9.一大率を置き諸国を検察せしむ。
さてここで邪馬台国関係の位置関係をおさらいしておこう。
まあ異論は多々あると思われるが、邪馬台国とは北九州から朝鮮半島にまたがったあたりに存在していたとして、先ず間違いがなかろう。とりあえずはこんな感じであろう。
さて、
「女王國より以北には、特に一大率(すい)を置き、諸國を検察せしむ。諸國これを畏憚(いたん)す。常に伊都國に治す。國中において刺史の如きあり。」 と倭人伝には記載されているこの一大率とは何者なのか。
さて五代十国時代に編纂された「旧唐書」や次の宋の時代につくられた「新唐書」にも、日本のことが記載されている。
ちなみに中国の歴代王朝は、次のように変遷している。
紀元前500年頃~ 春秋戦国時代
紀元前250年頃 秦
紀元前200年頃~ 前漢
紀元前後 新
紀元後 後漢
紀元200年頃~ 三国時代(魏、呉、蜀)
紀元400年頃~ 南北朝
紀元600年頃 隋
紀元600年頃~ 唐 → (飛鳥・奈良・平安時代)
紀元900年頃~ 五代十国
紀元1280年頃~ 元
紀元1400年頃~ 明
紀元1650年頃~ 清
紀元1910年頃~ 中華民国
紀元1960年頃~ 中華人民共和国
まあこの年次はかなりアバウトなものであるので、そのつもりで。
この「旧唐書・倭国日本国伝」には「魏志倭人伝」と同じ表現で記載されているが、「新唐書・日本伝」には、次のように記載されている、と同書には書かれている。
「置本率一人検察諸部・・・」(本率ホンスイ一人を置き、諸部を検察させる・・・その官は十有二等)
もちろん「新唐書・日本伝」のこの表現は、奈良時代の官制を表現したものではあるが、「魏志倭人伝」の表現を踏襲したものであろう。
即ち、「魏志倭人伝」⇒「旧唐書・倭国日本国伝」=「新唐書・日本伝」と言う繋がりとなっているので、「新唐書・日本伝」は「旧唐書・倭国日本国伝」を解説したものであり、「旧唐書」≒「魏志倭人伝」と同じ表現なので、「魏志倭人伝」=「新唐書・日本伝」と同じ意味合いとなるのであろう。
と言う事は、「一大率(倭人伝)」=「一大率(旧唐書)」=「本率一人(新唐書)」と言う言語解釈となる、のである。
即ち「一大率」とは、三文字で一つの役職を意味するものではなくて、複数の大率(本率)の中の一人、と言う事を意味するのである。
大率・本率(だいすい・ほんすい)とは地方の有力者を意味する言葉であるが、この魏志の中では次のようにも表現されている。
渠帥(きょすい)、豪帥(ごうすい)、大帥(だいすい)、長帥(ちょうすい)、魁帥(かいすい)、などであるが、いずれも意味は同じである。
大率と同じ発音の大帥と言う言葉がある。中国の古典の一字一句を考証する学問に訓詁学と言うものがあり、清朝の時代に隆盛を極めたと言われている。それによると、率と帥は全く同じもので、同音同義で自由に併用されていたと説明されている、と言う。
現在の言葉では元帥(げんすい)と言う軍隊での最上位の役職・称号があるが、その帥と言う字は率は全く同じに使われてよいことになっていたのである。
倭人伝の言う大率とは「大人」と同じ意味で、地方の王なのであろう。しかし「親魏倭王」の王とは、同格ではない。
中国で言う異民族の階級区分では、「国王、率衆王、帰義候、邑君、邑長」の序列が存在していたと言うので、「親魏倭王」は倭国全土の王様で、率衆王は地域的な下位の王であったのであろう。
「後漢書倭伝」にも、倭国には三十ほどの国があり、それぞれの国は皆王と称していた、と記されているから、大帥(大率)は夫々の国の王(率衆王)なのであろう。
(続く)