邪馬台国とはなんぞや?(42)

さて神武天皇天照大御神天照大神日本書紀の五代目となる皇孫で、初代の天皇(すめらみこと)となるのであるが、ここで系図を簡単に記しておこう。間違いがあれば、訂正願う。

 

 

伊邪那岐命伊弉諾尊)が黄泉の国から戻って禊ぎをした時に、左目を洗うと天照大御神が生まれ、鼻を洗うと須佐之男が生まれている。右目を洗ったときには月読命(農と漁の神)が生まれている、と古事記には書かれている。これは三貴神と呼ばれている。

 

古事記)  (日本書紀

伊邪那岐命伊弉諾尊)--天照大御神(の勾玉から)--天之忍穂耳命↓下段へ続く

 

 

天之忍穂耳命----    アマツヒダカヒコホノニニギノミコト

               〉-- 天津日高日子番能邇邇芸命--

萬幡豊秋津師比売命-   コノハナサクヤヒメ     カムアタツヒメ    〉--火遠理命

ヨロズハタトヨアキツシヒメノミコト    木花之佐久夜毘売(神阿多都比売)-   ホオリノミコト

高御産巣神の娘)↓     (大山津見神の娘) 吾田、阿多は笠沙の御崎のある大隅半島の地名

高御産巣神は造化の三神の一人   イザナギ・イザナミの神産みで生れる。

 

火遠理命(火折尊・山幸彦)-|

ホオリノミコト              〉--天津日高日子波限建鵜草葺不合命-|

豊玉毘売命 -------|   アマツヒダカヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト  〉--磐余彦尊

トヨタマヒメノミコト()           玉依毘売命------------|  イワレビコノミコト

綿津見大神の娘)          タマヨリヒメ(

綿津見大神は伊邪那岐伊邪那美の子

 

磐余彦尊(神武天皇-----|- |

イワレビコノミコト              〉---手研耳命タギシミミノミコト

吾平津媛日向国吾多邑出身)-|  

アイラツヒメ                   --神沼河耳命(綏靖天皇

                        |   カムヌナカワミミノミコト

比売多多良伊須気余理比売----|    ↓ 日本書紀では

ヒメタタライスケヨリヒメ                 神渟名川耳命綏靖天皇

   ↓日本書紀では              カムヌナカワミミノミコト

   媛蹈鞴五十鈴媛命

ヒメタタライスズヒメノミコト

事代主神の娘)

須佐之男命--大己貴神大国主命)--事代主神大物主神

 

 

    なお2018.9.13NO.24で「イスケヨリヒメと7人の少女」の話をしたが、この少女が媛蹈鞴五十鈴媛命比売多多良伊須気余理比売)である。

 

ヒメの名に蹈鞴(たたら)とあるように、磐余彦は製鉄を生業とする地元の豪族の娘を、めとったことになる。鉄が大いに関係していることは、神武東征の目的が何であったかを示唆するものでもある。

 

このことは重要なキーワードとなろう。

 

また「イスケヨリヒメと7人の少女」の物語は今で言う「ピクニック」の話であり、神武天皇が大和の一角に拠点をも設けたとはいえ、戦乱に明け暮れていたのではなく、とても世の中は安泰であったことが判る。しかも神武天皇は戦いにより大和を平定していったと言うよりも、地元の有力者と姻戚関係を結ぶことなどで、平和裏に勢力を伸ばしていった様がうかがえるものである。

 

次にWikipediaより借用して、『天皇スメラミコト系図 神代』を示す。

 

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https://ja.wikipedia.org/wiki/天照大神

 

(続く)