないのかな。

これは小生の愚見である。また宮崎県には西都原古墳群と言う大集落が存在している。

 

邪馬台国倭国連合の総称とみなせば、女王国の総数は7か国20か国となる。

 

しかし邪馬台国には、「官は伊支馬(いきま)有り。次は弥馬升(みましょう)と曰う。次は弥馬獲支(みまわき)と曰う。次は奴佳鞮(なかてい)と曰う。七万余戸ばかり。」と書かれているので、それなりの国家組織があったことになる。

 

女王の都する奴国とは別に、邪馬台国があったのか。または奴国を含む倭国を総称して邪馬台国と言ったのか。

 

疑問の残るところであるが、この7か国の他に、21か国の名前を羅列している。この21か国の中には、奴国が重複して記載されているので(同じ名前の国が別に存在していたとは考えられないので)実質20か国となる。

 

すると「使訳通ずる所は三十国」とは、72027か国となり、30か国に満たないことになる。

 

あと三か国はどの国なのか。

 

魏志倭人伝に現れている残りの国は、先ず邪馬台国、次に投馬国、次に狗奴国の三国である。

 

邪馬台国が別に独立して存在していたとして、更に邪馬台国と狗奴国が魏朝と使訳を通じていれば、三十国として倭人伝の表現と一致することになるが、卑弥呼は狗奴国王と敵対していたから、果たして狗奴国も魏に朝貢していたのか小生には皆目見当がつかない。

 

ちなみに奴国の南に狗奴国があると記されているが、吉野ケ里遺跡は該当しないのであろうか。

(続く)