さて神武天皇は天照大御神(天照大神・日本書紀)の五代目となる皇孫で、初代の天皇(すめらみこと)となるのであるが、ここで系図を簡単に記しておこう。間違いがあれば、訂正願う。
伊邪那岐命(伊弉諾尊)が黄泉の国から戻って禊ぎをした時に、左目を洗うと天照大御神が生まれ、鼻を洗うと須佐之男命が生まれている。右目を洗ったときには月読命(農と漁の神)が生まれている、と古事記には書かれている。これは三貴神と呼ばれている。
伊邪那岐命(伊弉諾尊)--天照大御神(の勾玉から)--天之忍穂耳命↓下段へ続く
天之忍穂耳命---- アマツヒダカヒコホノニニギノミコト
〉-- 天津日高日子番能邇邇芸命--
萬幡豊秋津師比売命- コノハナサクヤヒメ カムアタツヒメ 〉--火遠理命↓
ヨロズハタトヨアキツシヒメノミコト 木花之佐久夜毘売(神阿多都比売)- ホオリノミコト
(高御産巣神の娘)↓ (大山津見神の娘) 吾田、阿多は笠沙の御崎のある大隅半島の地名
高御産巣神は造化の三神の一人 イザナギ・イザナミの神産みで生れる。
火遠理命(火折尊・山幸彦)-|
ホオリノミコト 〉--天津日高日子波限建鵜草葺不合命-|
豊玉毘売命 -------| アマツヒダカヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト 〉--磐余彦尊↓
トヨタマヒメノミコト(姉) 玉依毘売命------------| イワレビコノミコト
(綿津見大神の娘) タマヨリヒメ(妹)
磐余彦尊(神武天皇)-----|- |
イワレビコノミコト 〉---手研耳命タギシミミノミコト
アイラツヒメ 〉--神沼河耳命(綏靖天皇)
| カムヌナカワミミノミコト
比売多多良伊須気余理比売----| ↓ 日本書紀では
↓日本書紀では カムヌナカワミミノミコト
ヒメタタライスズヒメノミコト
(事代主神の娘)
なお2018.9.13のNO.24で「イスケヨリヒメと7人の少女」の話をしたが、この少女が媛蹈鞴五十鈴媛命(比売多多良伊須気余理比売)である。
ヒメの名に蹈鞴(たたら)とあるように、磐余彦は製鉄を生業とする地元の豪族の娘を、めとったことになる。鉄が大いに関係していることは、神武東征の目的が何であったかを示唆するものでもある。
このことは重要なキーワードとなろう。
また「イスケヨリヒメと7人の少女」の物語は今で言う「ピクニック」の話であり、神武天皇が大和の一角に拠点をも設けたとはいえ、戦乱に明け暮れていたのではなく、とても世の中は安泰であったことが判る。しかも神武天皇は戦いにより大和を平定していったと言うよりも、地元の有力者と姻戚関係を結ぶことなどで、平和裏に勢力を伸ばしていった様がうかがえるものである。
次にWikipediaより借用して、『天皇スメラミコト系図 神代』を示す。
https://ja.wikipedia.org/wiki/天照大神
(続く)